第四十七話:神の終焉、白亜の母(しゅうとめ)降臨
『神の画室』の深淵。
崩壊を始めた黄金の空間で、もはや人間としての形を失い、無数の折れた筆の残骸とドロドロとした黒い泥の塊に変貌したジョシュアが、最後の発狂を上げていた。
「……消えろ! 消えてしまえ、ノイズ(生)ども!! 僕の完璧な画室を、……こんな、……泥臭い色で汚すなぁぁぁ!!」
ジョシュアの異形の肉体から放たれたのは、世界そのものを消し炭にして最初から描き直そうとする、究極の『終末の黒』。
だが、私と、私の隣に立つ六人の絆は、もはや神の筆ごときで塗り潰せるほど脆弱ではなかった。
「……みんな! これが最後だ、……俺に、……お前たちの全存在(色)を預けろ!!」
私の叫びに呼応し、ルナ、リタ、ガオ、セレナ、フィオナ、そしてヴィクトリアが、自らの魂を削り出すようにして魔力を一点に集束させた。
白銀、黄金、漆黒、紺碧、純白、そして断罪の赤。
六つの原色が、私の心臓に宿る三位一体の鼓動と重なり、虹色の光さえも越えた、この世に存在しない『真実の色彩』へと昇華される。
「…………因果の原色、……神の座ごと、……食い破れ(ワールド・リバース)!!」
ドォォォォォォォォォォォォンッ!!
世界が反転した。
ジョシュアが放った『終末の黒』は、私の極彩色の因果に触れた瞬間、まばゆい「誕生の光」へと裏返り、彼自身の異形の肉体を内側から焼き尽くしていった。
書き換える力を、「書き換えられる無力」へ。
神としての権能を、「一人の人間としての脆弱」へ。
光が収まった時、そこには巨大な筆の怪物などいなかった。
ボロボロの画材の残骸の中に、虹色の瞳の輝きを失い、ただ震えるだけの、一人の力なき青年が横たわっていた。
「……あ、……あは、は。……僕を、……ただの『色』に戻したのか。……不愉快だね、……本当に……」
ジョシュアの身体が、足元から静かに、虹色の塵となって崩れていく。
「……でも、……喜ぶなよ。……『真の筆』は、……描き直すのをやめて、……白紙を選ぶだろうから……。……次は、……君たち自身が、……消去される番だ……」
呪詛のような言葉を遺し、ジョシュアは音もなく霧散した。
主を失った『神の画室』が、砕ける硝子のように粉々に砕け散り、現実の世界へと回帰していく。
◇
聖域エリュシオンの跡地。雲海の上、瓦礫の山となった祭壇の中央。
ジョシュアが消えたことで、世界のシステムを維持するための「部品(楔)」として縛られていた魔力の奔流が、一箇所へと収束し始めた。
まばゆい白銀の光。
その中心から、一人の女性が、ゆっくりと地面に降り立った。
二十年前の美貌そのまま。雪のように白いドレスをまとい、その瞳には慈愛と、そして強烈なまでの生命の熱を宿した女性。
「……あ、あぁ……。……レイ……。……私の、……私の愛しい息子……!」
アイリス。
鈴の中の残響でも、精神世界の幻影でもない。
確かな体温と、鼓動を持った、私の母親がそこにいた。
「……母さん……っ!」
私は、駆け寄ってきたアイリスを、全身で受け止めた。
抱きしめた瞬間に伝わってくる、懐かしい、花の香りと、確かな肉体の温もり。
「……レイ、……逞しくなったわね。……あんなに小さかった貴方が、……私を助けてくれるなんて。……あぁ、……生きていてよかった。……貴方の母親でいて、……本当によかった……っ!」
アイリスは私の胸に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。
追放、絶望、修行、そして神殺し。
すべての苦労が、この一瞬の温もりのためにあったのだと、私は確信した。
だが。
感動の再会は、わずか一分足らずで「別のフェーズ」へと移行した。
「……ふぅ。……感動したわ、レイ。……でも、……仕事はまだ終わっていないようね」
パッと顔を上げたアイリスの瞳が、いつもの「姑モード」の鋭い光へと変わる。
彼女は私の腕を離れると、後ろで呆然と立ち尽くしていた六人のヒロインたちの前へと、優雅かつ威圧的な足取りで歩み寄った。
「………………」
ルナ、リタ、ガオ、セレナ、フィオナ、そして弟子のヴィクトリア。
世界を救った最強のヒロインたちが、アイリスの放つ圧倒的な「実体化した姑オーラ」に、蛇に睨まれた蛙のように硬直する。
「……ルナさん、貴女、先ほどレイの心音を独占しようとしたわね? ……ガオさん、野生の勘と言いつつ、レイに甘噛みした跡がまだ残っているわよ? ……リタさん、主様の魔力でトロけるのは勝手だけど、節度は守りなさい。……セレナさん、時間を止めて何をしたのか、後で詳しく白状してもらうわ」
「ひ、ひぇぇっ……! 声だけより、……実物の方が百倍怖いぜ、旦那の母ちゃん……っ!」
ガオが尻尾を巻いて震え、リタが青ざめて後退る。
「……ヴィクトリア。貴女にいたっては、……私の弟子でありながら、……一番狡猾にレイの懐に入り込んだようね? ……教育が足りなかったかしら」
「め、滅相もございません……! アイリス様……ッ!」
不敵な王女ヴィクトリアさえもが、冷や汗を流して直立不動になる。
アイリスは、六人を一列に並ばせると、フンと鼻を鳴らして私を抱き寄せた。
「レイを救ってくれたことには感謝するわ。……でも、……私の可愛い息子の『嫁』を名乗るなら、……話は別よ。……今日から一から、……私の厳しい『適性検査』を受けてもらうわよ?」
「……母さん。……まずは王都へ帰ろう。……話はそれからだ」
私は苦笑いしながら、再会したばかりの賑やかな(?)家族と、王都へと続く光の道を見つめた。
神殺しは終わった。
だが、私を巡る「女たちの戦い」と、ジョシュアが遺した「真の神」という新たな絶望。
反転者の物語は、最強の姑という新たな火種を加えて、より混沌とした、そして賑やかな第四部へと加速していく。
「……さあ、行くわよ、レイ! ……まずは、貴方の背中を流すのは『母親』の私の特権からよ!」
「「「「「それは絶対に阻止しますわ(です、だぜ、だよ)!!」」」」」
「あはは! 面白くなってきたじゃないか、レイ!」
王都シュトラールの空に、私たちの凱旋の声と、賑やかな争いの音が響き渡った。




