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新古事記  作者: 安楽樹
一章
6/11

- 草原 -

(……ん?)


まだ少し、頭がくらくらする。

あの不思議な感覚の後、どの位が経ったのだろうか?

よく判らないが、肌に感じる植物のような香りと感触。

風が近くを吹き抜けていく感じ、そして遠くからの音によって二人は目を覚ました。

ゆっくりと目を開ける。うつ伏せに倒れたまま、辺りに目を向けてみた。


まず最初に二人の目に飛び込んできたのは、薄暗い雲と、そこからどんよりと差してくる日の光だった。

よく目を凝らしてみると、遠くには森や山が見える。どう考えても、さっきまでいた道場などでは無い。


二人が倒れていたのは草原だった。


(一体ここは……?)


二人がそう思うのと同時に、草花の匂いに混じって、胸を衝くような臭いが漂っている事に気付く。

その余りに異質な臭いに、思わず二人はむせ返りそうになった。

……それは、血の臭いだった。


そして、更に少し離れた場所から、それまでに聞いた事も無いような人の悲鳴が響いていた。

しかもその悲鳴は一つではなく、あちこちから聞こえている。どうやら大勢がいるようなざわめきも聞こえた。


『ワアアアアァァァァーッ!』


二人が身を起こしてそちらを見ると、目の前にはあまりに異様な光景が広がっていた。

……まず認識できたのは、ざっと見てみても百人以上の人間達が争っているという事。しかも彼らは皆、歴史の教科書にでも出てきそうな大層な鎧を身に着けている。

鎧を着ているということはもちろん、その手には刀や槍、人によっては旗や弓を持っている者もいた。

二人はあまりの出来事にその目を疑ったが、間違いなく彼らは……殺し合いをしていた。


「な、何だこれ……?」


呆然とした様子で、零が呟く。

この全身の感覚も意識感も、全く夢とは思えない。……全てがありありと、現実味に溢れていた。


「零……」


隣で同じく呆然としている沙波が、零に寄りかかってくる。

目の前の余りの状況に、通常の体の感覚が取り戻せないようだった。唇も小さく震えている。

その沙波の様子に、一瞬早く冷静さを取り戻した零は、慌てて沙波を支えた。


「何なんだよ、これ……」

「……」


鎧、とは言っても、それは西洋鎧ではなく、所謂戦国時代の甲冑……という奴だ。

そう。

彼らが目にした光景を端的に表すならば、『戦国時代』というのがピタリと一致する。

どうやら、赤い色をトレードマークとした一団と、黒い色をトレードマークにした一団が争っているようだった。

五百m程も離れている今の位置からでは、どちらの軍が優勢だとかいうことは分からない。しかし、そんなことは彼らのどちらも興味は無かったし、何より……それどころでは無かった。

ただ、とにかく現状を把握したい、という気持ちがあるだけだった。


二人が呆然としている間にも合戦は続いているようで、あちこちで兵の悲鳴は挙がっている。

彼らには戦況など全く判らなかったが、この時丁度、押され始めた片方の軍が、じりじりと後退を始める所だった。戦場の中心地は移動し、徐々にではあったが二人が立っているほうへと近づいて来ていた。

そんな中、戦場の中心地から外れた一人の兵士――足軽と呼んだ方がいいだろうか?――が、戦場の様子を伺いながらも彼らの後ろに接近してきており、……程なくして、彼らに気付いた。


「御主等、何者ぞ!?」


足軽は用心して、念の為十分な間合いから声をかけた。距離としては三十歩ほど離れている。

これ位の距離ならば、相手が矢を番えるまでには接近する事ができるし、突然切りかかられる事も無いからだ。

声をかけられた二人は、足軽が予想していたよりも異常に驚いた様子で、彼の方を振り向いた。


「なっ!?」


その間合いの向こうで声をかけられた二人は、過剰とも言える反応で身構える。


未だ現実感の無かった零と沙波の二人は、突然の誰何の声に、急に現実へ引き戻された。零は慌てて沙波を庇う。

沙波を背後にして声のかかった方を向くと、そこには全身を真っ赤に染め、抜き身の刀を持った兵士が近づいてきていた。薄汚れた鎧と、抜き身の刀から滴り落ちる赤い液体が鈍く光に反射する。

零の防衛本能が反応し、咄嗟に身構える。その時初めて、自分が刀を持っている事に気付いた。


(これは……!?)


