第五十六話:新世界の夜明け、救世主は働きたくない(?)
王都シュトラールの豪華な寝室。
窓から差し込む朝日は、昨日までの「白紙化」という絶望を嘘のように消し去り、埃の一つ一つまでを黄金色に輝かせていた。
「……ん、……ふわぁ」
私は、半年ぶりに「明日を心配せずに済む」という、泥のような深い眠りから目を覚ました。
だが、視界が開けた瞬間、私の顔の真上に、透き通るような美貌が鎮座していた。
「……あら、やっと起きたわね、レイ。世界を救ったからって、いつまでも二度寝してちゃダメよ。救世主の朝は、お母様の特製スープを飲み干すことから始まるんだから!」
アイリス。実体化した我が母は、エプロン姿で私のベッドの縁に腰掛け、湯気の立つボウルを手に満面の笑みを浮かべていた。
「……母さん。……まだ、夜明けだぞ」
「いいえ、新しい世界の『第零日』よ。……ほら、あーんしなさい。貴方が勇者パーティを追い出されて、ガリガリに痩せていた頃の分まで、私がたっぷりと栄養を反転してあげるわ」
アイリスに抱きしめられ、強引にスープを口に運ばれる。
扉の外では、ヴィクトリアが「……師匠、そろそろ私に交代を。……本日の公務のスケジュールが……っ」と、騎士団長らしからぬ焦れた声で順番待ちをしていた。
◇
午後。王城の広場で催された大宴会は、国中の色彩が爆発したかのような騒ぎだった。
ジョシュアの支配も、システムの消去もない。人々が自分の色で笑い、歌う。
私は、そんな喧騒から少し離れた特等席で、五人のヒロインたちの「波状攻撃」を受けていた。
「……主様。……世界に、色が戻った。……でも、私の瞳に映る色は、……貴方の白銀だけでいい」
ルナが、二人きりになったテラスの隅で、私の影に潜るようにして寄り添ってきた。
彼女は私の指を一本ずつ確かめるように握り、耳元で「……お疲れ様、レイ」と、聖剣よりも鋭く心に刺さる、甘い囁きを遺して去っていった。
「旦那! 見てくれよ、街の奴らがアタイの義手に花を飾ってきやがった!」
ガオが、花飾りでデコレーションされた『轟天の剛腕』を誇らしげに掲げ、そのまま私の腰を大きな尻尾でぐるぐると拘束した。
「……なぁ、旦那。アタイ、今日だけは『盾』を休んで……旦那に守られる『女』になってもいいか?」
野性児らしい直球の甘え。彼女の熱い吐息が、決戦の疲れを一瞬で快感へと裏返していく。
「レイ様! これ、新しい反転の触媒……ではなく、……私の『愛』を錬成した特製のアミュレットですわ!」
リタが顔を真っ赤にして、私の首に新しいアクセサリーをかけた。
「これを着けている限り、主様の心拍数は私の工房と同期されますの。……レイ様のドキドキを、私……独り占めしたいんですわ!」
「……レイ。一秒先が見える。……キミが、僕の手を引いて、……ダンスに誘ってくれる未来だよ」
セレナが、予知を的中させるために自ら私の手を掴み、ステップを踏み始めた。
「……時間の理は消えたけど、キミとの一瞬は、……僕が一生かけて反転し続けるからね」
「……最後は、私の腕の中で……。……レイ様、膝枕は、いかがですか?」
フィオナが、圧倒的な聖母の包容力で私を受け止める。
彼女の膝の上で、私は初めて「世界の重荷」を完全に下ろした気がした。
◇
宴も闌。夜風に当たろうとバルコニーに出ると、そこにはヴィクトリアが、騎士の仮面を半分ほど脱いだような、穏やかな表情で立っていた。
「……貴公のおかげで、私も師匠に顔向けができる。……だが、……騎士としてではなく、一人の女としての私は……まだ、貴公を許していないぞ」
「……何がだ?」
「……あの子たちばかりを甘やかして、私には……一言も『褒め言葉』をくれないではないか」
ヴィクトリアが、そっぽを向いて頬を染める。
私は彼女の肩を引き寄せ、「……これからも、俺の隣で盾を持っててくれよ、ヴィクトリア」と告げた。
「……なっ、……あはは! 言ってくれる! ……よかろう、地獄の底まで付き合ってやる!」
◇
深夜。王都の城門には、新たな影が落ちていた。
システムが消えたことで、世界を隔てていた不可視の「壁」が消失し、見たこともない異国の装束を纏った使者たちが、続々と姿を現していた。
「……さぁ、始まったわよ、レイ」
アイリスが、私の隣で不敵に、そして楽しそうに笑った。
「……管理が消えた後の世界は、自由で、残酷で、……最高に面白いわ。貴方の『反転』を、今度は国家間の争いや、新しい世界の理作りに使ってもらうわよ?」
「……まったく。救世主ってのは、……なかなか休ませてもらえないらしいな」
私は溜息をつきつつも、隣にいる仲間たちの手を、一人ずつ握りしめた。
反転者の物語は、神殺しを越え、混沌とする新世界の「覇道」へと突き進む。
「…………制約を、……この新しい明日ごと、……食い破れ!!」




