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喋ったこともないくせに

作者: とも
掲載日:2026/09/17

「お前のこと、好きなやついるらしいよ」


卒業まで、あと一か月だった。


「へえ」


友達があまりにも普通に言うものだから、俺も普通に返した。


「誰?」


名前を聞く。


「あの子」


視線を教室の前へ向けた。


窓際の席に、小さな背中がある。


「ああ……」


知っている。


同じクラスなのだから、当然だ。


背は低い。

あまり目立つ方ではない。

顔は――たぶん、かわいい。


前に男子が「あの子かわいいよな」と言っていた気がする。


それくらい。


「……喋ったことないけど」


「らしいね」


「なんで?」


「知らねえよ」


友達は笑った。


俺も少し笑った。


意味が分からなかった。


喋ったこともない人間を、どうやって好きになるのだろう。


考えてみれば、見られていた。


それを聞いてから気づいたわけではない。


もっと前から、何度か思っていた。


俺が黒板の近くに行ったとき。


先生と話しているとき。


なんとなく視線を感じる。


一度だけ、そちらを見た。


彼女は俺を見ていた。


そのときは、


――なんだろう。


それだけだった。


人なんて見る。


俺だってよく人を見る。


むしろ観察する方だと思う。


歩き方。


喋り方。


誰と一緒にいるのか。


一人になった瞬間、どんな顔をするのか。


そういうものは、なんとなく見てしまう。


美人だと思う人だっている。


でも、


――美人だな。


それで終わる。


運動ができるのか知らない。


勉強ができるのか知らない。


何が好きなのか知らない。


どんなことで笑うのか知らない。


性格だって分からない。


それなのに、好きになる?


