第8話 野獣の終焉
「もっと尻を上げるんや!!」
一糸まとわぬ姿の若い娘たちに梅田が声をはりあげた。
警察の狙撃を防ぐ肉の盾として、人間ピラミッドを完成させたのだ。
シャインと金角と銀角は、大型スクリーンに映された人間ピラミッドをみつめていた。
これは、昨日に銀行の監視カメラが捉えた録画映像である。
三人の手元には液晶ペーパーが置かれていた。
そこには20世紀に梅田が起こした銀行籠城事件の行動が時系列にまとめられている。
「前回と異なる点はなんだ?」
シャインが問いかけた。
「警官が四人殉職しています」 「すでに43時間を経過しています」
前回の事件では梅川に警官が二人射殺された。そして事件発生から42時間を経て、うたた寝をした梅田を六人編成の狙撃部隊が射殺して事件は幕を下ろしていた。
「一方で気味が悪い酷似点がある」
「男性行員の耳を同僚に削がせたことですか?」 「裸体の若い女性たちを肉の盾にしたことですか?」
「それは梅田の意思でどうにでもなる」
「そうです」 「はい」
「今回射殺された支店長も、一週間前に赴任したばかりだ」
「「えっ?」」
「銀行の人事は梅田の意思とは関係がない」
「なるほど」 「ですよね」
金角と銀角も首を傾げざるをえない。
「銀河パトロールからの問い合わせに、会社側は異動人事は本人の要望によるものであると回答をしてきた。しかし、支店長の周辺の聞き込みによれば、本人は突然の異動命令に戸惑っていたという話だ」
「気味の悪い話ですね」
銀角がつぶやいた。
人事異動に関しては不自然さを禁じ得ないが、児友銀行は銀河連邦で指折りのメガバンクである。現状ではこれ以上の詮索の手立てがないのだ。
「わかっているのは、まだ我々に直接介入の権限が付与されていないということだ」
◇
大阪府警本部長は刑事部長を呼びつけた。
「遅いじゃないですか!!」
本部長は苛立ちを隠そうともせずに年長者の刑事部長を叱責した。
銀河パトロールの介入権限を付与せよと警察庁から指示を受けて、刑事部長を呼び出してから小一時間連絡が途絶えていたのである。
本部長は国交省キャリアの出向者で、刑事部長はノンキャリの叩き上げである。
互いの年齢は一周り以上離れていた。
「いますぐ銀河パトロールの指揮下に入って下さい」
「わかりました」
刑事部長はそれを一瞥すると目尻の釣り上がったヒラメ顔でニタリと笑い敬礼をした。
(世の中に分らない人間程危険なものはない)
本部長は、心のなかで夏目漱石の小説の一文を呟いた。
刑事部長のスマホが大音量で鳴った。関西タイガース応援歌『六甲オロチ』である。
「本部長すまへん」
「どうぞ」
「…………さよか」
「本部長、ご報告いたします」
「なんでしょうか」
「SIT(刑事部突入班)が突入しよりました」
「そんな話、僕は聞いてない!」
本部長は青ざめて声を震わせた。
(いま、聞いたやろ)
刑事部長は、心のなかで漫才のようなツッコミをした。
(いままで丸投げしよった素人が笑かしよる。こっちは「勘」「コツ」「経験」の三冠王や!!)
梅田は椅子に坐って俯いていた。
そこを、濃紺のアサルトスーツに身を包み、ケブラーマスクを被った6人のSIT隊員が急襲した。
6発のうち3発の弾丸が梅田の胸、頭、首に命中したが、それらの弾は身体を貫くことなく妖気に弾き返された。
梅田はショットガンを構えた姿勢で立ち上がった。
「転生者チートを、なめとったらアカンぞー!!」
ズタンッ!! ズタンッ!!
二人の隊員の胸を正確に狙い撃った。
梅田のショットガンから放たれた妖気をまとう散弾は、SIT隊員の防弾チョッキを容易く貫いた。
「うせやろ?」 「なんで?」
隊員たちは自身に起きた事態が信じられぬままに床に倒れた。
ありえぬ光景を目撃した他の隊員たちが、物陰から一斉に梅田を狙い撃つ。
そのうちの一発の跳弾が女子行員の後頭部にヒットした。変形した弾頭が頭蓋骨を打ち砕き、脳と血の飛沫が裸体の背中を濡らした。
「ヒャッ!」
梅田は裏声をあげると、天井付近まで跳躍をした。
重力を無視して空中停止をした数秒の間に凶弾が放たれる。
ズタンッ!! ズタンッ!!
物陰にいたSIT隊員の頭上から散弾が降り注ぐ。妖気をまとう散弾は、隊員たちのケブラーマスクを容易に貫通した。
「これが転生者チートや!! みなぎっとんで!! みなぎっとんで!!」
ズタンッ!! ズタンッ!!
