第1話 一日一善
太陽系第四惑星火星、マリネリス渓谷のナンバシティ。
そこに、海賊ギルド所属の広域指定暴力団『オーサッカ組』本部があった。
チーーンッ!
仏前のリンのような音色が、エレベータの到着を告げた。変哲もない鈍色の扉が、観音開きにすーっと開かれる。
『佛説摩訶般若波羅蜜多心経ー♪ 觀自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄♪』
般若心経の読経が響き渡り、強烈な線香の香りが漂ってきた。
エレベーターの中には、鈍色のボンテージ鎧を着た若い女が立っていた。
癖のないブロンドヘアーを長く伸ばした、均整のとれた艶かしい肢体の女だった。
女は美しい顔立ちの濡れたような紅い唇を開くと、白い歯を覗かせて甘い吐息を漏らした。
ざわっ……ざわっ…………
エレベーターホールに集まった六人の男たちはざわめいた。
「なんや、わりゃ?」
小豆色のジャケットを着た男が前に出た。
パンチパーマにチョビ髭を生やした、短躯肥満でぽっこりと腹の出た中年である。
女が肩に載せたラジカセを模した音楽プレイヤーから、大音量の般若心経が響いている。
女はフロアに足を踏み出すと、中年の男に問いかけた。
「あなたがハナテン・オーサッカ組長か?」
「せや」
「銀河パトロール特高警察部のシャインだ、無駄な抵抗はやめて投降しろ」
これを聞いた男たちは一斉に哄笑した。
「ひぃっひっひ!」 「なにをゆーたーねん」 「アホすぎんで!」 「なめとんわ」
オーサッカ組のハナテン親分は声を張り上げた。
「ほんま、草不可避とはこのことやで!!」
ハナテンは、つかつかとシャインに歩み寄る。
シャインの身長は177cmである、一方のハナテンは10cm以上も背が低いチビだ。
それでもハナテンはひるまない。なぜなら、彼は女子供には滅法強いのだ。
「下のフロアにいた子分がやられたようやが、お礼をせなアカンな」
「ほう、それは楽しみだな」
「クククッ、あんた3分後には『くっころ』言うとンで」
「お前は、なにを言ってるんだ?」
(ここは、一発ビビらせたらなアカンか……)
若い女にお前呼ばわりをされたハナテンはカチンときた。
(わしのパワーを見せつけたんわ、ぷぷっ)
「組手用意!!」
「押忍!」
ひとりの男がついと前に出た。
エラの張った顔をした、黒のスーツに身を包んだ大男である。
「わしゃ、実践組手なんや!!」
シャインに向かってそう言い放つ。
「しゃっ!!」 「おうっ!!」
いきなり組手を開始すると、ハナテンと子分は激しい突きの応酬を繰り出した。
子分の上段刻みを弾いたハナテンは中段突を決めた。そこで、子分が屈んで動きが止まったところに、ハナテンの派手な外回し蹴りが側頭部に炸裂した。
バンッ!!
「アイゴーっ!」
蹴りを受けた子分は壁際までゴロゴロと転がり気絶をした……真似をした。
ざわっ……ざわっ…………
「な、なんちゅう威力や!」 「さすが親分や!」 「すごすぎんで!」 「ごっついチカラや!」
子分たちが感嘆の声を上げた。
「わしゃ、自分で自分の力が恐ろしいで!!」
親分は鼻息を荒くして胸を張った。
「接待組手はそれで終わりか?」
仏頂面のシャインがそう尋ねた。
(……なんやと?)
カッとなったハナテンは、真っ赤な目をして怒声をあげる。
「もういっぺん言うてみいや!!」
「接待組手はそれで終わりか?」
「男女平等パーーンチ!!」
ハナテンは、シャインの鳩尾に鉄拳を見舞った。
ドンッ!!
数秒が経過した。
「…………なんで、倒れへんのンや?」
日頃の接待組手で己を過信していたハナテンが呆けた顔をした。
「知るか馬鹿」
シャインは膝蹴りを入れた。
ゴッ!!
体重の乗った鈍い音がした。
「んほぉっ!!」
アヘ顔になったハナテンは、後ずさりをしてドスンと尻餅をついた。
シャインは、踵を返してエレベーターに搭乗した。そして、握りこぶし大のものをハナテンに投擲するとボタンを押して扉を閉じた。
ハナテンの顔にゴツンと硬いものがぶつかって床に転がった。
ハナテンは目を見開いて驚愕した。
「…………ひぃ!」
目の前に、電着塗装を施された手榴弾が転がっていた。
皆が引きつった声を出して、我先にと逃げ出した。
ハナテンと子分たちは、スターゲート(転移門)のある組長部屋に続く廊下へと殺到した。
「ど、どいたらんかいっ!」
出遅れたハナテンが、怒声をあげて人垣をかき分ける。
子分たちは、逡巡することなく道を譲った。
手榴弾の遅延火薬に着火した。
手榴弾は猛烈な勢いで炸裂して、周囲に無数の切片が飛び散った。
破片は男たちの肉体を抉るように突き刺さる。倒れた彼らの体からじわじわと血溜まりが広がった。
シャインはエレベーターの扉を開いた。
エレベーターホールには、手榴弾の餌食になった男たちの骸が転がっている。
「南無阿弥陀仏」
シャインは数珠を持った手で略礼をした。
「もうアカン……」
まだ息のある子分の一人が、うめくようにつぶやいた。
親分の外回し蹴りを誇大表現して、気絶を装っていたエラの張った男である。
手榴弾の爆風と破片は、水平よりも斜め上に威力を発揮する。この男は床に伏せていたので即死をまぬがれたのだ。
「一日一善」
シャインは、慈悲深い弥勒菩薩のように微笑むと、男のそばに般若心経のラジカセを置いて功徳を施した。
「……あいつ、いないじゃん」
ハナテン組長は逐電をしていた、子分たちが肉の盾となったのだ。おまけに、子分たちを押しのけた際につまずいて、床に転倒をしたことで被爆をまぬがれたのである。
ハナテンは組長部屋にたどり着くと、糸屋格子の引き戸をロックした。
シャインはホルスターから38口径のニューナンブを抜いて組長部屋に向かう。
糸屋格子の横に立つと声を張り上げた。
「投降しろ!! 抵抗すれば撃つ!!」
「わ、わかった!!」
引き戸のむこう側からハナテンの声があがった。
(そっちか)
声があがった方向に、格子の隙間から射撃を浴びせた。
「いてこましたんぞ!!」
ハナテンが毒づいたと同時に、シャインは引き戸に体当たりをして打ち破った。
部屋の奥でスターゲートに飛び込むハナテンの後ろ姿が見えた。
シャインはその背中を狙ったが間に合わない。
ドーンッ!! ドーンッ!!
