第6話 堅(こわ)い饅頭こわい
観音経の読経と共に組長の纏った禍々しい妖気が霧散したことを教祖の目は捉えていた。
異形の力を封じられた組長は、後ろ手に手錠をかけた状態で床に転がされていた。 それを取り囲むようにしてシャイン、金角、銀角、五所川原の四人が立ち話しをしていた。
「なるほど、アネさんのお陰で妖気が封じられたと」
金角は教祖の解釈を聞いて納得をしたように頷いた。
「お孫さんの救出には最善を尽くします」
教祖はシャインに頭を下げた。
「銀角、五所川原さんを安全な場所に」
「はい」
シャインに敬礼をした銀角が教祖に付き添って部屋を出た。
◇
「呆れた趣味だな」
シャインは、刑場を模した部屋を見回して組長に語りかけた。
組長は、シャインとテーブルを挟んで手錠をかけられたままソファーに座らされている。
「俺がつくりよったもんちゃうけどな」
「帝塚山悠斗の魂はどこに?」
「なんや姉さん、なんぞ知っとンとちゃうのん?」
シャインは微笑んで、無言で先を促した。
「奴の魂は喰らい尽くしてもーたわ」
人の地縛霊が帝塚山組長の魂とすり替わり、梅田という別人として転生したのだ。
「俺は児友銀行に籠城して警官どもに射殺されよったんや。そのリベンジをしよんや」
梅田はつぶやいた。
「リベンジ?」
「むかし、警察は俺の寝首をかきよったんや」
「射殺をされるような真似を、しでかした方も悪いだろうに」
「でも、納得いけんかったんや」
「お饅頭を食べるか?」
シャインが目で金角を促すと、金角は仏壇にある供物の饅頭を持ってきた。
テーブルに皿ごと置かれた饅頭は、白皮が乾燥して深いヒビが入り餡が透けている。
「…………なぁ、ちょっと聞きよんが?」
「何だ」
「俺を絞首しよんか?」
梅田は絞首刑の直前に仏前の饅頭を勧められる話を思い出したのだ。
「食べないのか?」
「じょーだんやないわー!!」
ソファーに梅田と向かい合ってすわったシャインが中腰になって立ちあがった。
皿の上の古饅頭を手にとると、もう片方の手で梅田の鼻をつまむ。
「へへかー、は」
とつぜん鼻をふさがれた梅田は言葉を失った、すぐに呼吸が苦しくなって口を開ける。
その開いた口に古饅頭がぐりぐりとねじ込まれた。
梅田は口から古饅頭のカケラを吐き出しながら、真っ赤な顔をしてシャインをなじった。
「なにしょんねん!!」
ゴツンッ!!
シャインは、無言のまま梅田の頭を殴打して黙らせた。そして、梅田が嫌がるのを意に介せず、先程と同じ要領で鼻をつまむと緑茶を口の中に放り込んだ。
「時間だ」
シャインはそういうと、絞首執行ボタンの付いた箱を机の上に一列に並べた。
金角が梅田の身体を抱えて持ち上げた。
「こんなンちゃうやろ!!」
抗議を受けたシャインは金角に尋ねた。
「金角、なにかおかしいか?」
「小官が思いますに、まだ辞世の句を詠んでいないことなのでは?」
「うむ、なるほどな」
そうであったかと、シャインが頷いた。
「ちゃうわ!!」
「違うのか?」
「違ったようですね」
「いきなり死ねて、わけわからんやろ!!」
これから死にゆく者に、軍や警察の機密を話すのは無駄である。
シャインと金角は顔を見合わせて頷いた。梅田は前室から執行室へと引きずられていく。
「こないな公権力の横暴はゆるされへんぞぉ!!」
「この方法であの世に送るのは、ここで組長さんに殺された人々へのアネさんのお情けですよ」
シャインの気持ちを汲んだ金角がそう諭した。
「俺は梅田やゆうとンやろ、組長ちゃうわ!!」
「きっと立派な成仏をしてください」
シャインが頭を下げた。
「まだ死にとうないンやー!!」
金角が、暴れる梅田の太ももの筋肉に膝蹴りを入れて足の自由を奪うと、体を抱え上げて首に絞縄を通した。
シャインが三つある絞首執行ボタンのうち、二つのボタンを左右の掌で同時に押したが何も起こらない。
「……違う」
二つとも、ダミーのボタンであった。
「ヒィ!!」
梅田の恐怖が最高潮に達したときに、残りひとつのボタンが押された。
プシュッー!!