ひとり、またひとりと銃弾を浴びて、SIT隊員たちは糸の切れた操り人形のように床に倒れていく。
◇
シャインと金角銀角は、児友銀行北畠支店の二階に設けられた緊急対策本部に到着をした。
前回の事件同様に、梅田は撃ち殺した被害者の遺体を男性行員たちに命じて二階に送り届けている。
暖房の効いた室内に置かれた人間の死体はすぐに腐臭を放つためだ。
シーツにくるまれ担架に乗せられたSIT隊員全員と1人の行員の遺体が、駆けつけた消防隊員達によって次々に持ちだされていく。
その遺体に手を合わせるシャインと金角と銀角。
ざわっ……ざわっ…………
自衛隊の戦闘服を身に着けたシャインたちをみて周囲がどよめいている。
「防弾チョッキはいらんのんですか?」
銀河パトロールに出向経験のある老警部補がシャインの身を気遣い声をかけた。
胸と腰のラインがくっきりと浮かび上がったシャインの戦闘服姿は、あまりにも無防備であるように見えた。
「お心遣いに感謝します、どうかこのままでお許し下さい」
シャインが腰をかがめて頭を下げた。
その後ろに立つ金角と銀角が警部補に敬礼をした。
2m近い仁王像のような二人の軍人に周りの警官たちは気圧された。
チーン チーン
リンの音がした。
『佛説摩訶般若波羅蜜多心経ー♪ 觀自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄♪』
一階フロア天井のスピーカーから般若心経の読経が流れだす。それと同時に、梅田が身にまとう妖気が霧散した。
支店長のデスクの前に座った梅田は天井に向けて発砲をした。
ズタンッ!! ズタンッ!!
女たちの悲鳴があがる。
「お前ら、はよ盾にならんかい!!」
梅田は、床に身をかがめていた裸体の女たちに銃口を向けた。
女たちは慌てて人間ピラミッドを築こうとするが、不意の命令に狼狽して要領を得ない。
「立つんや!! 俺に背を向けて立ちよんや!!」
弧を描くように若い女子行員たちが肉の壁を作った。
正面に現れたシャインの姿を、女たちの裸体の隙間から覗いた梅田は叫んだ。
「取引や!! 俺を『超法規的措置』で逃したらんかい!!」
梅田が児友銀行人質事件を起こして射殺をされたのは1979年のことだ。
その二年前の1977年にはダッカ日航機ハイジャック事件、四年前の1975年にはクアラルンプール事件が起きている。
ダッカ日航機ハイジャック事件とは、日本人左翼によるハイジャック事件である。
1977年9月28日、拳銃と手榴弾等で武装した日本人左翼たちが、パリ発羽田行き日航機の乗員乗客を人質にハイジャックを起こした。日本人左翼はダッカ空港に日航機を強行着陸させ、日本政府に対して600万ドル(当時の為替レートで16億円)と仲間の開放を要求。
日本政府は『超法規的措置』と称して、身代金600万ドルの全額支払いと殺人とテロの罪で捕らえられていた六人の左翼活動家を釈放し出国させた。
クアラルンプール事件とは、日本人左翼によるテロ事件である。
1975年8月4日、クアラルンプールのアメリカとスウェーデンの大使館を襲撃し占拠した日本人左翼たちが、アメリカ総領事など五十二人を人質にして仲間の開放を要求。
日本政府は『超法規的措置』と称して、十二人集団殺害などの罪で捕らえられていた五人の左翼活動家を釈放し出国させた。
これらの日本人左翼は、梅田と同い年か数歳違うだけの団塊世代の若者たちである。そして、彼らも梅田と同じく思想書に耽溺し、稚拙な実存主義をバイブルとする反知性主義者であった。
「なるほど『超法規的措置』か、では問いたい」
「なんや?」
「お前は最初の事件のときに『自分の殺人は精神異常によるものではなく、勲章を貰える戦争の殺人と同様であり、それは道徳をわきまないことによるものだ』と人質たちに語った」
「せやな、よう調べとんな」
「道徳をわきまえない殺人になるのは敗戦国の戦争だけだ」
「なんやと」
「戦後の生き証人に問う、東京裁判の事後法は違法か否か?」
「敗戦国の国民にはそれを論じる資格すらあれへんねんや」
『東京法定において決定された意思が、ポツダム宣言を受諾して無条件に降伏した日本にとって動かしがたい権威ある意思であることはいうまでもない。したがってわれわれは、決定された意思の権威について論ずる資格もないし、また論じようとも思わない』 朝日新聞 社説 1948年11月13日
