第4話 遍歴の巫女
組長がボタンを捻ってロックの解除をすると、外れた踏み板がゆっくりと元の位置に収まった。
組長は、教祖の目を見据えてこういった。
「ほなセンセ、この虫けらどもに説法したってください」
「ななな、なにいっとんだねっ!!」
法の華仏法教会の教祖である五所川原二郎は、声を震わせて組長に抗った。
「センセのほが、なにゆーたんなやて」
質問返しをした組長は声を荒らげた。
「あんなぁ! 教誨師の最期の説法やんか!! そいでセンセが執行ボタンを押しますのンや」
「断る!!」
「お孫はん、静岡の富士市で組員と遊びにいてまっせ」
「なっ!!」
教祖は蒼い顔をして立ちあがった。
「無論、ロハとちゃいます。一発目で床が抜けたら1千万、二発目で500万、三発目で100万のハズレ無しや。もーちろん、もちろん、教誨師のお布施は別だっせ」
組長は得意満面な顔で教祖を見上げた。
「ハナテンはセンセのケツ持ち、センセはハナテンのシノギを洗う…………だけちゃいますよね?」
教祖はさっと目をそらした。
「ちんたらやってられしめへんねンや」
海賊ギルドの幹部たちは危機感をつのらせていた。
彼らには数年前まで存在した銀河連邦特別高等警察、現在の銀河パトロールの特高警察部が手段を選ばずにハナテンを消した理由に心当たりがあるのだ。
「わてには、ごっつい戦国武将の守護霊をつけたってください」
組長は満面の笑みを浮かべた。
◇
秋森県巌樹山の山麓の集落にある氏神神社、五所川原二郎はそこの次男として生まれた。
じりじりと暑い梅雨晴れの昼下がり、当時八歳の二郎が社務所の裏手で地蜘蛛の巣を引き抜いて遊んでいると、この集落の元区長を先頭に青年団と見知らぬ人たちがリヤカーを牽引してやってきた。
リヤカーの上にはアラフォー女が載せられていた。色あせて粉を吹いた戸板に、トラロープで括りつけられた尋常ならざる光景である。
女はキチガイの形相で金切り声をあげていた。
青年団のリヤカーは神社の離れに向かった。離れはトタン屋根の平屋の21畳の畳の間で、集落の人々が地区の集会所として利用するためのものである。
男たちが掛け声とともにリヤカーの荷台から女ごと戸板を持ち上げて、平屋の畳の中央に運び入れた。そして、集落に住む女たちが座布団を持って戸板の周囲に置いていく。
中央に置かれた座布団の上に、扇子を持った年配七〇代後半の男が腰を下ろした。この地区の元区長で、引退後もこの付近の世話役をしている年寄りだ。
「やっぱ狐でねーがなぁ、八百比丘尼さまはど思っちゃぁんだば?」
元区長は、戸板を挟んで座っている娘に問いかけた。
八百比丘尼と呼ばれた娘は年の頃は一七、八。透き通るような色白で可愛らしい顔立ち、いまは白の小袖に単衣の緋袴を履いた巫女装束。アホ毛の立った濡れ羽色の長い髪を後ろで束ねて、束ねた髪が揺れるたびに、山茶花のような、ほんのりとよい香りが漂ってくる。
「いますぐ診てみましょうね」
八百比丘尼は優しい声で返事をした。
「はい……」
遠い少年時代と変わらぬ八百比丘尼の容姿と声に、世話役は年甲斐もなくはにかんだように俯いた。
八百比丘尼は、女帝として知られる斉明天皇の時代に人魚の肉を食べて不老不死となり、北海道と沖縄を除くほぼ日本全国を遍歴する巫女である。
柳田國男などを始めとする民俗学者の調査によれば、八百比丘尼の説話の分布は東日本に偏っている。しかも人魚伝説と縁の遠い武蔵国の内陸部にまで数多くの足跡が残されているのだ。
これらの地域が、八百比丘尼の馴染みの逗留地であったことは想像に難くない。そしてまた、東北の深山にあるこの神社も八百比丘尼に縁のある場所のひとつであった。
八百比丘尼は、寝かされたアラフォー女の腹に両手を当てた。ゆっくりと、両手を胸から頭に、こんどは頭から足先へと移動させていく。
「……いる」
八百比丘尼はそうつぶやくと、傍にある唐草模様の風呂敷を解いた。その中に包まれていたのは「犬」と墨で書かれた白木の木杓子である。
「えいっ! えいっ! えいっ!」
八百比丘尼は可愛らしい声とともに、寝かされた女の身体のあちこちを白木の木杓子で叩き始めた。すると、女はたちまち苦悶の表情を浮かべて詫びを入れ始めた。
「かんにんやっ、かんにんやっ」
「許しません えいっ! えいっ! えいっ!」
ポコポコと軽く叩くだけなので、到底痛そうには見えない。しかし、女は半狂乱となった。
「くぁwせbrftgyふじこlp!!」
女はふじこと叫びながら身体を痙攣させた。そのとき二郎は、うわっという声をあげて尻餅をついた。まわりの大人たちが、じろりと二郎を睨みつけた。
(ここでたででた犬っ!!)
