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トワの学習帳シリーズ

トワの大いなる学習帳:「死」

作者: 神西亜樹

「死とは何?」

 真打の登場である。とうとう痺れを切らしたゴジラが街を破壊しにやって来たのだ。俺は白い部屋の中央であぐらをかきながら、こちらを見下ろしている少女のなりをした怪獣を苦々しい思いで見上げた。

 少女(名をトワと言う。この夢の世界の主である)が死という概念に興味を持ち始めたのはもう随分と前のことになる。その摩訶不思議な価値観は彼女の深層の部分に疑問として密かに根を張り、静かに勢力を拡大していたが、強い興味となって表に出てくることは長い間無かった。しかしジギという男が発したとある台詞によって、押しとどめられていた彼女の死への興味は一気に爆発することになる。

『知って幸福になるような事なんて何一つない。何一つだ。ただ死に近づくだけだ。“知る”って行為は“死ぬ”と同義だからな。だから俺は幼い頃から知らないで済むことなら知らないままでいるよう努めて生きてきた』

 彼のこの言葉は、トワのとってきた態度を全て否定するかのような発言だった。トワという少女は“知る”という一点に対してのみとても積極的だったが、それ以外のことになると途端に手を下げ身を引いてしまう。“知る”という行為は言わば彼女の行うアクションの全てだった。知的好奇心のみが少女を定義出来ていたのだ。ジギはその“知る”ということを否定した。その理由は「死に近づくから」というものだった。レゾンデートルに異を唱えられたトワはどうしてもこの発言から目を背けることが出来なかったのだろう。そういった経緯があって、彼女は死というものへの関心を強く深めていったのである。

 しかし俺はこの少女に“死”をどうしても教えたくなかった。それはこの少女の、いやこの少女の姿をとった存在の性質に理由がある。

 トワはどうやら自分が知っている以外のことに関しては如何なる事象や法則であっても自分自身の存在を縛られることが無いようだった。つまり食事を知らなければ腹も減らないし、睡眠を知らなければ眠気も来ないのだ。俺は“死”にもそれと同じことが言えるはずだ、と考えた。つまり、彼女は“死”を知らなければ死ぬことが無いのだ。しかし一たび“死”を知ってしまえば、彼女は“死ななければならなくなる”。それは生物にとっては当たり前のことだったが、ことトワという少女にとっては致命的になりかねない変化だと俺は思った。俺はこの少女の形をした「何か」には彼女という存在にしか出来ない役割が与えられていると考えていたからである。少女が死を得ることによって、彼女の役割が、意義が、もしくはこの夢の世界事態が致命的な欠陥を抱えるかもしれないことを俺は否定出来なかった。少女そのものが崩壊してしまうかもしれない。本当にゴジラが街を破壊しかねないのだ。

 しかしながら俺のその考えは先日彼女と会った際に暗に否定されることになった。死によってこの世界が崩壊することが無いことは、今は仮定とはいえある程度の担保をもって保障されていた。それならば話してやっても良いだろう。少女の幼く純粋な知的欲求を思う存分満たしてやろうじゃないか。そう覚悟を決めて、俺は自室のベッドの中で再びこの夢の部屋に召喚されるのを待っていた。まさか目を開けるなり質問されるとは思ってなかったけれども。


「死ってのは、生命活動が停止することだ。生き物は死ぬと、一切の行動も思考も出来なくなる。目を閉じ、そのまま二度と開かない」

「睡眠とは違う?」とトワが首を傾げた。

「違うよ」と俺は笑った。「睡眠は目を覚ますだろ?」

 トワは質問の内容を考えるために顎に手を当てて暫く俯いていた。彼女の次の言葉を待ちながら俺は立ちあがって腕を上げ、大きく伸びをした。

「生物は、皆死ぬのか?」

「あぁ、死ぬな」

「回避は出来る?」

「いや、出来ない。寿命に差はあるけど、絶対死ぬよ」

「死んだらどうなる?」

「さぁ?死んでみないと分からないなぁ。科学的に言えば、何も無いだろうな。人間の間では死後の世界があるって話が普及してるけど、真偽は誰にもわからない。冷静に考えたら、まぁ、生きている人の心を慰めるための方便だろうなー」

 俺は少女に語りきかせながら、我ながらニヒルなことを口走っているなぁと思った。女の子から嫌われそうな発言だ。

「じゃあ、何故生きる」

 少女が言った。その丸い目から発せられる強烈な疑問の熱視線は何の抵抗も干渉も受けずに俺の両目目掛けて一直線に投げかけられ、俺は思わず目を背けそうになった。少女は続けた。

「なぜ死ぬのに生きる?何故生まれる?必ず死ぬなら、生きるとは、死ぬということだ。生まれるとは、死ぬということだ。違う?」

「いや、違わないよ」俺は心底不思議そうな顔をして興奮気味に頬を上気させているトワに微笑んだ。「それで合ってる」

「なら、何故死ぬのに、生きる?何故アキラは生きている?」

 俺は勿体ぶるように少女の頭を撫でてから口を開いた。

「たぶんそれはちょっと考えが違うな、トワ。死ぬために生きるんじゃない。死ぬから生きるんだ」

 トワが先程とは反対側に首を傾げた。

「死ぬから生きようと思う。何かをして、何かを為そうと思う。大切なものを作ろう、守ろうと思う。生きるから死ぬんじゃない。死ぬから生きるんだよ」

 恐らく死というものが無ければ、誰も何かをしようとはしないだろう。行動するというのは少なからず疲労を伴うからだ。死があるからこそ、一生懸命という言葉が生まれる。

 トワは俺の言葉について暫く考えた後、珍しく自信が無さそうに上目遣いをしておずおずと口を開いた。

「知るとは、死ぬ?」

「いや、違う」と俺は言った。

「知るとは、生きているということだ。トワ、お前は今生きているんだ」

 ここまで言ってしまったらもう取り返しはつかないだろう。後は成り行きに任せるしかない。

「私は、生きている」とトワが言った。

「私は、生きている」

今日学んだこと

死・・・生きるための機能。

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