「征服者の定める法に対応して道徳も可変的な側面をおびる」
「勝てば官軍負ければ賊軍、征服の仕上げは御用学者による法哲学の後解釈やな」
織田信長は越前一揆討伐に関わったとされる民衆の手足に薪を括りつけて窪地にほうり火をつけるなどして12,250人の民衆を殺戮し、4万人近い民衆を奴隷とした。荒木一党の人質公開処刑の際には女子供122人全員を磔にして鉄砲で撃ち、その従者500人以上を捕縛して付近の民家に押し込めて周囲に乾いた草を積み焼き殺した。
徳川家康の大坂夏の陣では、大坂城下の民衆を男女のへだてなく年寄りから幼子まで目の当たりに刺し殺し、金品強奪や若い娘の強姦が行われた『見しかよの物かたり』。東軍の黒田長政が、現地で絵師に描かせた絵にもその惨劇の様子が詳細に残されている『大坂夏の陣図屏風』。
織田信長を英雄視する者は多い。徳川家康を神と祀った日光東照宮で柏手を打つ人々も引きも切らない。
一般市民を標的とした東京大空襲や広島と長崎の原爆の投下による殺戮を行った米国を糾弾する者は少ない。
2013年8月28日、米国務省の副報道官が定例会見で自国の軍事介入の正当性を説いていたときに、英ロイター通信社の記者が「日本への原爆投下は国際法違反ではないのか」と副報道官に問いかけた。すると、副報道官は「その質問は受け入れるつもりさえない」と話を中断した。
東京大空襲の三日前、沖縄の空襲にたいして、日本政府は国際法違反だとして米国政府に抗議をしていた。しかし、米国政府はこれを黙殺して、その後の東京大空襲と原爆投下で数十万人の非戦闘員を殺戮した。そして、終戦後に米国政府は日本軍による中国への爆撃は国際法違反であると糾弾をした。
勝者による事後の法と道徳が歴史観を紡ぎ、勝者の殺戮の道義的責任は降伏者に転嫁をされる。上掲の朝日新聞の社説は、それを踏まえた降伏者の道義を述べているのである。
「勝者の殺戮は正義の遂行であり名誉だ、敗者の殺戮はならず者の蛮行であり恥辱だ」
「当然のこっちゃ」
「お前ひとりは国家に逆立ちをしても敵わない。よって、殺戮を犯し国家権力を敵にした時点で敗者とみなされる。さて、お前の語った名誉ある戦争の殺戮は勝者のものであって、敗者の殺戮ではない。まったくもって青臭いガキの理屈なのだが、旧約聖書の時代からそうなのだから仕方がない」
個人による殺戮を戦争の殺戮と同様に類推をすることは可能だろうか。2001年に米国政府は9・11米同時多発テロを戦争行為であると断言をした。言いかえれば、戦争の殺戮と個人の殺戮の区分は、強者の感情論次第であるということだ。
こうしてシャインが説いたのは、梅田が戦争の勝者による殺戮と自分の犯した殺戮を同質とみなした間違いを糺すためである。これは、当人の抱く不条理感が怨念となって、死後にまた生き返るようであっては始末におえないからだ。
「確かに、俺のやりよったんは蛇蝎のごとく嫌われる敗戦国の殺戮やな」
「大道たる世の道理が失われるほどに、支配的な倫理観が台頭をするのはやむを得ない」
「せやさかいに、無条件降伏はせえへんわ。超法規的措置をとったらんかいや」
「日本人左翼がとった人質には、米国の総領事が含まれていた」
「人質の命を天秤にかけよんか?」
シャインは、無言で肉の盾に銃口を向けた。
「南無阿弥陀仏」
念仏を唱えたシャインは、ためらいもなく女たちを撃った。
梅田を護っていた肉の盾は、断末魔の悲鳴をあげて崩壊をした。
「まじかるぅぅぅ」
「なにしょんや外道がっ!!」 ズタンッ!! ズタンッ!!
真正面から駆け出したシャインの胸と腹に、ショットガンから放たれた散弾が打ち込まれた。
しかし、マジカルエナジーで身体の周りを覆ったシャインにはかすり傷ひとつ無い。
「ひぃ バケモン!!」
梅田は驚愕した表情で、銃口を自分に向けたシャインを凝視した。
そのさなかに、シャインと金角と銀角の拳銃から放たれた弾丸が、梅田の胸、頭、首に命中した。
梅田は力なく膝を折って仰向けに倒れた。
梅田の魂が、般若心経の読経の流れと共に、螺旋を描いて虚空に飲まれていく。
シャインは床からショットガンを拾い上げる。そして、梅田の骸に言葉を投げかけた。
「最初の4発は空砲だ馬鹿」
※記事引用
朝日新聞 1948年11月13日 社説