俺には、よく分からなかった。


「おい」


後ろから髪を触られた。


「ちょっ、やめろって」


「ボサボサじゃん」


「触んな」


手を払う。


また触られる。


「やめろって」


口ではそう言いながら、本気で席を離れることはなかった。


そいつは笑っている。


俺もたぶん、少し笑っていた。


ふと、前を見る。


窓際。


彼女がこっちを見ていた。


まただ。


「何見てんの?」


後ろの男が言う。


「いや」


視線を戻した。


「別に」


俺は女子とほとんど話さなかった。


嫌いだったわけではない。


何を話せばいいのか分からないし、わざわざ自分から話しかける理由もなかった。


そもそも男子にだって、自分から話しかけることは少ない。


誰かが来る。


俺が返す。


それで人間関係は成立していた。


一人でいるときは、よく怖い顔をしていると言われた。


別に怒っているわけではない。


普通にしているだけだ。


けれど男子といるときは笑った。


くだらないことを言われれば笑う。


絡まれれば、


「うるせえ」


と言いながら相手をする。


体育になれば、もっと笑った。


特にバスケ。


ボールが手に入った瞬間、教室にいる自分とは別人になる。


走る。


抜く。


パスを出す。


シュートを打つ。


「よっしゃ!」


入れば声が出る。


楽しかった。


長距離も速かった。


走ること自体は好きじゃない。


それでも二クラス合同なら、前にいるのは数人だけだった。


ゴールしたら、


「はぁ……はぁ……」


膝に手をつく。


息が整えば、また教室に戻る。


いつもの顔に戻る。


俺にとっては、ただの日常だった。


卒業した。


結局、彼女とは一度も話さなかった。


少しくらい話してみてもよかったかもしれない。


そう思った。


でも、それだけだった。


大学に入って、変な男に会った。


最初は嫌いなタイプだと思った。


クラスで目立つ。


明るい。


女子を見つけると、自分から話しかけに行く。


ある日、聞いた。


「なんでそんな女子に話しかけんの?」


「下心」


即答だった。


「最低だな」


「男なんてそんなもんだろ」


「一緒にすんな」


そいつは笑った。


流行にも弱かった。


有名人。


音楽。


映画。


服。


流行っているものがあれば、すぐ食いつく。


「お前、本当にミーハーだよな」


「流行ってるってことは面白いってことだろ」


「その理屈はおかしい」


俺なら嫌いになるはずだった。


こういう人間は苦手だ。


そのはずだった。


「シャトルラン、何回?」


「お前には負けねえ」


「は?」


意外と速かった。


走れば、俺と張り合う。


身体能力は高い。


なのに。


「パス!」


バスケットボールがそいつの手に渡った。


次の瞬間。


「……何してんの?」


「ドリブル」


「それが?」


「うるせえ!」


身体能力はある。


なのに、ボールを持った瞬間だけ全身がおかしくなる。


リズムがない。


動きが硬い。


例えるなら、音痴。


運動音痴ではない。


バスケ音痴。


「お前、なんでそれでシャトルラン速いんだよ」


「関係ねえだろ!」


笑った。


気づけば、俺はそいつをよく見ていた。


「でた、ダルがらみ」


友達がそいつの肩にもたれかかっていた。


「重いんだけど」


そう言いながら、どかさない。


翌日も。


「でた、ダルがらみ」


また別の日も。


「でた、ダルがらみ」


何なんだ、こいつ。


女子には自分から近づく。


同性には寄りかかられる。


クラスでは騒ぐ。


でも、一人になれば普通にスマホを見ている。


何か特別に頭がいいわけでもない。


すごい才能があるわけでもない。


聞けば、家庭にもいろいろあるらしい。


詳しいことは知らない。


本人が言わないから、俺も聞かなかった。


それでも次の日には、いつも通り笑っている。


それが強さなのかどうかも、俺には分からない。


そもそも本人は何とも思っていないのかもしれない。


知らない。


知らないことばかりだった。


ある日。


「疲れた」


そいつが俺の肩にもたれかかってきた。


「……何してんの?」


「ダルがらみ」


「自分で言うなよ」


重い。


でも、どかさなかった。


「お前らさ」


近くにいたやつが笑った。


「ゲイなんじゃね?」


「違うわ」


「こいつ女子と全然喋んないもんな」


「関係ねえだろ」


「目も合わせてなくね?」


「うるさい」


肩の重みはそのままだった。


別に、嫌ではなかった。


その日の帰り。


一人で歩きながら、ふと思った。


俺は、あいつの何を知っているのだろう。


好きなもの。


嫌いなもの。


家で何をしているのか。


将来どうしたいのか。


どうしてあんなに女子へ話しかけるのか。


いや、あれは下心か。


どうして友達に寄りかかられても、本気では怒らないのか。


どうしてあんなにミーハーなのか。


どうしてシャトルランは速いのに、バスケだけあんなに気持ち悪い動きをするのか。


何も知らない。


なのに。


明日もたぶん、あいつを見る。


女子に話しかけていたら、


――またやってる。


と思う。


友達に寄りかかられていたら、


――またダルがらみされてる。


と思う。


バスケをしていたら、


――やっぱ下手だな。


と思う。


そのとき。


昔の教室が浮かんだ。


窓際、一番前。


小さな女の子。


俺が黒板の前に立つ。


彼女が見る。


男子と話す。


俺が笑う。


彼女が見る。


後ろから髪をいじられる。


「やめろって」


俺が少し笑う。


彼女が見る。


体育では、バスケをする。


走る。


笑う。


長距離では、前を走る。


教室に戻れば、また一人で怖い顔をしている。


――喋ったこともないくせに。


ずっと、そう思っていた。


足が止まった。


俺はスマホを取り出した。


連絡先なんて知らない。


SNSも知らない。


卒業してから、姿すら見ていない。


もしかして。


あの子も、こんな感じだったのだろうか。


何も知らない。


だから、見る。


見ていると、昨日とは違う顔が見える。


一人のとき。


友達といるとき。


教室にいるとき。


体育をしているとき。


誰かに触られたとき。


好きなものを見つけたとき。


少しずつ知っていく。


でも。


一度も話していない。


だから、本当は何も知らない。


その矛盾のまま、


また見る。


それを「好き」と呼ぶ人もいるのかもしれない。


俺には、まだ分からない。


あの男のことだって、好きなわけじゃない。


ただ、気になる。


人として。


なんか変だから。


一言では説明できないから。


明日になったら、また知らない顔を見せそうだから。


歩き出す。


卒業してからずっと、


喋ったこともないのに、何が分かるんだ。


そう思っていた。


たぶん、今でも間違ってはいない。


話さなければ分からないことは、たくさんある。


見ているだけで勝手に作り上げた人間と、本当のその人は違うかもしれない。


それでも。


見ていたから分かることも、


少しくらいはあったのかもしれない。


「……一回くらい、話せばよかったな」


誰もいない道で呟いた。


返事はなかった。


だから今度は。


明日、あいつに一つだけ聞いてみようと思う。


お前、


なんでバスケだけそんなに下手なの?


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