第四十五話:神の傑作、色彩の牢獄
『第三の筆』が残した真っ白な虚無を、私たちの「六色の因果」が鮮やかに塗り替えていく。
白紙の世界が剥がれ落ちるように崩れ去ると、その向こう側には、これまでとは一線を画す、豪華爛漫にして不気味な空間が姿を現した。
そこは、巨大な円形のアトリエだった。
天井は果てしなく高く、壁一面には金色の縁取りがなされた無数の「額縁」が整然と並んでいる。だが、そこに収められているのは絵画ではない。
「……あれは……っ! 歴代の聖騎士たち、それに……失踪したと言われていた隣国の聖女……!?」
ヴィクトリアが、壁の一点を指差して戦慄の声を上げた。
額縁の中に閉じ込められていたのは、かつてジョシュアに挑み、そして敗れた英雄たちの成れの果てだった。彼らは苦悶や驚愕の表情を浮かべたまま、最高純度の「石化」と「色彩の固定」を受け、二度と動くことのない『生きた芸術品』として飾られていたのだ。
「……美しくないね。……そんなに怯えた顔をしなくてもいいよ、ヴィクトリア」
アトリエの中央、巨大な黄金の椅子に座る青年――ジョシュアが、筆を置いてゆっくりと立ち上がった。
その虹色の瞳は、かつてのような冷笑ではなく、獲物を見定めたコレクターのような、粘りつく熱を帯びて私たちを射抜く。
「怒っていないよ、レイ。……君たちは、僕がこれまで描いてきたどんな色彩よりも、……最高に『生きた色』をしている。……殺して消しゴムで消すなんて、……あまりにも勿体ない。……どうだい、僕の最高傑作の『一部』にならないかい?」
ジョシュアが、優雅な所作で指をパチンと弾いた。
「……来るぞ! 構えろ!!」
私が叫ぶのと同時に、私たちの足元から、巨大な「黄金の額縁」が、地中から突き出す檻のように競り上がってきた。
「……っ、……身体が、……重い。……影が、……地面に吸い込まれる……っ!」
ルナが魔剣を振るおうとしたが、その腕が空中で不自然に静止した。
斬撃が放たれる前に、その「動き」という因果そのものが、ジョシュアの術式によってキャンバスへと定着させられていく。
「無駄だよ。……僕のアトリエでは、あらゆる事象は僕が望む『構図』に従う。……君たちの怒りも、……愛も、……この額縁の中で永遠に美しく凍りつくんだ」
ガオの剛拳が、リタの錬成陣が、セレナの時の眼が。
一歩動くたびに、私たちの肉体の一部が二次元の色彩へと変換され、描き変えられない「静止画」へと引き摺り込まれていく。
それは、死よりも冷酷な、永遠の沈黙。
「……ふざけるな。……俺たちは、お前のコレクションになるためにここまで来たんじゃない!」
私は、自分の胸を貫くように脈打つ『極光の魔導核』に、左手を強く押し当てた。
心臓を叩く三つの鼓動。母アイリスから受け継ぎ、五人と一人の絆で練り上げた、この世で最も「騒がしい」反転のエネルギー。
「……みんな、俺に合わせろ! ……お前たちの『色』を、俺の因果に預けろ!!」
私の呼びかけに、五人のヒロイン、そしてヴィクトリアが、石化し始めた身体を無理やり動かし、私の背中に、肩に、手に、それぞれの魔力を叩き込んだ。
ルナの純白、リタの黄金、ガオの漆黒、セレナの紺碧、フィオナの福音。
そしてヴィクトリアの断罪の赤。
六つの異なる原色が、私の『反転』を触媒にして、一つの巨大な「極彩色の光」へと収束していく。
「…………全色同期、……額縁ごと、……食い破れ(トリニティ・バースト)!!」
ドォォォォォォォォォンッ!!
黄金のアトリエ全体を揺るがす、因果の爆発。
私たちを閉じ込めようとしていた黄金の額縁が、内側から溢れ出す圧倒的な生命の輝きに耐えきれず、粉々に砕け散った。
静止を拒絶し、上書きを跳ね返す、生きた感情の奔流。
「……なっ!? ……僕の額縁が、……僕の完成された構図が、……塗り潰されるなんて……っ!」
ジョシュアが初めて、その美しい顔を屈辱と怒りで歪ませた。
彼にとって、自分の作品が汚されることは、魂を削られるのと同じ意味を持っていたのだ。
「……ジョシュア。……俺たちは、お前の言う『美しい色』じゃない。……泥に塗れて、……醜く足掻いて、……それでも笑い合いたい『ノイズ』なんだよ」
私は一歩、また一歩と、粉砕された額縁の破片を踏み越えてジョシュアへと肉薄する。
「……いいよ。……不愉快だ。……本当に不愉快だね、君というバグは。……汚れが落ちないなら、……キャンバスごと、真っ赤に染めて燃やしてあげよう」
ジョシュアが、自らの指先を噛み切り、そこから溢れ出した「原初の赤(自分の血)」を巨大な筆に塗りたくった。
虹色だった彼の瞳が、ドロドロとした暗い紅へと変貌し、背後から無数の異形の筆が、翼のように生え出す。
「……『終末の筆致』。……世界よ、僕の怒りに染まって終焉を迎えなさい!!」
ジョシュアが振り下ろした一筆が、紅蓮のインクとなって、アトリエの全てを、……そして私たちの未来を、赤く塗り潰そうと迫り来る。
「…………来いよ、芸術家。……俺がその筆、……根元からバキバキに折ってやるから」
私は、仲間たちの温かな魔力を背に受けながら、最大出力の反転を拳に宿し、その赤い濁流へと飛び込んだ。




