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残酷遊戯  作者: 輝血鬼灯
11/12

第11章 狂った楽園に下す審判

「猊下、チェシャ猫から連絡が」

「珍しいな。あれが計画の途中で指示を仰ぐなど。いつもは完遂まで定時連絡もサボりたがるものだというのに、さすがに自分の生国のこととなると話が違うか。それで?」

「白の王を殺害したと」

「……そうか」

 教皇こと〈ジャバウォック〉は簡潔な報告文書に目を通し、薄く口元を歪める。頭を垂れたままの伝令役の頭上に言葉を降らした。

「……まぁ、いいだろう。下手な細工を弄するくらいであればヤツが手を下すのが、もっとも自然な流れだ。あれは父親と確執があるからな」

「それでは」

「ああ、どうやらチェシャ猫の役目もこれまでのようだ」

 部屋の窓辺から伝書用の白鳩が飛び立っていくのが見える。

 鳩は平和の象徴、白は清廉の象徴だなんて、なんて滑稽な。

「代わりなどいくらでもいるからな」

 なんて滑稽な、御伽噺。


 ◆◆◆◆◆


 血だまりが広がる。

 横たわる事切れた身体、それを前にして一人呟く。伝書はもう送った。自分の役目はもう終わり……。

「可哀想な父上」

 妻に捨てられ息子に殺された白の王。王族に生まれたことは彼の責ではなく、妻に愛されなかったのも全てが全て彼のせいだというわけではないだろう。彼も十分に運命を翻弄されてきた。

「だけどね、僕も、僕たちも可哀想でしょう……僕だってオルドビュウスだって、努力はしたよ。ラヴィエスよりずっと」

 王族として国を継ぐには相応しくない身体。それでも努力はしたのだ。報われなかったけれど。

 チェシャ猫は呟く。血だまりに一滴、透明な雫が落ちた。

「……もう、何もかもがどうでもいいや」

 生きていることさえも。


 ◆◆◆◆◆


 ワンダーランドに帰ってきたが、何やら館中が騒がしい様子だ。

「あ、オルドビュウス!」

 ハートの王が帰ってきた時計ウサギたちを見つけ、真っ先にハートの女王へと声をかける。その声音にはいつものおちゃらけた調子はなく、ただただ彼を案じる響きがあった。

「ハートの王、どうしたんだ? この騒ぎは」

「どうしたもこうしたもないわよ、詳しくは時計ウサギの部下に聞いて!」

 ビルとメアリアン、それにイモムシ、三月ウサギと、ワンダーランドと王室の事情に関わる全ての人間が一室に集い揃う。そこでメアリアンから報告があった。

「白の王が殺害されました」

「何!?」

 父親の訃報に、ハートの女王と時計ウサギが顔色を変える。

「下手人は?」

「チェシャ猫……白薔薇の王国第一王子、エルドラウト殿下です」

「兄上!」

 報告者がメアリアンという時点で、彼女にチェシャ猫を監視するよう命じていた時計ウサギはそれに予想がついていた。しかしハートの女王は衝撃を受け、蒼白になった。

「それで?」

「まだこのことは表沙汰になってはおりません。しかし気づかれるのも時間の問題でしょう。今、国の上層部は大混乱です」

「公爵夫人は?」

「料理女づてに連絡がありました。すでに他の貴族と連携をとって、事態の収拾に動き始めています。我らにしても大臣たちの目を盗み政権に介入する一大好機ではありますが……」