驚きながらもその刀を確かめてみる。

……自然にいつの間にか手に収まっていた刀は、いつも自分が使っている物に間違いなかった。


九十九ツクモ』と呼ばれる銘刀らしい。零の家に古くから伝わる刀だった。


昔、彼の祖父がこの刀で素振りをしている所を見て、彼も剣道を始めるようになった。そのきっかけとなった刀だった。

彼が成長してからは、度々祖父の目を盗んでこの刀を持ち出し、素振りに使うようになった。……そして今や、この九十九は彼の手にしっくりと馴染むようになっていたのだった。


「……」


沙波も見知らぬ男の声を聞いて、一気に現実……といっても、未だにこれが現実なのかは疑わしかったが、その現実らしきものに引き戻された。

零の背中越しに見える兵士は、どうやら自分達に声をかけてきている。その兵士の格好は、間違いなく今までに戦場で人を斬った者のようだった。……とすると、自分達の命を狙っているのだろうか?


どうやら、赤い軍の一員らしい。

時代劇でよく見るように髪を結い上げて、赤い鉢巻きを結んでいる……とは言っても、その格好を見る限りでは、それが赤い色の鉢巻きなのか、別の色をしていた物が赤く染まっただけなのか……ということすら分からなかったが。

沙波から見た男は、ハァハァと息を切らしながら、こちらに向けて刀を突きつけている。

その半身はドロッとした赤い液体にまみれており、顔にもべっとりとそれが染み付いていた。……女性であれば嗅ぎ慣れた臭いが、鼻を吐く。


男がこちらに向かって何かを叫んだのには気付いたが、全く注意していなかったため、何と言ったのかは分からなかった。明らかに向けられている敵意を察知し、身が竦む。

……沙波は戸惑いながらも湧き上がる恐怖に怯えて、声も出せなかった。

震える体を抑えながら、彼女はこの世で一番信頼している男の背中に隠れるのが精一杯だった。


「うぬら、地軍の者か?ならば退けい、退かねば斬るぞ!」


その男の言葉は、間違いなく彼らが知っている、日本語だった。落ち着いて聞けば大体聞き取れる事もできただろうが、この時の二人にはそんな余裕など無い。

目の前の男はよく判らない事を叫び、急に刀を構えたのだ。再び、彼らの頭は混乱し、一気にパニックに陥った。


(な、何だ……?斬る?こ、殺されるのか……?)


零の頭の中を目まぐるしく思考が駆け巡る。

何が何だか判らない事だらけだが、とにかく目の前の男は自分達を殺そうとしている。それだけは判った。


「さ、沙波、早く逃げ……」


慌てて逃げようとし、体を反転させようとした零だが、まだ視界に入っている兵士を見ながら、ふと思った。


(……いや駄目だ。沙波も一緒なんだ。もし後ろから追いつかれたら、何の抵抗もできない。他に待ち伏せている奴もいるかも知れないし、地理も全く判らない。逃げ切れる……か……?)


周囲の光景や、一体どこへ向かえばいいのかなど、様々な考えが浮かんでは消える彼の背後で、自分の服を掴んでいる沙波の手に力が篭る。その存在に、ハッと我に返った。


(そ、そうだ。沙波、沙波を守らなきゃ……)


