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第九話:圧倒的な格差

 宿場町『黄金の麦穂亭』の朝は、平穏とは程遠い絶叫と共に幕を開けた。


「魔物だ! 上位種が、外壁を食い破って侵入してきたぞ!」


 見張り台の鐘が乱打され、平和な朝食の時間は一瞬で戦場へと塗り替えられた。

 俺が食堂の窓から外を覗くと、街の広場には黒い霧を纏った巨大な獣――上位魔族『影の捕食者シャドウ・イーター』が数体、影の中から這い出してくるのが見えた。


「くそっ、こんなところで……! 全員、武器を取れ!」


 勇者ゼクスが、錆びた聖剣を強引に引き抜き、仲間たちを鼓舞する。

 彼らにとっては、汚名を返上し、失いかけた民衆の信頼を取り戻す絶好の機会に見えたのだろう。


「クララ、バフを! ガイル、俺の援護をしろ!」

「分かっていますわ! ……聖なる光よ、我が友に力を――っ、えっ!?」


 クララの杖から放たれた強化魔法の光が、ゼクスの体に触れた瞬間、パリンと乾いた音を立てて霧散した。

 レイが去った後、彼らの体に蓄積し続けていた「細かい呪詛」と「装備の腐食」。それが、外部からの純粋な魔力干渉を拒絶するデッドロックを引き起こしていた。


「な、なんだ!? 魔法が効かないだと!?」

「ゼクス、前だ! 来るぞ!」


 影の捕食者が、漆黒の爪を振り下ろす。

 かつてのゼクスなら、聖剣の輝き一閃で斬り伏せていたはずの敵。だが今の彼の剣は、レイの『反転』による定期的な研磨を失い、魔力の通り道が完全に目詰まりを起こしていた。


 ガキィィィンッ!


 鋭い金属音と共に、ゼクスの聖剣が弾き飛ばされた。

 

「……嘘だろ。俺の聖剣が、押し負けるなんて……!」

「あ、あぁ……助けて、誰か助けてくださいまし!」


 勇者たちが無様に地を這い、住民たちが絶望に顔を歪める中。

 俺は、飲みかけのスープをゆっくりと飲み干し、隣に控える二人に視線を向けた。


「……ルナ、リタ。あんなのに街を壊されたら、今夜の宿がなくなる。……片付けてこい」


 俺が静かに命じると、それまで私の食事を見守っていた二人が、弾かれたように立ち上がった。


「御意。……主様の安眠を妨げる影、一瞬で断ち切ります」

「ふふ、レイ様が見守っていてくださるのですもの。無様な姿は見せられませんわね」


 二人は窓から軽やかに広場へと飛び降りた。

 その瞬間、戦場の空気が一変した。


 ルナが腰の魔剣『残響の銀閃エコー・シルバー』を抜き放つ。

 一閃。

 勇者たちが束になっても傷一つ負わせられなかった魔族の胴体が、紙細工のように両断された。

 ルナの『神速の直感』は、敵の防御が最も薄くなる「影の隙間」を完璧に捉えていた。


「な、なんだ……あの速さは……っ!」

 地面に這いつくばったまま、ゼクスが呆然と呟く。


 一方、リタは戦場の中央に優雅に立ち、ルナの背後を完璧に守護していた。

 彼女が指先を宙に踊らせると、ルナの魔剣に黄金の幾何学模様が刻まれ、その威力が数倍へと跳ね上がる。


「ルナさん、右からの影は私の錬成で『分解』しておきましたわ。……心置きなく、主様への忠誠を示しなさいな」

「……余計な世話。でも、この剣のキレ……悪くない」


 勇者が血を流し、聖女が泣き叫ぶ中で。

 二人の少女は、まるで美しい舞を踊るかのように、上位魔族たちを文字通り「蹂躙」していった。

 一切の無駄がない、効率化の極致。

 それは、レイが与えた『能力』と、リタが与えた『装備』、そしてレイへの『愛』が結実した、最強の形だった。


 数分もしないうちに、広場を埋め尽くしていた影の魔族たちは、黒い塵となって消滅した。

 静寂が戻った街で、勇者たちは立ち上がることすら忘れ、自分たちが「無能」と切り捨てた男が育て上げた少女たちの背中を、ただ見上げることしかできなかった。


 ◇


 戦闘が終わった直後。

 街の住人たちが、救世主となった俺たちの周囲に集まってきた。

 その中の一人、興行師の格好をした男が、俺たちの強さにすがりつくようにして声をかけてきた。


「ああ、お、お客人! とんでもない強さだ! もしよければ、隣町の私の見世物小屋も守ってくれないか!? 最近、仕入れた『虎獣人』の娘が呪いのせいで死にかけていて、魔物を引き寄せちまってるんだ!」


 ――呪いで、死にかけている獣人。


 その言葉を聞いた瞬間、俺の奥底にある「鑑定士」としての本能が疼いた。

 獣人族という、本来なら生命力の塊であるはずの種族が、死にかけるほどの呪いを背負っている。その「マイナス」の深さは、どれほどのものか。


「……隣町だな。面白い、案内しろ」


 俺が即答すると、案内を求めた男は顔を輝かせたが、隣に立つルナの表情は、一瞬で氷のように冷え切った。

 彼女は俺の袖を、昨日よりも少しだけ強い力で握りしめる。


「……レイ様。あなたのその『一撃』は、世界に一つしかないのですよ?」


 ルナの声は、低く、湿っていた。

 自分を救い、世界の色をくれたあの唯一無二の奇跡が、また別の「誰か」に向けられることへの、耐え難いほどの拒絶。

 彼女にとって、レイの『反転』は、自分と主を結ぶ聖なる鎖なのだ。


「分かっているさ、ルナ。……だが、お前という最強の剣を支えるには、もう一柱、盤石な『盾』が必要なんだ」

「……盾、ですか。……私一人では、足りませんか?」

「足りるさ。だが、俺はお前を傷つかせたくないんだ」


 俺がルナの頭に手を置き、その銀髪を優しく撫でると、彼女は不満げに頬を膨らませながらも、すとんと毒気を抜かれたように大人しくなった。

 

「……ずるいです、レイ様。……そういう風に言われたら、私は何も言えません」

「ふふ、ルナさんは本当に独占欲が強いですわね。……レイ様、その獣人の方、私も興味がありますわ。……私の錬成でも治せないほどの『欠陥』なら、それは最高の素材になりそうですもの」


 リタは、研究者としての冷徹な好奇心を瞳に宿し、艶やかに微笑んだ。

 俺の隣は、いつの間にか、とんでもない執着を抱えた美女たちで埋まり始めている。


「おい、待て……! レイ! 待ってくれ!」


 背後から、ゼクスの情けない叫びが聞こえてくる。

 だが、俺は一度も振り返らなかった。

 

 勇者たちがどれほど後悔しようが、どれほど俺の力を求めようが、もう遅い。

 俺の『一回』は、お前たちを救うための安売り品じゃない。


 俺は、新たな絶望――ガオという名の虎の咆哮を聞きに、隣町へと歩みを進めた。


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