(2)
うららかな昼下がり。セケィーダ村は美しい歌声に満ちていた。
今日の陽気を想い、美味しかった昼食を想い、新しい出逢いを想い、友を想い、なにより自分の最愛の人を想い。まるで村そのものが歌っているようだ。いい国と悪い国で言えば、比較的悪い国に立ち寄る機会の多かったイルドにとって、心が洗われる気持ちになる。
そんな心地よい歌声に耳を委ねながらイルドが案内されたのは、村の奥にあった螺旋状の奇妙な塔だった。仰々しく建てられた塔を囲う鉄柵の外から観察するに、塔の直径は少なくとも三〇メートルはある。
「すっげーもんおっ立てたんだな」
手で庇を作りながら、赤褐色の塔のてっぺんを仰ぎ見るイルド。感想は「高い」の一言に尽きた。世界で最も布教しているロザリオ教の聖書には、神が降りてこられるようにと人間が塔を造り神の怒りを受けた、という話しがあるが、この塔は本当に天にも届きそうなある種の威厳を湛えている。
「どうだい? なかなかのものだろ」
「ああ、すげーすげー。で、これなんなんだ?」
「本当に君は素直だね」
温かい眼差しを向けてくるリクルに、イルドが「ちゃ、茶化すなっ!」と顔を赤くして声を上げる。「褒めてるのに」と続けるリクルの隣では、必死に笑いを堪えるシェイナがバンバンと夫の肩を叩いていた。
二人の波状攻撃に、イルドがムッと顔を歪める。
対してリクルは心底面白そうに笑みを浮かべながら、「問題です」と言って人差し指をピンと立てた。
「この塔の階層は何段あるでしょう?」
「階層?」
首を傾けながら、イルドは視線を地面から徐々に上に持ち上げて螺旋の数を数え始めた。
1、2、3、4、5、………
指差し数えていくが、らせん状の建物はとにかく数えにくい。途中に二度ほど数え間違いをして、そのたびに一段めから数え直す。三度目のトライで、ようやく階層を数え終えた。
「……二十か」
「ぶー、残念。正解は十八だよ」
楽しそうに正解の数を口にするリクルに、イルドが「くぅっ」と悔しそうに眉を寄せる。そんなイルドの肩が誰かに掴まれた。視線を流すと、口を手で押さえたシェイナが、「ぷくくくく」と押さえきれない声を漏らしながら小刻みに震えている。
「しょうがねぇだろ! グルグル回ってて数えにくいんだよ!」
「回ってるのは、あんたの脳味噌と目ん玉でしょ」
涙目になりながら、にぃっと笑うシェイナ。
イルドは喉まで出かかった悪態をグッと飲み込むと、恨みがましく塔を睨みつけ、もう一度数を数える。四回目の挑戦は、明らかに数段残っている状態で十八を超えてしまった。
「どうする、五回目いっとく?」
「いや、もういい」
情けなく肩を落とすイルドに、シェイナは励ますようにその肩をポンポンと叩く。ただ、口からは「ぷくくくく」という笑い声は漏れたままだった。
「んで、結局これは何なんだ?」
どこか疲れたように訊ねるイルドに、リクルはどこか優越感に浸っていた笑みを引っ込め、とても柔らかな笑みを塔に向けた。
「【ゆりかご】。僕たちが産まれた場所だよ」
「お前たちが、産まれた?」
「うん。昨日、イルドは訊いたよね。『生まれた途端にこの姿になるのか?』『子供はどうする?』って。その答えが、あの【ゆりかご】なのさ」
慈しむように塔を見上げるリクルは、その視線を最愛の妻に向けて続けた。
「僕たちはあの【ゆりかご】の中で子を産むんだ。子は【ゆりかご】の中であらゆる災厄から守られ、十八年後に生まれ出る。例えこの世が滅んでも、この【ゆりかご】だけは朽ちること無く僕たちの子を守ってくれるんだ。ついでに、生活の知恵まで教え込んでくれる優れモノだよ」