「すぐに王城に向かおう」

「伯爵様」

「ここで話あっていても仕方ないだろう。とにかく、行ってみなければ始まらない」

「そうだな……時計ウサギの言うとおりだ。父上はすでにラヴィエスを後継者として指名しているけれど、王城の人々はそんなこと知らない……」

「でも」

 賛同したハートの女王の言葉に、ハートの王は強い不安の視線を向ける。

「では、私たちも行きます」

「三月ウサギ?」

「そうしたいんです。駄目ですか?」

「いや……いいだろう。だが、危険かもしれないぞ?」

「いいんです」

 話はまとまった。

 馬車に分乗して館を出る。慌ただしい出発となった。ハートの女王と王、三月ウサギと眠りネズミ、グリフォンに時計ウサギ、そしてアリス。

「アリスはここに残していかなくていいのか?」

「いいんだ。行くよね、アリス」

 あれだけアリスを巻き込むのは嫌がっていた時計ウサギが、彼女の手をぎゅっと強く握る。

 ああ、割れた卵は二度と元には戻せない。

 零れたミルクを嘆いても、元に戻ることはない。

 彼は決めてしまったのだと、その厳しい横顔を見上げながらアリスは思った。

 ふと視線を感じたような気がして彼女はふいに別の方向へと顔を向ける。

 そこには、眠りネズミがいた。彼は見えない目でアリスを見ている。その手に、しっかりと三月ウサギの手を握って。

 一方、三月ウサギの方は何か荷物を持っているようだった。

 ああ、みんな決めてしまったのだ。

「アリスタ」

 二度目の促しに、アリスはこくんと頷いた。時計ウサギが望むように。目に見えて彼はほっとした顔をする。

 それでいいのだというように、眠りネズミもにっこりと笑った。

 それぞれを乗せた馬車が、ワンダーランドと呼ばれていた建物から出る。

 何処からか、カチコチと時計の音が聞こえてきた。時を刻む時計の針。

 夢の時間は終わり、針は明日へと進む。


「……さよなら、ワンダーランド」

 誰かが小さく呟いた。


 ◆◆◆◆◆


「すぐに国の地方を固める貴族たちと連絡をとりなさい」

「地方ですか? 中央の人間ではなく?」

「地方よ。わからないの? このまま手をこまねいていては、王不在の間に紅が攻めてくるわよ!」

 混乱の起こった王城にて、公爵夫人は国の中枢を支える大臣たちと共に事態を収拾するため動いていた。

「犯人はまだ見つからないの? 手がかりなどは!?」

「いえ、それが、影も形も……」

「警備は何をしていたというの!?」

 国王暗殺の前では、犯人逮捕よりもむしろ次の後継者を誰にするかを定める方が重要になる。候補者は伯爵ラヴィエスだったのだが、何故か彼と連絡がとれない。それでも何とかせねばならないのだ。

「では例の書類にサインを……認印が足りない? 貴族の承認がって……なら私が押すわよ! それでいいのでしょう!?」

 思いがけず必要となった道具類を取りに、彼女は一旦馬車へ戻ると貴族街の邸宅へ戻る旨を告げた。忌々しげに王城を振り返った刹那、その建物が黒煙と紅い焔に包まれる現場を見てしまう。

「え……?」

 激しい爆音。あまりのことに、一音発したきり言葉が続かない。

「大変だ!」

「何があったんだ!?」

 周囲の人々も叫び出す。火の手が上がった場所が場所だけに、騒ぎになるのも早い。公爵夫人の周りでも我先にと逃げ出す人々がいる。馬車馬が爆音に驚き、嘶いて後ろ足で立とうとするのを、御者が必死で宥めている。

