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(3)

 リクルが脱衣所の扉を開けて数秒、あるいは数十秒。

「んで、いつまで見てんだよ。見物料取るぞ」

 沈黙を切り裂いたのは、いつの間にか脱衣所に居た少女だった。いや、見た目こそ少女だが口調は完全な男性のもの。しかも、「いつまで見てんだ」と言う割に少女はまったく身体を隠そうとしない。むしろ、堂々と胸を張る始末だ。年頃の女の子ならば、「イヤ~~っ!」と悲鳴の一つもあるだろうに。

まるで恥じらいの無い少女に、リクルはズレた眼鏡を直し、冷静を取り戻しながら微笑んだ。

「ならば僕は、不法侵入代をいただこうかな」

 リクルらしい返答に、少女が小さな肩を竦めて苦笑する。その仕草も、表情も、やはり彼のものだ。自分の目と頭を疑いながらも、導き出される答えは一つしかない。ならば、確かめるしかないだろう。

「君は、イルドなのかい?」

「イルド? 誰だそりゃ?」

 笑いながら両手の平を天井に向けて、平然と答える少女。胸や股間を隠すつもりはさらさらないらしい。さすがのリクルとしても、これ以上少女のやわ肌を見続けるのは人として答える。

なんとも白々しい笑みは、何よりも決定的な答えだった。

 呆れるように溜息を吐き、リクルは腕を組み、入口の柱に寄りかかる。爽やかな笑みを浮かべながら、初めてイルドを見た時と同じ、いやそれ以上に奇妙なものを見る視線を女体になったイルドに浴びせかけた。

「まさか、ここまで変態だったとはね」

「この格好に対して変態って言うのは止めろ。本気で情けなくなるから」

「おや、その恰好も君の趣味じゃないのかい?」

「んなわけあるかっ!」

 リクルの言葉に、イルドが本気で嫌そうな顔をして声を張り上げる。

意外な反応に目を丸くするリクル。イルドも思わず叫んだことに、気まずげに視線を逸らす。

「ねぇねぇ、なに怒鳴り声上げてるの? てか、今の声誰のよ?」

二人が次の言葉に窮していると、怒鳴り声を聞きつけたシェイナが脱衣所を覗き込んできた。「「あ……」」というリクルとイルドの声が重なり、その後を「……へ?」とシェイナの間抜けな声が追う。

再び流れる空白の数秒間。

「イヤ~~~~ッ!」

 シェイナの悲鳴が家中に木霊した。

 脱衣所、見知らぬ裸の女の子、しかも可愛い。腕を組んでなぜか納得した表情を浮かべている夫。見知らぬ裸の女の子。どこにも姿が見えないイルド。見知らぬ裸の女の子。見知らぬ裸の女の子。見知らぬ裸の……女の子。見知らぬ……裸の……おんなの……こ。

「う、う、う……」

 この世の全てに裏切られたかの如く絶望に顔を染めたシェイナが、涙を湛えてリクルを睨む。わなわなと震える拳。信じたい心と罵りたい激情のせめぎ合いに浮かべる苦悶の表情は、なかなか色っぽいものがあった。

溜まりに溜まった感情は、次の瞬間に爆発した。

「このっ、浮気も……」

「シェイナ。俺はイルドだぞ」

「のぉぉぉええええぇぇぇ?」

 シェイナ再度仰天。

 リクルに向けて振り上げられた拳は行き場を失い空中に停止し、口がパクパクと言葉もなく動く。まぁ、何を言いたいかはその顔を見れば一目瞭然だ。イルドも鷹揚に頷く。

 シェイナの反応が面白いので、イルドとリクルはアイコンタクトを取ると揃って傍観。黙ってしまった二人に、シェイナがリスのようにキョロキョロと視線を彷徨わせる。

 何度もイルドとリクルの顔を往復したシェイナは、動揺を落ち着かせるように大きく息を吸うと、気持ちを新たにイルドへとその視線を定めた。

 体つきは細いが、女性特有の起伏に富んでいる。むしろ、胸元は自分以上。悔しいことこの上ない。と同時に、ハッキリと言えることがある。

――どこをどう見ても女の子じゃない!

 心の中で叫んだシェイナが、厳しい視線を再び夫に送る。しかし、そんな妻の劫火のような視線に、リクルは涼しい顔をして肩を竦めた。夫婦だからこそわかる。リクルは嘘をついてない。

 だが、シェイナはまだ信じられなかった。いや、それはある意味正しい反応だろう。むしろ、すんなりとイルドだと認めたリクルの方がもの分かりがよすぎる。

「そ、そうだ。イルド、最初から女の子だったんだでしょ。男っぽかったのは、メイクね」

 とにかく自分の持てる知恵を総動員して現実的な見解を捻りだしたシェイナに、元から女説をぶつけられたイルドは、「残念、俺は最初から男だよ」と腕を交差させ胸の前で×を作った。

「な、なんなのよ。いったい?」

 もはや自分の常識を超えた状況に、いつもは強気なシェイナがヘナヘナと腰を落とす。

 そんな妻の珍しいリアクションに微笑みを浮かべながら、リクルは「さてと。じゃあ、そろそろ説明してもらおうかな」といって柱から身体を離した。

「改めて訊いとくけど、君はイルドで間違いないんだね」

「ああ、こればっかりは嘘じゃねぇよ。残念ながらな」

 どこか悔しそうにイルドが視線を落とす。

ややあって視線をリクルとシェイナに戻したイルドは、二人に「ちょっと見てろ」と言いながら、その細くなった手を服カゴへと伸ばした。

今さらながら、裸であることが恥ずかしくなったのか?