零の頭の中は、どうすれば沙波を守れるか、その事で一杯になった。

過去の記憶の断片が、彼にそう語りかける。彼女を守れ、と。

……彼は反射的に沙波を背にすると、刀を抜いていた。


「零っ!?」


後ろから、沙波の声が聞こえる。

手にした刀はいつものように、いやいつも以上に、ぴったりと彼の両手に収まっているような気がした。

今持っているのは、間違いなく真剣だ。……殺すかもしれない。いや、殺されるかもしれないんだ……。

緊張しているからか、あまり真剣の重さは感じない。

様々な葛藤が、彼の心臓を早鐘のように鳴らした。

極度の緊張が、全身に血を巡らせていく。ゆっくりと呼吸を整える中で、沙波を安心させようと声をかけた。


「だ、大丈夫だ。お前は……俺が守る……」


何とか声が震えないようにするのが精一杯だった。

間合いはまだ十分にある。しかし、このままでは後ろの沙波まで危ない。離れねば。

……しかし、足は彼の思った通りには動いてくれなかった。


(俺にできるのか……?)


沙波に言った『大丈夫』という言葉とは裏腹に、未だ零は迷っていた。今気を抜けば、膝から崩れ落ちてしまいかねない。刀の切っ先が震えぬよう、必死に零は両手で九十九を握り締めた。


「や、やめて……。零、危ないよ……」


彼の中の葛藤も知らず、刀を構えている零に向かって、か細く引き止める沙波。……しかし、やめたからと言ってどうすればいいのか、更に自分達が無事に済むかどうかも彼女には判らなかった。

ただ、このままでは彼が危険だ。

余りに現実離れした状況に、沙波はまるで実感が湧かず、頭も働いていなかった。

……とにかく、無力な自分は何かに祈るしかない。

それでも、どうしようもないと判っていても、沙波は零を引き止めずにはいられなかった。


「ふん、やる気か。……仕方あるまい」


両手で刀を構えながら身構える目の前の少年に、男も覚悟を決めた。……その時には既に彼は気付いていたが、目の前にいる二人は少年と少女のようだった。

何故こんな所にいるのかは分からないが、まあ自分の敵ではあるまい。邪魔をするならば斬り捨てるまでだ。

十分に間合いを取り、タイミングを計る。

……相手はやけに大きい刀を持っているが、子供があんな物をまともに扱えるわけはあるまい。

さらに、相手は明らかに怯えている。初陣にして十人もの敵兵を斬ったこの俺の敵ではない。そう思った。


よく見ると、構えこそ様にはなっているが、少年のその顔は強張り、全身も固くなっている。鎧など身に着けてもいないし、見るからに実戦慣れしていないのは明白だった。


(さっさと終わらせるか。……若い娘を見るのも久しぶりだしな)


後ろの女を不埒な目で見つめ、後のお楽しみに思いを馳せながら、若い兵士は大きく呼吸をした。

万が一にもこんな子供に自分が負けるなどとは思いもしなかった。


(来るのか……)


相手の動きから、零は仕掛けてくるのを感じていた。

未だ恐怖は消えない。

相手の動きばかりが気になって、体が自然に動かなかった。

……自分はまだ迷っている。できるならば何とか傷つけずに済ませる方法はないかと。


しかし、彼の中の本能が、このままでは危険だと言っていた。

頭が先に考えてしまい、体の反応が遅れている。これでは相手の動きに反応できない。

今までの経験から、彼はそう学んでいた。


ましてや、今は真剣だ。一瞬の判断の遅れが命取りになる。

……そう判っていても、恐怖はまだ消えない。

それは、斬られる事か、斬る事か。


(くそっ……)


刀を握る両手に力が入り、手のひらに汗が滲んできた。

……まずい、このままじゃ……。

そう思っていた時、頭の中で声が聞こえた。


(……迷うな。迷いは剣を鈍らせる……)


一瞬だったが、その声は彼の祖父に似ていると思った。

零の剣の師匠でもある彼の祖父は、いつか彼にそう言った事があった。必死で、祖父の顔を頭に浮かべる。


迷うな……、迷うな……。


「零っ!」


その声が聞こえた瞬間、彼は我に返った。


(……沙波っ!)


「うわああああああああああああぁぁぁぁっ!」


零は無我夢中で動いた。

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