八百比丘尼が持った木杓子から、わさわさな秋田犬の霊体が湧き上がっていた。その犬が、女にとり憑いた狐の霊体に噛みついているのだ。
八百比丘尼を除けば、二郎ただひとりがその光景を肉眼で捉えていた。二郎は、犬の霊体に見覚えがあった。それは、かつて神社で飼われていた犬の姿であった。
やがて、女は絶叫を発しながら失禁をした。その刹那、狐がするりと抜け去ると犬が女にとり憑いた。
二郎は年経ってから、かのションベン女が犬のように従順な性格になったことを聞いた。
◇
「ハナテンのとこの若いもんが、犬のように従順やゆうのんはえらい評判でしてなぁ」
教祖は、組長のおしゃべりをうわの空で聞いていた。
二郎は、木杓子がオシラサマの依代として用いられる風習を知っていた。それで、あの木杓子に亡くなったオシラサマとして犬の霊を封印していたのに相違ないと考えた。
そこで、八百比丘尼の元に行き、昨日観た犬の霊魂の話をしてやり方を教えてほしいと幼らしくねだったのだ。
二郎の願いを聞いた八百比丘尼は一計を案じた。
貪欲な知識欲は子供の性分であり、そして二郎は霊を視ることができる。ここで自分がやり方を教えずとも、早晩にどこぞのイタコなどから見聞きして技法を会得してしまうに違いない。その際に二郎の霊能力を知った悪い大人が、子供を騙して私利を図るようではけしからぬ話だ。そこで伝授をする代わりとして二郎の真名を握り、成人をするまでは他言無用の呪をかけた。
「ほいでまぁうちとこの若いもんも、センセとこで修行させてもらいたいと思てますンや」
この修行とは、法の華仏法教会の八角円堂『ヤハウェ仏舎利殿』で行う犬憑かせの儀である。犬を憑かせることによって、従順さにおいて性格に難のある組員もそれが矯正されるのだ。
『ヤハウェ仏舎利殿』は前述の儀式のための施設であり、そこに釈迦とキリストの遺骨はない。あそこに収められているのは、犬の霊の依代となった数多の木杓子だ。
「犬も組員分用意させてもらいまっせ、ハナテンとなんもかわれしめへんが」
組長はペラペラと言葉を紡いだ。
「……豊中」
教祖はハナテン事故死の報を聞いた後に連絡の取れない男の名前をポツリと呟いた。
豊中は快楽仏舎利殿に犬を納入していたオーサッカケンネルの代表である。
オーサッカケンネルはハナテンのオーサッカ組のフロント企業で、豊中はオーサッカ組の副組長でもあった。
「と、豊中は直に盃やって火星に行かせてまんねや……」
組長は、顔色を青くして嘘をついた。
霊視をした教祖の眼中には、豊中の霊魂が恨めしげに、組長の背後に漂っているのが見えている。豊中はこの場所で絞首刑になり、遺体は瀬戸内海にある島の産業廃棄物の最終処分場に埋められていたのだ。
◇
はじめは、ただの善意に過ぎなかった。
二十二歳のときに故郷を出て上野駅に降り立った五所川原二郎は、大手町にある商社に入社をした。結婚をして子供も生まれ、飯能に建売りの住宅も買った。やがて五十八歳となった二郎は、ここで過ごす平凡な人生の晩節をぼんやりと考えていた。
そんなある日、天覧山の寺の前でバスを降りて家路を急ぐ二郎は奇妙ななりをした女とすれ違った。歳に似つかわしくない、薄手のピンク色をしたワンピースを着て素足で歩くアラフォーだ。
(キチガイか……)
二郎の脳裏に、少年時代に見た狐に憑かれた女の姿が思い浮かんだ。それでつい目の前の女の霊視をしてしまった。
「あっ!!」
思わず声が出た。
年増女の頭上には、狐のケモミミが生えていた。
「メンチきったぁなや」
女がかすれた声ですごんだ。
「なに見(霊視)たぁねん!! 調子こいたンなぁっ!!」
物の怪に憑かれた狂人は、暴力を振るうことに遠慮がない。
女は鬼の形相で二郎に飛びかかると、ネクタイをぐいぐいと引っ張った。
二郎は必死になって、女の手を振りほどこうとした。
「やめなさい! やめなさい!」
女は、ますます興奮をしてネクタイを手放さない。
「すいません、警察を呼んでください!!」
二郎は、道路の向かいで様子を伺っていた若い男に大声で叫んだ。若い男は、スマホを取り出して110番通報をすると、二郎に加勢をして女を取り押さえた。
駆けつけた警官が、二郎から事情を聞いているあいだに女の両親があらわれた。二郎の目には、女の両親のくたびれ果てたその姿が、とても老いて小さく見えた。
「お医者さまからいただいたお薬もきちんと飲んではいるんですが…………」
そう女親が嘆くのを聞いて、人の親としてなにも感じぬ二郎ではない。
仮にかの女に暴力を振るわれねば、打ち遣って置いたのは想像に難くない。しかし、現にこうして迷惑を被ったからこそ、ここで看過をしては腹いせで見捨てるようで心が責められる。