「スリーピングシェルター(睡眠学習基地)……。いや、けど。こんな原始的な場所で」
イルドは科学が異様に発達した国で見た睡眠学習装置を思い出した。だが、これは規模が違う。一八年ものあいだ生命維持をこなしつつの学習入力など、以前の国の技術を持っても容易なものではない。しかも、この塔の中には何千、いやヘタをすれば何万人もの子が眠っているのだろう。それだけの人数をまかなうことなど……。
「コイツのエネルギー源はなんなんだ?」
真剣な顔をして考え込むイルドに、リクルは「さぁ」と肩を竦めて軽く答える。
「『さぁっ』……て、気にならないのかよ?」
「まったく気にならないって言ったら嘘になるけど、気にしても仕方がないからね。僕たちを守ってくれるありがたい塔、僕たちの子を未来へ届けてくれる【ゆりかご】。それで、十分じゃないかい」
塔に向けて畏敬の眼差しを向けるリクルに、イルドは軽く眼を閉じて「ふっ」と微笑みながら肩の力を抜いた。リクルの言うとおりヘタな詮索は野暮というものだろう。
眼を開け、イルドが再び眼の前に立ち聳える尊厳な塔に視線を向ける。まるで、少しでも太陽に近づこうと天空へと渦を巻く螺旋。大きな命の塊。たくさんの未来の集合体。
鉄柵の向こうでリクルを見下ろす【ゆりかご】の中に眠る子供たちは、どんな夢を見ているのだろうか。
イルドが逢うことのできない子供たちに思いを馳せていると、不意に塔が淡く輝き出した。
「な、なんだっ!?」
思わず声を漏らすイルド。手で作った庇の隙間から、太陽の色に良く似た山吹色の光が差し込む。
「「産まれる」」
落ち着いた様子のリクル、興奮したシェイナが同時に叫んだ。
眼も開けられないような強い閃光が徐々に引き、再び塔の輪郭が顕わになる。しかし、顕わになったのは塔だけではない。
「誰だ?」
引き潮のように収まる発光が、人のシルエットを浮かび上がらせる。光によって黒く塗り潰されていた姿が徐々に色彩を帯び、完全に塔がその輝きを納めると、一人の少女がそこに立っていた。
「ん、ん~ん、ふぁ~~……」
眼をしばしばさせながら、たった今眼が覚めたとばかりに少女は大きく伸びをする。胸と下半身だけを隠した簡素な服。垣間見れる身体はスポ―チィで、どこか野生的な魅力が溢れる彼女もまた、美女と呼ぶに相違ない姿をしていた。
さしものイルドも、目の前の光景に困ったような表情を浮かべて頭を掻いた。まさに奇想天外。自分も相当おかしな奴という自覚はあるが、この村にはとことん驚かされる。
イルドがさらにこの村に対する関心を深めている傍で、嬉しそうな顔を浮かべていたシェイナは少女へと走り出していた。
「こんにちは、はじめまして、おはよう」
三通りの挨拶を一気に放出し、満面の笑みを浮かべたシェイナが手を差し出す。
「わたし、シェイナ。あなたは?」
差し伸べられた手に、少女は太陽のような溌剌とした笑みを浮かべながら、硬くその手を握り返した。
「うちはミロだ!」
元気いっぱいに自分の名を名乗ったミロの視線が、今度はリクルとイルドを捉えた。まるで獲物を捉えるネコ化の猛獣のような眼だ。ペロッと唇を舐めるところが、より一層彼女の野生的な魅力を際立たせる。
「あれ、どっちかもらってもいい?」
「眼鏡の方はダメ。私のだから、紫の方がご自由にどうぞ」
「ん~、やめとく。なんか、頭悪そうだもん」
「こらこら、人を見た目で判断するんじゃねぇ」
