14.相手はカード名を宣言する
時刻は20時を過ぎたころ。
部活動を終えた大勢の水泳部員たちが、今日の練習のことや夏季総体のこと、他愛もないこと等を口にしながら、一斉に出口から連れ立って歩いてきた。
そして、最後に明かりが消えたプールの出口から、タオルを頭に被った海風が周囲をキョロキョロと見回しながら現れた。
「海風~」
「っ!」
校舎の物陰に隠れながら、海風に向かって手招きをする。
彼女は程なくしてこちらに気付いたようで、少し沈んでいたようにみえた表情が、にぱっと笑顔に切り替わった。
「やぁやぁ、ヨシツネくん」
「お、おう……お疲れ海風」
「あはは、なんか反応薄くない?私もずっと“ヨシツネ”くんって呼びたくてウズウズしてたのにさ」
『誰のせいでそうなったんじゃい』と言いたかったが、よく考えたら別に海風のせいでもなんでもない。
「い、いやアレは……ちょっと海風みたいにスイッチを切り替えようかと……」
「普通、授業中にはしないでしょ」
至極正論で返された。
「うぅ……」
「そんなことより、今日もエタデモで遊ばせてくれるの?」
「えっと、今日は軽く昨日の反省会だけ開こうと思ってた。なんか、お疲れかなと思ったから……」
「えー、そうなんだ。私がお疲れって、なんでそう思うの?」
「え、いや……まぁ、なんとなく」
「ふぅん……」
さっきの会話と、海風のため息を聞いてしまったなんて……言うべきではないよなぁ。
“気を遣ってる”なんて思われたら、それはそれで負担になってしまうだろうし。
「ま、いっか。それなら教室じゃなくて校舎裏で話しちゃう?」
「うん。寮の門限21時だっけ?だったら少しでも近い方がいいしな」
そう言葉を交わしてから間もなく。
俺たちは敷地外の街灯の光が僅かに届く、用具倉庫のそばにやってきた。
足下には雑草がぽつぽつと生えていて、草影の濃い奥側の暗闇からはいくつかの虫の声が響いている。
「ちょっと鬱蒼としてるかな。ごめん、場所変える?」
「ううん、大丈夫。虫とかは慣れっこだよ」
そう言って、海風は躊躇なく大きなエナメルバッグを地面の上に置いた。
そして、倉庫の土台となっているコンクリートブロックの縁に腰をかけ、「ふうっ」と息を吐いた。
彼女から少し間隔をおいて、俺も腰をかけることにする。
ほどなくして、海風が頭にかけていたタオルを外して丸めると、それまで立ち込めていた草の匂いとは異なる、俺が立ち入ることのできない世界の香りを感じた。
「……」
「……ボーッとこっち見て、どうしたの室井くん?」
「え、いや、なんでもない」
「んー……なんかヘンなの」
「そ、それより……昨夜は本当に申し訳ございませんでした……」
「昨夜?……あぁ、あれのことかぁ」
海風が両手をポンと、大げさに叩く。
「いいよいいよ、全然気にしないで。それ言ったら、私もお祭りのとき……その、泣いちゃったわけだし」
「まぁ……それもそうか」
「うん、そう……」
「……」
ほっとしたのも束の間、それから次の言葉がでてこなくなった。
そして、無言の時間が再び流れる。
「……あの、反省会、なんだよね?」
「っ! そ、そうだよ。何かざっくりとした感想とかあったら、まずは聞きたいなーとか思ったり。ははは……」
海風はじっとりとした目でこちらを見ている。
どうしてこんなにも、ストレートに話を運ぶことができないのか。
それは自分でも分かってる。
今の俺が知りたいのはきっと、“エタデモ”のことじゃなくなってしまったからだ。
「おっけ。じゃあまず全体的なことを言うと……すごくすごく楽しかったよ!」
「ほ、ほんとに?」
「うん、そこは昨日も言った通りだよ。まぁあの後、自分でもなんか凄いオーバーな感情表現をキミの前でしたなって……正直めちゃくちゃ恥ずかしくなったんだけど」
「あはは、俺もだよ。なんかヘンな空気に呑まれちゃって」
「そうそう。でも、そんな空気感も含めて昔のまんまだなーって、つい思っちゃったよ」
「そっか、それはよかったよ」
海風の今の言葉は、きっと嘘偽りないものだと思えた。
それは素直に嬉しいのだけれど、それだけにさっきの“ため息”が頭にこびりついて仕方ない。
海風が肩の荷を下ろすために、俺にできることって――他にないのかな。
「あーでも、やっぱり裏面からカードが分かるのはヤバいよね。あれはあれで謎の駆け引きがあって面白かったけど、それは室井くんの望むところじゃないんでしょ」
海風、やはり望むところじゃないと分かっててやってたのかよ。
オソロシー女だ。
「うん……それはまぁ。だから、俺はこんな対策を用意しました」
「ほうほう」
俺が“例のブツ”を取り出そうとカバンを膝に乗せると、海風が前のめりで覗きにきた。
顔と香りが一気に近づいて、なんだか胸がふわっとした。
でも、表情には出さないように頑張った。
「……これですっ。“カードスリーブ”!」
「おぉー! ……ふっ、なんか……室井くん好きそうなスリーブだね」
赤と黒のリアルなドラゴンのイラストがミチミチに描かれた市販のカードスリーブを見て、海風は笑いを堪えながらそう言った。
「で、デザインはなんでもいいっ。とにかくこれをプレイ時に使えば裏は見えなくなるだろ」
「あはは、たしかに。昔うちは使ってなかったけど、おにいの友達はこういうのにカード入れてたなぁ」
「え……むしろ、スリーブなしでよくオリジナル混成ドラクロが成り立ってたな」
「まぁ、はじめはそーいう遊びだって割りきってたから。なんなら、途中からは全部オリジナルになっていったし」
彼女が昔話をするときは、いつもどこか遠い目になる。
俺は昨日、『お兄さんの代わりにはなれない』とはっきり言った。
海風がそれに対してどう思ったのかは分からない。
「こうして話してると……俺の“エタデモ”って、お兄さんの作ってたカードとは方向性が微妙に違うような気がしてきた」
「そう?だいたい似たよーな感じだと思ってたけど」
「そうかな。なんか、海風が“欲しいもの”に本当に寄り添えてるのか……急に不安になってしまって」
「ふぅん……」
俺が言葉をこぼすと、それを聞いた海風は何かを考え込み始めた。
「……気にしすぎじゃない?私は、今の路線をぜひ突き詰めてほしいと思ってるんだけどな。面白いし」
「そ、そう?」
「そう。あぁ、でも……あまりハマりすぎると、練習が疎かになって《《穂坂》》先輩に怒られちゃうかもなー」
「ん、穂高先輩じゃなくて?」
そのとき、海風の目が一瞬だけ大きく開いた。
「……そう、穂高先輩だったね。うっかりうっかり」
「?」
海風は発言を訂正したあと、なぜか顔を向こう側にプイと逸らしてしまった。
自分の先輩の名前を間違えるなんて、うっかりやさんだなぁ。
「……海風?」
「……ううん。なんでもないよ」
そう言って振り返った海風の表情は、どこか緩んでいるようだった。
頬も赤くなってる、よほど恥ずかしかったのかな。
「それより、キミは今まで通りに“エタデモ”を作ってよ。私が欲しいものは、本当にそれだけなんだ」
「海風……」
「昨日見せたでしょ?私はどんな勝負だって、自分のやり方で――どんな手を使ってでも勝つんだから」