二郎は故郷を発つときに、自分で犬の霊魂を憑かせた依代の木杓子を持ってきた。そして、こうなったのもなにかの因果であろうと考えて、後日になってかつて八百比丘尼がやったように女の憑き物を入れ替えた。
世間の口に戸は立てられぬと見えて、やがて憑き物に悩む大勢の人が二郎を尋ねるようになった。
二郎の家族は気味悪がったが、憑き物で精魂尽き果てた人々を無碍にも出来ない。相談される大半は精神病で、なにも憑いていなかった。しかし、中には本物の憑き物があるのである。
その憑き物を落とした後には、狐などに打ち勝つ霊魂を憑かさねばならぬ。憑かれやすい器を持つ者は、落とすだけではまた悪霊に憑かれてしまうからだ。
依代を宿した木杓子に在庫はない。二郎は休日を迎えると、まるひろ百貨店の紙袋に木杓子を入れて犬の霊魂を探し歩いた。
人間の霊魂は初七日は現世を離れぬというがそれは違う。
二郎の見立てでは凡そその期間に霊魂が漂っている場合があるだけで実際にはそうではない。鶏は三歩歩くと忘れるというが、実際に思念と魂の消滅には関係があるらしい。田舎で飼っていた鶏は絞めてから半刻もすれば霊魂が消えてしまうのだが、犬猫やカラスなどの霊魂は翌日まで残って遊んでいることが多い。
そして、人間のように知能の高い思念の強いものであれば、成仏をせずに地縛霊となってしまうこともあるのだ。
さらに犬の霊魂ならば全て良いのではなく、狂犬や臆病で卑屈なものも少なくない。大人しやかで強靭な霊魂を見つけるのは容易なことではなかった。
それからほどなくして、二郎は家族と別居を余儀なくされた。憑き物を落とされた者やその肉親の一部が、二郎を教祖のように祭りあげて家族の世間体が悪くなったのだ。
いまでは二郎がひとり住まいをしている成増のマンションに、ひっきりなしに依頼人が訪れるので心身の安寧を得ることがない。
「こんなはずじゃあなかった」
定年退職をしてもなお、忙殺された日々を送る二郎は嘆いた。そこに、赤福餅の菓子折りを携えて現れたのが、オーサッカケンネル代取の豊中であった。
「先生、うちとこでワンちゃんを用意させて貰いませんやろか」
二郎は、その話に飛びついた。そもそも、犬の霊魂が必要であることをどこで調べたのかなどと、疑うべき点は数多くあったのに、そのときは冷静な判断力を失っていたのだ。
豊中の持ち込む臨終間際の大型犬は、どれも多幸感に満ち溢れた素晴らしい魂の持ち主であった。その犬たちは、合成ヘロインと毒薬によって、多幸感を抱き死の淵に追いやられていたのである。
二郎がその事実を知ったときには、もはや引き返せぬところまでオーサッカ組に取り込まれていた。こうして今日まで、ハナテンの傀儡として裏でマネーロンダリングを引き受ける教団を立ち上げて、ハナテンの子分たちに犬の霊を憑かせてきたのだ。
◇
ソファーにふんぞりかえった組長の横に組員の一人が膝をついた。組員が組長の耳元でなにかを囁くと、組長は表情を固くした。
「銀パトが来よった……」
銀河パトロールが事前通告なしに組の敷地を包囲して、何者かが敷地内に侵入をしているとの報せである。すでに数名の組員とは連絡が取れない状態であった。
組長は、姿勢を正すと背を伸ばした。
「センセ、いますぐわてに戦国武将を憑けたってください」
「急に言われても」
「おぃ!」
組長は片手を上げて、先ほどの組員に合図をした。
組員は手に持っていたスマホを取り出すと電話をかけた。そして、電話が先方と繋がったことを確認すると、スマホを組長に手渡した。
『まったく、小学生は最高やで!!』
スマホから音声が流れた。
組長は、水戸黄門の格さんが印籠をかざすようにスマホをかざした。
「はっ!!」
教祖は驚きのあまりに声が詰まる。このときまで動揺を見せずにいた金角と銀角も、それを見ると目を大きく見開いた。
画面には見知らぬ部屋の椅子に後ろ手に縛られた状態で、猿轡をはめられてもがきうごめく幼女が映しだされている。それは、金角と銀角とも面識のある教祖の孫娘であった。幼女は上半身に体操服を着せられて、下半身におむつを装着させられている。
画面の中の組員たちが、マジックハンドで幼女の身体のあちこちをこちょこちょとくすぐる。その都度、幼女はいやいやいやいや、とツインテールを揺らして大きくかぶりを振った。
「うちの組員たちは『こども大好き』やから、センセが協力的なうちはこれ以上せーしめへんが」
こども大好きなのは結構なことである。しかし、方向性を間違えると大変危険なのだ。
教祖は、ハイエンドなロリコンのオーラに戦慄した。もはや、組長の言いなりになる他はなかったのである。