心外な物言いにすかさずイルドが反論すると、ミロは子供っぽく舌を出して「ごめんごめん」と両手を合わせた。調子のよい彼女の人柄に、イルドは毒気を抜かれたような気分になる。
「さてと、じゃあそろそろ行こうかな。シェイナたちも、どっか向かってる途中だったみたいだし」
「まぁね。あって早々、気を使わせちゃったかな」
「いいっていいって。あ、そうだ。今空いている家教えてよ、もうお腹ぺっこぺこでさぁ」
お腹を押さえながら少し力が抜けた声で尋ねるミロに、「それなら」とそれまで事態を静観していたリクルが口を開いた。
「うちの隣に来るといいよ。ちょうど空いているから」
「ホントっ!」
「ああ。町の中央から南側へ行った六つ目さ」
「お花畑がある家の隣よ」
リクルの説明とシェイナの補足を聞いたミロは、両手を挙げて飛び跳ねた。
「やったー。お隣さんと、家確保! あとは、旦那だね。よ~し、いい男捕まえるぞ~」
「僕のおすすめは、こっちの変態だね。お風呂一緒に入るときなんか、びっくりするよ」
「俺は脱いだらすごいぞ」
いい加減「変態」と言われることに慣れてきたイルドは、悪い笑みを浮かべながらリクルの話に乗っかった。二人の会話をどう捉えたのか、ミロが探るようにイルドを凝視しながら、隣のシェイナに耳打ちする。
「ほんと?」
「まぁ、まあ。驚くと思うわよ、間違いなく」
あいまいに答えるシェイナに、ミロは「ふ~ん」と頷くと勢いよくイルドを指差した。
「候補には入れといてやろう」
「それは光栄です。お姫様」
リクルと一緒にいた影響か、イルドは一晩でかなり腹が黒くなってきた。慇懃無礼に頭を下げるイルドに、ミロはますます訝しげな顔をする。
そのとき、ミロのお腹から「ぐぅー」っとかわいらしい音が鳴った。
「お腹すいたから、もう行くっ!」
そう言うと同時に、ミロは「じゃあね、シェイナ」とシェイナの肩を軽くたたくと、村へ向けて走り出した。
どんどん小さくなっていくミロの背中。その背中が完全に見えなくなったから、イルドは肘でリクルの脇腹を突いた。
「いいのか?」
「何が?」
「『隣の家に』だよ」
イルドの言葉に、リクルは心底意外そうな表情を浮かべた。
「びっくりだよ。イルドって、気を遣える人だったんだ」
「茶化すなよ」
軽い調子で答えるリクルに、イルドは今度は乗らずに真剣なまなざしで尋ねる。
やや間を開けて、リクルは「ふぅ」と息をつきながら答えた。
「感傷に耽るのはもう終わったよ。それに、誰もいないほうが喪失感がますしね」
再び柔らかな笑みを浮かべてリクルがシェイナに視線を流す。イルドは「……そうか」
とだけ相槌を打つと、それ以上言葉を紡ぐことをやめた。
ただ、心の中で思う。
亡くした人。それは果たして、他人で補うことができるのか、と。
「二人で何話してるの?」
首を傾げながら近づいてくるシェイナに、イルドは頭に浮かんだ考えを霧散させると、「女には聞かせられない話し」と言って、適当にはぐらかせに出た。だが、思った以上に効果があったようだ。シェイナの顔が、一気に赤くなる。今日もまた、左目にいい一発がおみまいされた。
「イルド、少しは学習しようよ」
「悪いな、頭が悪いのが自慢なんだよ」
「あっそ。じゃあ、しょうがないね。ところで、そろそろ次のところへ行きたいんだけど」
「いたわる気持ちはゼロなんだな」
「当然」
いっそ清々しいくらいに即答され、イルドは口の中で悪態を漏らしながらも、歩き出すシェイナとリクルの後を追った。