「何が……」

 燃える炎の熱波は激しく、爆音は一度だけでなく幾つも続いてあがる。煙の立つ位置や流れから察するに、何箇所にも爆弾が仕掛けられていたようだ。

「王城が破壊された!」

 誰かが叫んだ。


 ◆◆◆◆◆


 爆音の直後。

「走るぞ、アリス!」

 初めてワンダーランド流に彼女の名を呼び、時計ウサギは少女の細腕を掴むと抱えあげた。

「ラヴィエス!?」

 この混乱の最中、突然彼らから距離をとるように離れた弟の名をハートの女王は呼ぶ。腕を伸ばしたその瞬間、胸を灼熱が貫いた。

「え……」

「オルド!」

 ハートの王が悲鳴をあげる。

 熱い。痛い。

 視界の端で黒い影が揺らめいた。

「帽子、屋……・」

 彼の持つ剣には血がついている。ハートの女王の血だ。

「一体どういうつもりよ!」

 傷つき倒れたハートの女王を庇い抱えながら糾弾するハートの王の言葉に、しかし帽子屋が返したのは思いがけない言葉だった。

「この爆発は何だ。お前たちは何をしにここに来た」

「え?」

 一度目の爆音の後、あちらこちらで爆発音が響いている。炎が上がり、黒煙が立ち上り、全てを焦がしていく。

 白の城を、紅が染めつくしていく。

 それは自壊と敗北の烙印だ。

「ああ、ごめん。それは僕」

 これまでそこにいたのに見向きもされなかった人物が、声をあげた。

 帽子屋が目を剥く。

「三月ウサギ!」

「何故!」

 ハートの王は女王を抱きかかえたまま叫ぶ。答は目の前の青年でもその隣に立つ少年でもなく、腕の中から返った。

「復讐、か……この国、への……」

「オルド、無理をしては」

 喋るなと言いつけようとするハートの王の言葉を、女王は遮る。そして彼は首をゆっくりと動かすと、先程自分を刺した相手を見つめた。

「帽子屋……」

「やっと俺は、お前への復讐を果たせた。恨み言なら時計ウサギにでも言うんだな。手引きをしたのはあいつだ」

「そう……」

 弟が走り去っていった方向へと視線を移し、しかし死に掛けたハートの女王の瞳に憎悪は見えない。

「そっか……」

 あまりにも落ち着いているハートの女王の態度に怪訝な表情を浮かべ、帽子屋は思わず彼に問うた。

「……何故、俺を恨まない。お前はまだ息があるのに、今ならどんな罵倒もできるのに」

「だって……」

 ハートの女王は言った。

「悪いのは……俺、だから……」

 一息ごとに傷口から血が溢れ、流れ出していく。そうして命を体内に流し捨てていきながら、女王は言葉を紡ぐ。

 いつかはこうなることがわかっていた。

「冤罪で、牢、に……辛かっただろう……俺は、……お前に何も……できなかった」

「!」 

 帽子屋は常に憎んでいた。自らを投獄したハートの女王を。直接的には彼の責任ではないとはいえ、一人の人間が長い時間牢に入れられていたことをその本人は許せるはずがない。言葉の上ではハートの女王はいくらでも謝ったし、謝罪として金銭的なものやその他なんでも王族としての責任で整えると言った。だが帽子屋にとってはそれすらも、自らの失態を隠すための取り繕いにしか見えなかった。今日までは。

 帽子屋に刺されても帽子屋を憎まない女王の姿に、彼は殺してはいけなかった人を殺すのだと、もう取り返しがつかなくなってから知る。

 責められるまでもなく、彼は悔いていたのに。

 ふらりと帽子屋の足下が揺れた。がっくりとその場に両手をつき、地に伏せる。

「俺は、俺は……」

 三月ウサギが城中に仕掛けた爆薬のスイッチを手にしながら、そんな帽子屋の姿を眺める。

 一方、ハートの女王の命はもう間もなく消えようとしていた。

「オルド……」

「まさか、あなたの腕の中で死ねるとは思ってなかった」

「バカね。私はいつもあんたと一緒よ」

 ハートの王は彼を抱えたまま、無理に笑顔を浮かべる。

「逃げ……」

「この爆発の規模じゃもう無理ね。さっきいち早く走り出した時計ウサギとアリスちゃんは無事でしょうけど」

「ティア……」

 震える手を握る。指を絡める力ももうない女王の手に、王は指を絡める。離れないように。

「ずっと、一緒よ……」

 ハートの女王がしかたないように微笑んで、青い瞳を閉じる。

「移動しよう、帽子屋」

 離し難き恋人たちを気遣って三月ウサギは眠りネズミの手を引き、帽子屋に声をかけて場所を移した。

「三月ウサギ、お前、どうして……」

 いつの間にか眠りネズミの手に握られている爆薬のスイッチを目にして、帽子屋は先程の三月ウサギの発言を思い出しながら言った。

「女王が言っただろう。復讐だよ、この国への」

「どうして!」

「君を牢獄送りにしたから」

 帽子屋が言葉を詰まらせる。

「っていうのはあくまで理由の一端であり、本当は僕自身がこの国が憎いのかもね。様々な発明に目をつけられ、僕は国王陛下からいろいろな命令を受けた。ある時は王子たちや貴族たちの身体の改造。ある時は兵器の作成。でも……」

