第八話:再会、あるいは過去との決別
街道沿いに位置する宿場町『黄金の麦穂亭』。
ここは王都へ続く物流の要所であり、昼夜を問わず多くの冒険者や商人が行き交う活気ある場所だ。その一角にある、町で一番大きな宿の食堂は、夕食時ということもあって大勢の客で賑わっていた。
その喧騒の中で、そこだけが別世界のような静寂と、異様な威圧感を放っている一角があった。
「……レイ様。こちらの白身魚の香草焼き、とても良い火加減ですわ。さあ、冷めないうちにどうぞ」
優雅な所作でフォークを差し出すのは、没落令嬢としての卑屈さを脱ぎ捨て、高貴な美しさを取り戻したリタだ。
彼女が纏う青いドレスの上には、自ら錬成した白銀の胸当てが鈍く光り、知的な美貌をより一層際立たせている。
「リタ。……主様に食べさせるのは、私の役目。あなたは、自分の分を食べていればいい」
反対側に座るルナが、低く、けれど鋭い声で制止する。
彼女の腰には、リタが魂を込めて打ち直した魔剣『残響の銀閃』が静かに鎮座していた。その刀身から漏れ出す神性な魔力は、周囲の冒険者たちが思わず視線を逸らすほどの「格」を放っている。
「あら、ルナさんはさっきからお肉ばかり勧めているではありませんか。栄養のバランスを考えるのも、私の務めですわ」
「……栄養は、私が後で魔力循環を整えれば済むこと」
二人の美少女が、一人の青年を巡って火花を散らす光景。
その中心に座る俺――レイは、リタが錬成した漆黒の『深淵の魔導衣』を羽織り、運ばれてきたエールを静かに煽っていた。
「二人とも、そこまでだ。……食事が不味くなる」
俺が短く告げると、二人は「申し訳ありません」と同時に頭を下げ、大人しく席に戻った。
周囲の冒険者たちは、この異様な主従関係に息を呑み、遠巻きに眺めている。
「あの黒衣の男、何者だ?」「連れている女、一人は魔族じゃねえか?」「あんな見事な魔剣、王宮騎士団でもお目にかかれねえぞ……」
そんな囁きが聞こえてくる中、宿屋の入り口が乱暴に蹴破られた。
「おい! 勇者パーティ『光の凱旋』のお帰りだ! 一番良い席を空けろ!」
聞き覚えのある、傲慢な怒鳴り声。
入ってきたのは、全身泥と返り血に汚れ、満身創痍となった三人の男女だった。
先頭に立つ勇者ゼクスは、かつて白銀に輝いていた鎧が至る所で凹み、腰の聖剣『アスカロン』は鞘ごと赤錆に塗れている。
聖女クララは、その美しい金髪を振り乱し、顔色は土色に沈んでいた。彼女が振るう癒やしの力は、もはや彼女自身の極限まで蓄積した疲労を癒やすことすらできていない。
戦士ガイルに至っては、足を引きずり、肩に担いだ大斧の刃が大きく欠けていた。
「ハァ……ハァ……。クソっ、なんだってあんな雑魚モンスター相手に、ここまで手こずるんだ……!」
ガイルが苛立ちを隠さず、近くの椅子を蹴り飛ばした。
「……ガイル、静かにしてください。私の魔力も、もう底なんです。……あぁ、誰かこの呪い落としを代わってくれないかしら……。身体中が、重くて死にそうですわ……」
彼らは、自分たちのすぐ隣のテーブルに、かつて「無能」と蔑んで追放した男が座っていることに、まだ気づいていない。
「……ゼクス。あの席が空いているわ。……って、えっ?」
クララが、俺たちのテーブルに視線を向けた瞬間、その動きが凍りついた。
「レ、レイ……? ……なの? ……嘘でしょう?」
彼女の震える声に、ゼクスとガイルが弾かれたように振り向く。
三人の視線が、俺の姿を、そして俺の隣に侍る二人の美女を捉えた。
「レイ!? お前、なぜこんなところに……。いや、その格好は何だ! その女たちは誰だ!」
ゼクスが絶句する。
かつて自分が「荷物持ち」として扱っていた男が、自分たちが喉から手が出るほど欲しがっている、一点の曇りもない『完璧な装備』を纏っている。
そして、自分たちが雇ったどんな支援術師よりも美しく、強大な魔力を秘めた女性たちを従えている。
俺は、エールを飲み干し、ゆっくりと彼らに視線を向けた。
「……騒がしいな。食事の邪魔だ。……消えてくれないか」
「なっ……! お前、誰に向かって口を利いている! 勇者である俺を忘れたのか!」
ゼクスが激昂し、錆びた聖剣の柄に手をかけた。
その瞬間。
シュンッ、という鋭い風切り音と共に。
ルナが座ったまま、鞘に入った魔剣の先端をゼクスの喉元に突きつけた。
「……主様を侮辱するなら、その喉を裂く。……一秒で」
ルナの放つ、一切の迷いがない殺気。
『神速の直感』を得た彼女の動きは、満身創痍の勇者には捉えることすらできない。
ゼクスは冷や汗を流し、喉を鳴らした。
「……待ちなさい、ルナさん。そんな無様な男の血で、レイ様がくださった剣を汚すことはありませんわ」
リタが優雅に、けれど凍りつくような冷笑を浮かべて立ち上がった。
「見てください、この聖剣。……ふふ、可哀想に。持ち主の慢心という名の『腐敗』が、ここまで進行して。……勇者様、その鉄屑、私が代わりに処分して差し上げましょうか?」
「き、貴様ら……! 俺を誰だと思っている! レイ、お前からも何か言え! この生意気な女どもを黙らせろ!」
ゼクスの叫びが、虚しく食堂に響く。
俺は、彼らと視線を合わせることさえせず、リタが注いでくれた新しいエールに口をつけた。
「……黙れ。……もう、お前たちの名前も忘れた。二度と、俺たちの視界に入るな」
「な……っ!」
「レイ、待って! 昨日の戦闘でガイルが受けた呪いが治らないの! あなたなら、一日一回のあのスキルで、なんとかできるでしょう!? 私たちを助けなさいよ!」
クララが必死に、縋り付くような声を上げた。
その言葉に、俺は初めて、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「……クララ。言ったはずだ。……俺の『一回』は、お前たちの一生よりも重い、とな」
「え……?」
「お前たちのような、自分たちの不運すら他人のせいにする奴らに……俺の『今日』を捧げる価値は、一滴もない。……行こう、ルナ、リタ。空気が汚れた」
俺が席を立つと、ルナとリタが当然のように、誇らしげに左右に並んだ。
唖然と立ち尽くす勇者たちの間を、俺たちは悠然と通り過ぎていく。
背後でゼクスが何かを喚き、クララが泣き崩れる気配がした。
だが、俺の心は驚くほど静かだった。
かつての仲間。かつての因縁。
そんなものは、俺が救った彼女たちの未来に比べれば、あまりにも無価値だった。
俺の『一撃』は、これから出会う、さらなる『絶望』のためにある。
俺は一度も振り返ることなく、夜の街道へと踏み出した。