塔の次にイルドが案内されたのは、村の西側にあった一軒の工房だった。工房の規模は大きく、リクルたちの住んでいる家の二倍ほど。外には大きな石釜が建てられており、屋根にそびえる煙突からは、もうもうと橙色の煙が上っている。今も中で何か作っているようだが、一体全体どんなものを作ろうとしたらあの橙色の煙が上るのだろうか。
しかし、それ以上にイルドの目を引いたものがあった。それは工房の裏手を埋め尽くした数えきれない墓標だった。
緑の大地を埋め尽くす果てしない墓標の海。百や二百という数ではない。一つ一つに花が添えてあり、瑞々しいところを見ると、数日に一度は置き換えているのだろう。普通なら寂寥が漂う墓地も、並べられた花のおかげで一種の憩いが醸し出されていた。
「これはまた、奇妙なところに連れてきやがったな」
「家主に会う前からそれじゃあ、身が持たないよ」
にこやかに笑うリクルに、イルドがこの後現れるであろう家主を重い複雑な表情を浮かべながら後ろ頭を掻く。
そのとき、イルドは目の前の墓地の違和感に気が付いた。同時に、昨日の光景、体を塵芥へと変えていくグライとミーリの姿がフラッシュバックする。
「ちょっと待て、なんでこの村に墓があるんだ?」
今際に扉を開けようとしていたリクルを、イルドの疑問が呼び止めた。
そうだ、考えてみればおかしな話なのだ。この村の人間は、七日という生を終えればチリとなり大地へと変える。ならば、墓に納めるべき遺骨はない。遺骨がなくとも墓を建てようと思えば建てられるかもしれないが、そうだとしたら墓の数が少なすぎる。
リクルは言った。セケィーダ村の人口は100人前後。一週間でその全員が入れ替わる。だとすれば、墓の数は目の前に見える比ではないだろう。
イルドの疑問にリクルは扉のノブにかけていた手を一度引くと、その眼鏡の奥に潜む目を細めながら、墓標へと視線を流した。
「イルド、君が昨日見たように、僕たちの体は死ねばチリとなりセケィーダ村の土に帰る。でも、それは寿命で死んだときなんだ」
「寿命?」
「ああ。僕たちの中には、ごく稀にだけど、ひどく体が弱く生まれる者がいるんだ。寿命を全うできない一番の理由はこれだね。あとは、病気にかかることだってあるし、不慮の事故だってないわけじゃないんだ」
故人を想うリクルの表情は、どこか寂しげだった。その寂しさに誘われたかのように、一陣の風が墓地に吹き込み、青々とした芝を巻き上げる。もっと生きていたかった、まるで見えない何かが叫んだ気がした。さらに一陣の風が吹く。墓地に添えられた花びらが舞い、石色の墓地に色彩が浮かぶ。もっと誰かを愛したかった。故人の魂の叫びが、風と共に舞い上がり、野山へと流れていく。
傍らのシェイナの頬を撫ぜながら静かに先人の魂を見送るリクルは、彼らの帰って逝った遥かな空を見つめながら続けた。
「なぜそうなのかはわからない。でも、僕たちは寿命以外で死んだとき、その体は朽ちることがなく死んだ時のまま残り続ける。まるで、今もなお生きてるように。死者の躯は、土に帰ることはできないんだ」
土に帰ることができない。その言葉には、強い悲しみが込められていた。
リクルの言葉の真意を、イルドは敏感に感じ取る。セケェーダ村の住人は、人を愛し、子供を産むためにその全てを捧げている。しかし、彼らは自分の子を育てることはできない。その代わりに、彼らは土と帰り、このためにセケェーダ村の土壌を育む。それが叶わなくなることは、彼らにとって筆舌しがたいものなのだろう。
湿っぽい雰囲気になり、イルドはもう一度後ろ頭を掻いた。どうにも、こういう雰囲気は居心地が悪い。