爆音と振動が、階下から伝わる。
ビル内に仕掛けられた自爆装置が起動したのだ。
「チィッ!!」
スターゲートに向かって駆けだした。
シャインの姿がスターゲートの中に消えた刹那に爆風が部屋を飲み込んだ。
オーサッカ組の五階建てビル全体が紅蓮の炎に飲み込まれた。
ラジカセからありがたい般若心経が響いている。
『羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経』
(悟りに至れ 悟りに至れ 彼岸へと行く者よ 偉大なり! 般若心経)
「熱いーっ!! 熱いーっ!! 熱いーっ!!」
南無三宝、エラの張った男は読経の中で業火に焼かれて成仏をした。
スターゲートは、一定量の硝酸ウラニル水溶液を吸収して起動するワープ装置の一種である。
火星に残された超古代文明の遺跡から大量に発掘されたものだが、いまだにその内部構造がよく解っていない。
それは半径50センチほどの丸く薄い超硬度の円盤で、人類があまねく銀河に繁栄を築いた今日にいたっても『削れない』『溶けない』『透けない』三拍子揃ったブラックボックスなのだ。
スターゲートは一方通行で、入口と出口にわかれてセットになっていた。
ただし、その比率が極端に偏っていた。
出口が1個に対して、入口が128個あるのである。
それゆえに一部の例外をのぞいては、出口の大半が銀河連邦の管理下に置かれていた。
くじら座のタウ星。
その星のニッポン大陸のオクタマ州に、水の浸食によって生じた渓谷がある。そこに、日原鍾乳洞のような入口の石窟があった。この大石窟の最深部に鎮座するのは、マヨヒガ教の崇拝する九尺様の大神像である。
シャインは大神像の足元に埋め込まれた、スターゲートの出口にうつぶせに倒れていた。
仄暗い石窟に気迫のこもった声が響き渡る。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
声の主は九字を切りながらシャインにしのび寄った。
相手はうつ伏せになったシャインに手を伸ばした。
シャインの身体を仰向かせることに腐心をしていると、ふいに右腕を掴まれて身体が引き下がる。
あっ、と思ったときにはシャインに組み伏せられていた。
「折伏!! 折伏!!」
相手は少年の面影を残した青年だった。
青年は気が狂ったように折伏と叫んで藻掻いたが、シャインが銃を相手の頭につきつけると大人しくなった。
シャインは青年に手枷をした。
青年のショルダーバックの中には小銭入れと、ガムテープ、ナイフ、ロープ、ローションが入っていた。
「私に乱暴する気だったのか!」
語気を荒げながら相手をねめつけた。
「銀河パトロール相手にいい度胸だな」
青年のショルダーバックからロープを取り出すと青年を縛りつけた。
ガムテープで目と口をふさぐと、ロングブーツの先で蹴りを入れる。
「アッー! アッー! アッー! アッー! アッー!」
青年は蹴られるたびに身をのけぞらせて奇妙なうめき声を漏らした。
シャインの知らぬ間に、青年のズボンの股間が膨らんでいた。彼はいま、抗えぬ暴力から与えられる不安によって体中に沸き立つような恍惚を得たのである。
「THE HENTAI!!」
シャインは、変態を石窟に放置したまま歩き出した。
石窟の出入口付近に、くだんの青年のものである鍵をつけたままのKLX250が置いてあった。シャインはその二輪を拝借して走りだした。
渓谷沿いの道を駆け抜けると、草木の匂いをまとった風がまとわりついてくる。砕石場のトンネルを低速で抜けたところでシフトアップした。そのとき、スコンとギヤが抜けた。
(カワ車だからね……)
このひとことで許されるのは、ス○ルのギヤ鳴きが許されることと同じ道理である。
そうして、二時間ほど走るとようやく街が見えてきた。
モルタル敷の大通りから乱雑に伸びた砂利道を、セメント瓦葺き屋根の文化住宅が取り囲んでいた。
「あのね、あのね、ここはタウせいってゆうの」
公園にいたツインテールの幼女に尋ねると、ここがくじら座のタウ星であることが判明した。
タウ星は地球の日本列島を国家とする人々を移植民として開拓された惑星である。
シャインは眉をひそめた。
海賊ギルドは日本の裏社会から発展した組織である。
ハナテンは日系の火星人であり、タウ星は隠れ蓑に事欠かない惑星なのだ。
さらにタウ星には自治政府の警察機構が存在している。そのために、上位機構である銀河パトロールといえども直接介入が容易ではないのだ。
シャインは、有線放送の演歌が流れる商店街を抜けて裏通りに足を踏み入れる。
突然、脇道から現れた男たちがシャインの行手を遮った。
シャインは、鳶色の双眸の奥から射抜くがごとき視線で三人組を見た。