エアシリンダーが音を立てて、90cm四方の踏み板が外れた。
ドゴッ!! 「ギャッ!」
梅田は悲鳴を上げた。
落下直前に梅田が大きく暴れたために身体の重心がずれて、真四角に抜けた床の縁に頭を叩きつけたのだ。
階下は高さ4mのコンクリートの打ちっぱなしの殺伐とした空間で、梅田は床にある排水口の格子蓋の真上に吊られてブラブラと揺れた。
事ここに至っては頭部外傷の治療は無用であろう。
ヤクザゆえ 業の深さに 浮かばれず 馬鹿の頭に 効く薬なし
敷地の駐車場に「不発弾処理」のプレートを掲げた中型トラックを先頭に、ノンクリアのオリーブドラブ3 1/2tトラックなどがぞろぞろとやってきた。
30数名で編成された小隊の隊員たちが降り立つと、トラックの荷台から手際よくターレットやフォークが降ろされる。
シャインの誘導で帝塚山組の地下倉庫に向かった隊員たちは、そこに保管されていた大量の武器弾薬をトラックに搬入しはじめた。
「金角、降ろしてくれ」
シャインが指示をだすと、モーターの回転音とともに吊られた梅田の身体が下に降り始めた。
ウィーーン、ガンッ!! ウィッウィーン、ガンッ!!
反応の遅いホイストを操作するような音が、コンクリートの地肌がむき出しの空間に響き渡る。
ステンレス製のストレッチャーの上に遺体が降りていく。
刑場にはシャインと金角の他に、白衣を着た医官と三等陸尉が立っている。
彼らは自衛官の格好をしているのだが、実際には金角や銀角と同じく銀河連邦軍に所属する者達であった。
医官が合掌をしてから手際よく検死を行い、綿棒で口腔細胞を採取してケースに保管した。
「あ、その方法があったんだ」
銀角が呟いた。
ゴブリン討伐証明の要領でハナテンの耳を採取したことを思い出したのだ。
それでも透明な袋に入った討伐証明を受け取ったシャインからは、ねぎらいの言葉だけで特に指摘はなかったのだが。
医官が銀角にくだんのケースを手渡すと、銀角は敬礼をして小走りに部屋を出た。
一刻も早く遺伝子照会をするように命令されているのだ。
地球は人類発祥の惑星であり銀河連邦の盟主である。しかし、地球においては銀河連邦設立後も国家ごとに独立した軍と警察が存続し続けていた。
銀河連邦には火星のような軍と警察が銀河連邦直下であるものと、地球やタウ星のようにそうでないものが混在しているのだ。
銀河パトロールは日本の警察庁の上位機構であるが、組員たちの遺体をその場に残して日本の警察組織に余計な情報を与えることは望ましくない。
ハナテンの歩兵戦闘車の動画データ流出のような事案が発生したり、マスメディアなどの民間組織に銀河連邦軍と銀河パトロールの秘密作戦の内容が流出するリスクが増すためである。
組員たちは生死のいかんにかかわらずペントバルビタールを打たれて、死体収納袋に入れられてトラックへと積み込まれた。
オーサッカ組の敷地を取り囲んでいた、警察と消防の車両がサイレンを鳴らして動き出した。
『近辺で爆発が起きます!! 直ちに家の外に出て避難をしてください!! 爆発が起きます!!』
警察と消防の車両から、切迫した警告が発せられた。
自衛隊を装った連邦軍から、帝塚山組に仕掛けられていた自爆装置の解除に失敗したという連絡が入ったためである。
消防と警察によって、爆発物が発見された際の対応マニュアルを遵守した住人の避難誘導は完了をしていた。しかし、このときになって避難勧告を無視して家に潜んでいた住人たちがわらわらと外に飛び出してきた。
この数分後に、自衛隊の車両も隊列を組んで帝塚山組の駐車場を出立した。
自衛隊の車両が非難区域を出た刹那、強烈な爆発が帝塚山組の建屋を襲った。
連邦軍が仕掛けた爆薬が一斉に爆発したのである。
スーツ姿の歩行者の女が、大きな音と地響きに驚いてたたらを踏んでみっともなく這いつくばった。
道路を閉鎖するために立っていた警官たちもあまりの爆音に首をすくめた。
「また、派手にやったな」
金角の運転する6桁数字の自衛隊ナンバーを付けたエルグランドの後部座席に座ったシャインが感想を漏らした。
「やってる感アピールです」
助手席にすわった銀角がシャインに答えた。
((アネさんが派手にやったから))
金角と銀角は心のなかでそう呟いた。
銀河パトロールのシャインが火星で派手にやったために、銀河連邦軍としても「やってる感」を演出するために証拠隠滅を兼ねて建物を派手に破壊したのだ。
オーサッカ組の爆発は偶発的な自爆であったのだが、結果に着目して経緯が軽視されるのは人の世の常である。
「やってる感は不可欠だな」
シャインは大きく頷いた。官民問わず「成果を出す」のが第一義なら「やりましたアピール」は第二義に入るのだ。
警察が帝塚山組付近を閉鎖したために、交通渋滞が起きて車が遅々として進まない。
死体を搬送するトラックの荷台には、くだんのラジカセが搭載されていた。そこから、音が外に漏れぬ程度のボリームで観音経が再生されていた。
回転ムラも、ピンチローラーの歪もなかった。磁気テープは最近作られたものと交換されて劣化はない。
しかし、磁気テープはピンチローラーに巻き込みをはじめた。
このとき、論理的な巻き込みの要因は存在しなかった。だが、運命的な因果により巻き込みが具現化したのである。
磁気テープがクシャクシャという音を立てて、フィルム素材が引っ張られる甲高い音を発した。
キュイーーーーーッ!! ガシャ!!