「俺は墓参りになんてこねぇからな」
冗談交じりに言ったイルドに、リクルは一瞬きょとんとした表情を浮かべると、次の瞬間には暗い雰囲気を霧散させ「こっちも願い下げだよ」といつもの調子で答えた、その時。
「コラコラコラコラコラコラコラコラコラッ! 誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ誰だっ! わしの家の前で辛気臭い空気を垂れ流しとるやつはーっ!」
突如として工房のドアが内側から吹き飛び、中からイルドの腰丈ほどのドワーフがハンマーを片手に飛び出してきた。
「コラコラコラ。お前たち、いい若いもんがそろいもそろって、何をお墓参りなんかしてやがるんだ。今日の天気を見ろ。晴れ、蒼天、快晴真っ盛り。絶好のピクニック日和だろうが。おいしい弁当と、うまいワイン。最高だろうがっ! ちょっと気持ちが乗らないなら、家に帰って本でも読んでろ。本はいいぞ。先人の知恵をなんでも与えてくれやがる。こっちが望んでいようがいまいが関係なしだ。ときには古臭い言い回しもありがやるが、それはそれでいいもんだ。ああ、でも。哲学の本はやめとけ。お前らの寿命じゃ、読んでていらんことばっかり考えて、せっかくの婚期を逃しちまうぞ。読むならポエムだ。読むのが面倒なら、自分で書きやがれ。いや、お前たちには必要ないか。お前たちには歌がある。ほれ、どうした。歌え歌え歌え、今日も明日もぴーちくぱーちく、うるさいッたらありゃしねえぇ。どいるもこいつも、めちゃくちゃいい歌じゃねぇかこの野郎。さっさとかわいいガキをこしらえろ。心配すんな。何十年先だろうが、ちゃんとわしが見といてやるぞ。ん、なんだ? お前だれだ? 誰に断わってわしのことを見ている。ん、ん、ん? 食っちまうぞー!」
ハンマーを振り回しながら、さながら機関銃のように言葉を連射するドワーフに、イルドは唖然とした表情をして言葉を失った。ずんぐりむっくりな矮躯、身体と同じくらいある大きな頭、地面に引き摺りそうな長い髭。
どこからどう見ても生粋のドワーフだが、イルドの知るドワーフとは決定的に違う部分がある。
ドワーフはこんなにしゃべらない。
イルドが呆気にとられていると、ドワーフの機関銃が再び火を噴いた。
「なんだなんだなんだ? お前のその恰好は? 紫・紫・紫! キシリス高原にいるキシリス蝶だってもっとマシなセンスしてるぞ。お前の眼はどうなっている。もっと世界に目を向けろ。せかいにゃあ、綺麗な色がわんさかあるんだぞ。いや、紫だっていい色だ。俺は好きだ。だがなぁ、それだけじゃあないだろう。そうだ、待ってろ。いいものがあった」
びゅーんと音がするほど勢いよく工房の中へ駆けこんで言ったドワーフは、ほんの数秒後、持っていたハンマーを置いて手ぶらで帰ってきた。
「コレを着やがれ」
「いや、これって? どれだよ」
腕を突き出してくるドワーフに、イルドは怪訝な顔をして答える。いくら目を凝らしても、ドワーフの手には何も見えない。一応リクルとシェイナに目配らせしてみるが、二人も見えていないらしく、首を横に振るだけだった。
不思議そうな表情を浮かべる三人に、ドワーフは「ちょっとまってろ」と言うと、何かを着る動作をし始めた。もぞもぞとずんぐりむっくりの身体をコミカルに動かし、頭と腕を通す。
次の瞬間、それまで作業着だったドワーフの服が、貴族に仕える執事達が着るような燕尾服に姿を変えた。
