第六十五話(最終回):反転の王、明日を食い破れ
空に浮かぶ白銀の王国、シュトラール。
あの日、真神を打ち破り、世界を「白紙化」から救い出してから、数年の月日が流れていた。
かつてジョシュアが汚した空は、今や七色の虹が常時たなびき、管理から解き放たれた人々が、それぞれの「自由な色」で新しい文明を築き上げている。
「……パパ! パパ、見て! お庭のお花を『はんてん』させたよ!」
王城のバルコニー。私の膝に飛び込んできたのは、銀髪に紅蓮の瞳を宿した、小さな小さな反転者――私の愛娘、アイリス(二世)だった。
彼女の手の中では、枯れかけていた一輪の白百合が、瑞々しい白銀の輝きを取り戻して咲き誇っている。
「……ああ、上手だな。アイリス」
私は娘を抱き上げ、その柔らかな髪を撫でた。
一日に一度という制約さえも過去のもの。この国では、子供たちさえもが「明日を良くする力」を、反転という名で使いこなしている。
「あら、レイ! また甘やかしているの? この子の魔力回路は、もっと厳しく指導しなさいと言ったでしょう!」
背後から、相変わらず若々しく、そして凛とした声が響く。
母アイリスだ。彼女は一線を退いた「大太后」として、相変わらず姑の威厳を振り回しながら、毎日城中を賑わせている。
「母さん。……今日は建国記念祭だ。少しくらい、休ませてくれ」
「ふん、救世主に休みなんてないわよ。……ほら、貴方の『お嫁さん』たちが、痺れを切らして待っているわ」
アイリスが指差した先。
広場へと続く大階段から、六人の「王妃」たちが、それぞれに美しき正装を纏って現れた。
「……主様。……遅い。……私の影、……主様を待って、……寂しがっている」
ルナが、銀のドレスの裾を揺らしながら、私の左腕を当然のように確保する。
「旦那! 祭りの号砲はアタイが撃ち上げたぜ! ほら、行こうぜ、みんな待ってるんだ!」
ガオが、新調された純金仕様の義手で私の肩を叩き、豪快に笑う。
「主様! 空中都市の魔力出力は安定していますわ。……今夜は、主様のために最高にロマンチックな演出を仕掛けておきましたの(リタ)」
「一秒先の未来を視たよ。……今日、キミは僕たち全員に、……もう一度『愛している』と言ってくれるね(セレナ)」
「レイ様の治めるこの国が、……永遠に福音で満たされますように(フィオナ)」
そして。
「……貴公、遅すぎるぞ。……国王としての威厳、……私が後でたっぷりと教育し直してやらねばな」
騎士王妃として軍を束ねるヴィクトリアが、不器用に赤面しながら私の背中を押した。
◇
凱旋広場。
そこに並んでいたのは、かつて私を「一発屋の無能」と呼び、勇者パーティから追放した者たちの姿があった。
彼らは今、落ちぶれた冒険者として、あるいは一介の平民として、この空中王国の恩恵に肖りながら、眩しそうに私を見上げている。
「……信じられない。……あの日、捨てた『レイ』が……世界を救った反転の王だったなんて……」
「……俺たちが捨てたのは、ゴミじゃなくて……世界の希望だったのか……」
彼らの後悔と、嗚咽。
だが、今の私の心には、彼らを憎む「反転」の衝動さえ湧いてこなかった。
憎しみさえも裏返され、今はただ、隣にいる仲間たちと、この国を愛おしむ平穏だけが満ちている。
「……レイ。……お別れね、この物語も」
アイリスが、私の隣でそっと手を繋いだ。
システムが消え、物語の「設定」から解き放たれた私たちは、ここから先、誰も知らない白紙の未来を歩んでいく。
「……ああ。……でも、不安はないよ。……どんな絶望が来たって、……俺たちが全部、最高の明日に変えてやるんだからな」
私は、ルナ、リタ、ガオ、セレナ、フィオナ、ヴィクトリア、そしてアイリス。
私の魂の一部である彼女たちの手を、一人ずつ、力強く握りしめた。
「…………行くぞ、みんな」
私は、右手を天へと掲げた。
胸の『極光の魔導核』が、家族の愛と民衆の歓喜を吸い込み、これまでにないほど眩しい、白銀と虹色の光を放つ。
「…………制約を、……この素晴らしい明日ごと、……食い破れ(エターナル・インヴァース)!!」
パリンッ!!
空が割れ、世界中に幸せな光の雨が降り注ぐ。
追放された少年が、母の愛を知り、五色の絆を編み、神の理を食い破った物語。
その幕引きは、悲鳴ではなく、至福の歌声と共に。
反転者の物語――ここに完結。
だが、彼らの「騒がしい日常」は、どこまでも続く青空の向こう側で、永遠に描き直されていく。