再生ボタンが外れる音がたつ。
荷台で二人の隊員が見張りをしていたが、仕組みを知らぬ昭和のラジカセを前に互いに顔を見合わせた。
「梅田天功イリュージョンワールド!!」
遺体収納袋を引き裂いて梅田が立ち上がる。荷台の隊員たちは目を見開いて息を呑んだ。
梅田は自分の手首の脈を確認した。
「心臓も動いとる、これは定めなんや」
隊員たちは梅田を取り押さえようとするが、まるで金縛りに遭ったように身体の自由がきかない。
「ほなな」
梅田は後部の幌を無理に引っ張って隙間を開けると、渋滞で止まっている車両から飛び降りて逃走をした。
車両無線機が梅田の逃亡を伝えた。
「まさかぁ」 「生き返った?」
金角と銀角が素っ頓狂な声を出して訝しんだ。
「この格好では、後を追えないな」
シャインは腕組みした袖の迷彩パターンを見つめた。
狐につままれたように滑稽なことも、目が覚めるまでは仕組まれたことに気がつかぬものだ。
◇
昨日のことである。
シャインは難波駅を降り立った。ロケット広場を通り抜けて、でんでんタウンと呼ばれる電気街に足を運ぶ。
火星のオーサッカ組で功徳を施した際に失った、ラジカセを模した音楽プレイヤーを探していたのだ。
しかし、秋葉原よりも規模の小さな電気街にはそのようなキワモノは置いていない。
この日の空はどんよりと曇って、ときおり小雨が降っていた。
1月下旬であっても気温の高い大阪は雪の心配はめったにないのだが、雪よりも冷たい雨のほうが人を陰鬱な気分にさせるものだ。
あきらめて踵を返したときに、黒電話や金属羽根の扇風機を売っている小店に目が留まった。
シャインは見えない何かに引き寄せられるが如くその店に足を踏み入れた。
「いらっしゃい」
薄暗い店舗の中で円いテーブルに肘を置き、パイプ椅子に座って煙草を吸っていた妙齢の店員が挨拶をした。
色白な鼻筋の通った小粋な顔立ちで、艶やかな黒髪を後ろで束ねた薄化粧の女である。
ラメ入りの黒いセーターとタイトなヒョウ柄のノータックパンツが、細身の身体と引き締まった腰回りのラインを強調していた。
「ラジカセはありますか?」
「たとえば?」
「AIWAのステレオラジカセ、テープはSONYのHFシリーズで」
思いつきを口にした。
「そうだいねぇ」
椅子から立ち上がった女がゴソゴソと奥の間を漁ってブラックカラーのラジカセを持ち出してきた。
「Nationalのラブコールトリプル RX-F333」
看板に偽りのないデッキが横一列に3台搭載された変態仕様のブツである。
「うわぁ頭悪そう」
シャインは本音をこぼした。3連デッキで喜ぶのは馬鹿と小増だ。
「なから言わいね」
女はカラカラと笑った。
ヘッドとその周りを確認すると、ヘッドのメッキの摩耗もなくデッキのピンチローラーも真新しい。
「ポチッとな」
女店員がTechnicsのRT-60LNカセットテープを入れて再生ボタンを押すと、黄色いリールハブがカタカタと回転して観音経が流れだした。
お経の入ったテープはあまりにも都合が良すぎる、そしてこの地では上州の訛りは珍しい。しかし、そのときのシャインは違和感を覚えることなく、ラジカセを購入して観音経のテープをおまけに貰い店を後にした。
そういう定めであったのだ。