 三月ウサギはそこで言葉を切り、眠りネズミを見つめた。盲目の少年に一時的に預けた爆薬のスイッチを取り返そうとする。

「返して?」

 しかし眠りネズミは首を横に振った。

「ヤマネ」

「あなただけを罪人になんてしないよ、ヘイア」

 焔の中で、焔が広がっていく中でその笑顔だけが場違いなほどに明るい。

「ヤマネ、それ絶対意味わかってないよね……?」

 眠りネズミが今手に持っているスイッチ。幾つかはすでに押されて、残るはただ一つだ。そのボタンが押されれば、この城の全てが崩壊する。罪のある人もない人も、優しい人も残酷な人も全てを焔が飲み込んでこの国が終わる。

 荒地になった国でも、ジャックはきっと拾うだろう。それが悲しいことなのか、幸せなことなのかはもうわからない。白の王も、それを継ぐべき者ももう誰もいないこの国では。

 眠りネズミはそれでも微笑む。

「わかっているよ。ヘイア。僕だって、アリスだって本当は。あなたたちが悪い人だってことも、いつか誰かを傷つけることになるってこともね、ちゃんとわかっていたんだよ」

 見くびらないでと言いながらも、その口調は慈愛に溢れ酷く優しい。

「でもね。僕はこの道を選ぶ。僕もアリスも、何度だって、いつだって」

 例え地獄への道行きでも、あなたと一緒なら。

「戦争協力を拒んで城を追われたヘイアが、今人を殺すために爆弾を作ったことの意味、僕だってわかってるつもりだよ」

「ヤマネ……」

「そうしなければもうこの国は救えないと判断したからでしょう?」

 王位を継げないチェシャ猫、ハートの女王。王位を継ぐ気のない時計ウサギ。よしんば時計ウサギを王につけてもその次はジャックが率いる紅薔薇の国との戦争が待っている。全てを終わらせるには、もう白薔薇の国が自ら崩壊するしかない。けれど、城で無能の王に代わって権力をほしいままにしていた大臣たちは決してそんなことを許しはしないだろう。

 だから三月ウサギは最後の手段を使ったのだ。

 それでも罪は罪。

「ヤマネ」

 帽子屋が気遣わしげに呼びかけるも、眠りネズミが意志を変える様子はない。

「ハートの王も言ってたでしょ? ずっと一緒だって。僕たちも……一緒だよね?」

「……いいの? ヤマネ、アリスが好きだったんだろう?」

 三月ウサギが確認のように言葉を投げる。

 自分で仲良くしてやってと言ったにも関わらずこの結末。盲目が理由というだけでなく、自分につき合わせているせいで普段から人と触れ合うことのできない眠りネズミがあの少女と並んで笑顔を浮かべている姿は、三月ウサギにとっても救いだったのに。

 もう何度目か、またしても眠りネズミが首を振る。

「うん。アリスのことは好きだったよ。僕の大切な人だから、できれば幸せになってほしい。……でもね、僕はヘイアとハッタの方が、もっともっと大好きだから」

「ヤマネ……」

「だから、一緒に逝こうね……」

 少年の肩を、帽子屋が包みこむ。彼は泣いていた。縋るように。

 その様はまるで懺悔だった。

 それを見ながら、三月ウサギもようやく堪えていた涙を解放する。

「そうだね……だって僕たちは初めから狂人。狂った楽園であるこの国の、狂った住人だったのだから」

 眠りネズミの細い指がゆっくりとスイッチを押す。

 トランプが軽く舞い上がるように、焔が燃え上がり全てを包み込んだ。

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