ほけ~っとした表情を浮かべるイルド達に、ドワーフが「フンッ、どうだ」と鼻を鳴らす。
「七色蚕の繭に擬態カメレオンの唾液を染み込ませて作った特別製の服だ。これを着りゃ、思った通りの色と形の服になる。さぁ、これを着やがれってんだ」
「あ、いや。俺の場合はちょっと理由があって、こういう服しか着れね……」
「なんだと! 紫の色の服しか着たくないだと! バカか? 馬鹿か? 莫迦なのか? あいにくとうちには薬草はあるが、バカに付けるクスリはねぇぞ。代わりに毒草ならくれてぇやら。バカは死ななきゃ治らねぇからな。よっしゃ、待ってろ。今すぐに調合してやらぁ。おい、ミストリア! すぐに、クゲル草に永眠の種、ミグルスの湧水に、チドルネズミの足を準備しろ」
「わかりました、マスター」
ドワーフの機関銃が止むと、工房の奥から一人の少女が現れた。年はまだ幼く、純朴な顔は無表情で人形のようにすら見える。
ミストリアと呼ばれた少女は、外にいたイルド達に気が付くと、丁寧に腰を折った。
「いらっしゃいませ、リクル、シェイナ、紫の人。準備が整うまで、どうぞ工房の中にておやすみください」
「準備って言うのは、俺を眠らせる準備のことか?」
「マスターがそう言うのであれば」
淡々と述べるミストリアに、イルドは「だったら、俺は帰るぞ」と笑いを噛み殺しながら答える。すると、再三にわたってドワーフの口火が点火した。
「何だと? なんだと? なんだとー!? せっかく訊ねてきたのに、茶も飲まずに変えるのか? どんな礼儀知らずだ。礼儀を知らねぇのは恰好だけにしろ。人の家に来たらまずは名を名乗れ。それが礼儀だろうが。その性根叩き直してやる。ワシの名はドワーフのドグドだ。いいか、一回で覚えろよ。それとアクセントには気を付けろ。初めのドには友好を込めて優しく、後のドは尊敬を込めて強く呼ぶんだ。わかったな。間違うんじゃねぇそ。悲しいじゃねぇか、こんちくしょう」
「ドグド、だな。俺はイルドだ」
「イルドゥ、だな」
「綺麗に発音してんじゃねぇよ。イル「ド」だ。ドルドのドと同じ」
「イルド、イルドだな。よし、憶えたぞ。お前の名前は、ちゃんとワシの脳細胞の末端に記憶しておいた。顔は覚える自信がねぇが、その恰好はちゃんと覚えたぞ。次に会う時もちゃんとその恰好してやがれよ。わかったな」
ドグドが鼻息荒く言い終えると、いつの間にか工房に戻っていたミストリアが再び現れ、「マスター」と声をかけてきた。
「調合の準備が整いました。いらしてください」
「ミストリア、コイツを眠らせるのはまた今度だ。こいつらはすぐに帰る。いいか、温かい紅茶と、茶菓子を用意してやれ。音符鳥も忘れるな。午後のティータイムにピッタリの奴を用意してやるんだ。椅子と机はワシが準備する!」
「かしこまりました、マスター」
ミストリアが丁寧に頭を下げ、その傍らをドグドが駆け抜ける。すぐに工房の奥の方でトンチンカン、トンチンカンとハンマーを振るう音が聞こえてきた。まさか、今から机と椅子を拵える気なのだろうか? すぐに帰す気はさらさらないらしい。
「行こうか。紫の人」
にこやかに笑い、工房に入ることを促すリクル。その後ろでは、シェイナが笑いを噴き出している。どうやらツボに入ったらしい。理由を知っているなら、もうちょっと擁護してほしいものだとイルドは思うが、いまさら注意する気にもなれなかった。
「何やってやがんだ。とっとと入ってこい」
扉の無くなった工房の奥から。ドグドの雄叫びが響く。
イルドは苦笑いを浮かべて後ろ頭を掻くと、工房に足を踏み入れた。