訝しげに眉を顰めながらイルドの動きを見守っていたリクルとシェイナ。

しかし、ことはそんな単純なことではなかった。眼の前の光景に、リクルとシェイナが言葉を失くす。女の裸姿になっていたイルドに勝るとも劣らない衝撃的な光景が、二人の眼の前で繰り広げられた。

 男物の濃い紫のパンツに細い足を通すイルド。パンツはブカブカで今にも落ちそうだが、彼(女?)は気にせず続けてシャツを取る。この時点ではまだほとんど変化はない。膨らんだ胸も、浮き出た鎖骨もそのままで、女性の色気が漂っている。灰色ぎみの紫のシャツを頭からすっぽりと被るイルド。すると、シャツを押し上げる胸元が、心なしかさっきよりも低くなって見えた。

 イルドはさらに着替えを続ける。赤紫のズボン。どう見ても長いが、華奢な両足を通せば丁度よい裾丈になる。いや、ズボンの長さは変わっていない。イルドの足が伸びたのだ。気が付けば、顔つきもかなり男性的になってきている。

 シャツの上からオーバージャケットを羽織るイルド。全身紫となった彼からは、完全に女性的な丸みは抜け落ち、どこからどう見ても完璧に男に戻っていた。

 ぽかんとした表情で固まるリクルとシェイナ。

 そんな二人に、元の男声を取り戻したイルドは、肩を竦めて自分自身に呆れるように言った。

「な、嘘みたいな身体だろ」

「……まったくだよ」

 動揺を抑えきれず、震える指先で眼鏡の位置を直したリクルが即同意する。シェイナは依然として床に腰を落としたまま、未だに「信じられない」という視線でイルドの身体を隅から隅まで観察した。

 頭、胴体、腕、腰、足。

 どこをどう見ても、完全な男の体つき。

 さすがに驚きの限界を超えたのか、クシャッと髪を掻いたシェイナは呆れた笑みを浮かべて立ち上がった。

 そして、ビシッとイルドを指差し一言、

「この、変た……」

「つまり、紫を身に付けている時は男。紫を外したら女になるってことかい?」

「まぁ、そういうことだ」

言えなかった。

 夫の妨害に、シェイナが非難の視線をリクルに送る。

 リクルは涼しい顔をして一言。

「今さらだよ。シェイナ」

「聞こえてんぞ。コラッ!」

 直接の罵倒より遥かに嫌味な言い方に、イルドが頬を痙攣させた。罵り合いや無言のせめぎ合いなら互角に持って行けるものの、皮肉で先手を取らせたらリクルの方が一枚上手らしい。どうしたらこんなにひねくれられるのか、イルドは興味すら湧いてきた。

 そんなイルドの心境を知ってか知らずか、腹黒リクルはのほほんとした調子で訊ねる。

「それで、何でそんなに面白い身体に?」

「……呪いだよ」

「呪い?」

「ああ」

 イルドはことさら嫌そうに頷き、苦笑しながら続けた。

「昔、ちょっと魔女の居城に忍び込んだことがあったんだよ。そしてら、そこの魔女がこれまた最低最悪の超ドSな奴でな。散々いろんな罠に嵌めて俺のことをおちょくりまくった挙句、最後にはこの呪いを掛けやがったんだよ」

「それって自業自得じゃん?」

 イルドが男に戻ったことで、元の調子を取り戻したシェイナがすかさずツッコム。

 苦虫を噛み殺したような表情を浮かべたイルドは、「こっちにもいろいろ事情があったんだよ」とそっぽを向いて答えた。

「事情って、何さ?」

「どうしようもなく深刻で、緊急を要する事情だったんだよ」

「へぇ~。そ~う」

 口早に応えたイルドに、シェイナは明らかに信じてない返事を返す。どうせ。気まぐれで忍び込んだんだろう。

眼を細めてじっと見つめるシェイナに、イルドはバツの悪そうに顔を顰める。悔しさからか、笑みだけは浮かべたままだ。変なところでプライドが高いとシェイナは思った。

そんなイルドに、今度はリクルが質問した。

「なんで紫を着てると大丈夫なんだい?」

「ん? ああ。その魔女曰く、紫は混沌の色らしくてな。男性の青と女性の赤を兼ね備えた混沌の紫を身に纏えば、男の身体を保っていられるんだとよ。まぁ、熱い時はジャケットじゃなくて腕輪なんかで代用するけどな」

 苦労するよ、本当に。と付け加えるイルド。

 すると、眼の前ではリクルが今までで一番驚いた表情を浮かべていた。

「なんだ、リクル。何をこれ以上驚いてんだよ?」

「いや、コレが驚かずにいれられるかい?」

 真面目な表情を浮かべたリクルは、眼鏡を押し上げながら本当に深刻な口調で続けた。

「僕はてっきり……イルドのその恰好は酔狂でやってるとばかり思ってたのに」

「…………。お前も大概、いい性格してるよな」

 もはやツッコム気も失せたイルドに、リクルはコロッと表情を変え「何が?」と気持ちの良い笑顔を浮かべて答える。

 イルドは「はぁ」と苦笑交じりの溜息を吐き出すと、自分がしようとしていたことを思い出し、浴室のドアを指差して言った。

「んで、そろそろ風呂入ってもいいか?」

 イルドの二度目の自己紹介は、こうして足下から立ち上がる湯気と共に幕を閉じた。



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