第四十九話:世界崩壊の秒読み、白亜の母(しゅうとめ)の猛威
王都シュトラールの外縁部。そこは、かつてないほど「静かな絶望」に包まれていた。
ドォォォ……という重低音が空から響く。見上げれば、青空の一部が焦げたように剥がれ落ち、そこから真っ白な「無」が染み出していた。
街路樹が、石造りの民家が、そして逃げ惑う人々が、ジョシュアの時のように「絵の具」になることさえ許されず、音もなく透明な「立方体」へと変換され、空へと吸い込まれていく。
消えた瞬間、周囲にいた者たちの意識からも、その対象が「最初から存在しなかった」かのように記憶が削り取られていく。
「……レイ、一秒先が見えない! 未来というキャンバスそのものが、端から裁断されているんだ……っ!」
セレナが紺碧の瞳を激しく明滅させ、頭を抱えて蹲った。時間の支配者である彼女にとって、流れるべき「時間」そのものが消えていく現状は、視界を奪われるに等しい苦痛だった。
「主様! 斬っても、……手応えがない。……虚無を、……切ることができない……!」
ルナが『不変の銀閃・零』を振るうが、白紙化の波は彼女の剣筋を透過し、じわじわと王都の中央へと迫り来る。
「……あらあら。行儀が悪いわね、システム(神様)さん。私の可愛いレイがせっかく手に入れた新しい家(世界)を、勝手に片付けないでもらえるかしら?」
その時、私の前に、白銀のドレスをたなびかせたアイリスが、優雅に、そして不敵な足取りで進み出た。
彼女が指先をパチンと弾くと、足元の石畳から白銀の波紋が爆発的に広がり、迫り来る「無」の侵食を、物理的な壁となって押し留めた。
「……母さん!?」
「レイ、見ていなさい。これが『反転』を極めた者が辿り着く、世界の再定義よ」
アイリスが両手を広げると、彼女の周囲に浮遊する無数の光の断片が、消えゆく立方体に直接干渉を始めた。
「……反転。……『消去』を、『不滅』へ。……『白紙』を、『極彩』へ!」
ドォォォォォォォォォンッ!!
アイリスの放つ圧倒的な因果の波動が、空に浮かぶ[DELETE]の文字を真っ向から押し返した。
消えかけていた民家が、透明な粒子から再び実体を取り戻し、以前よりも強固な「因果の結晶体」となって再構築されていく。
彼女の『根源反転』は、神が「消す」と決めた事実さえも、「残る」という絶対の真実へと塗り替えていた。
「貴女たち、何をしてるの! 足が止まっているわよ! レイの隣にいたいなら、この程度の虚無、気合と愛で弾き返しなさい!」
アイリスの叱咤が、硬直していたヒロインたちの背中を叩く。
「……っ、……やってやりますわ! 姑様に『お荷物』だなんて、……言わせませんわよ!」
リタが錬成陣を全開にし、アイリスが固定した物質に「対・消去コーティング」を施していく。
「旦那! アタイがこの虚無の喉元を、……物理的に握りつぶしてやるぜぇ!!」
ガオの漆黒の義手が、虚無の空間そのものを「掴み取り」、反転の衝撃で粉砕する。
「…………これだけの消去、……受け止めるだけじゃキリがないな」
私は、アイリスが作り出した白銀の領域の中央で、天を仰いだ。
胸の『極光の魔導核』が、世界の消失という最大のマイナスを、最大のプラスへと変換しようと、限界を超えて咆哮を上げている。
「…………三位一体、……制約を、……存在の証明として、……食い破れ(ワールド・リブート)!!」
ドクンッ!!
私の心臓から放たれた白黒の奔流が、王都の空を真っ二つに裂いた。
空へと溶けていった数千、数万の「人々のデータ」を、私は因果の糸で逆探知し、無理やり地上へと「再実体化」させて引き戻す。
消えた命を、消えていないことにする。
奪われた過去を、奪われていないことにする。
それは、世界の運営システムそのものを「嘘つき」呼ばわりする、究極の叛逆。
『 ―― [ ERROR : IRREGULAR ENTITY STRENGTHENING ] ―― 』
『 ―― [ FORCED RESET FAILED ] ―― 』
空に浮かぶ無機質な警告文が、私の放つ極彩色の光に焼かれ、ノイズとなって崩れていく。
「ふふ、いいわよレイ! その調子で、この傲慢なシステムを丸ごと書き換えてしまいなさい!」
アイリスが、私の背中に手を添え、自らの膨大な魔力を直接私の中に流し込んだ。
母の愛と、仲間の執念。
それらが一つに溶け合った時、王都の空に、巨大な「裂け目」が出現した。
「……あの中に、この世界を『失敗作』と断じた、無機質な神の心臓――真神の中枢があるわ」
アイリスが、空の裂け目を不敵に指差した。
「……全軍、突撃準備! 救世主の道を、一歩たりとも邪魔させるな!!」
ヴィクトリアが剣を掲げ、再構築された騎士団を鼓舞する。
私は、五人のヒロイン、そして最強の騎士と母を振り返った。
誰一人、消えてはいない。
誰一人、絶望してはいない。
「……行くぞ。……世界を消しに来たってんなら、……その『消しゴム』ごと、……俺が全部反転させてやるよ」
私は、七人の絆という名の最強のインクを纏い、世界の心臓部へと続く次元の穴へ、真っ先に飛び込んだ。
反転者の物語は、ついに「神の仕様書」を書き換える、最終章へと突入した。




