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第四十四話:白紙の絶望、因果の編み直し

 『神の画室アトリエ』の回廊。色彩の混沌が支配していたその空間が、突如として不自然な「無」に侵食され始めた。


 先ほどまで私の軍勢として跪いていた数千の反転騎士団。彼らが、悲鳴を上げることさえ許されず、音もなく透明になり、背景に溶けるようにして消えていく。

 それは死ではない。そこに彼らがいたという「事実」そのものが、巨大な消しゴムで消されたかのように、世界のページから剥ぎ取られていくのだ。


「……何だ、これは。……手応えがない。……斬った感触が、……消えていく」

 ルナが『不変の銀閃・零』を振るうが、白銀の刃は虚空を虚しく通り抜ける。

 彼女の足元、その影さえもが白く塗り潰され、彼女の存在の輪郭が陽炎のように揺らぎ始めた。


「旦那! こいつ、ヤベェぜ! アタイの拳が……当たった先から『なかったこと』にされちまう!」

 ガオが義手で空間を殴るが、衝撃波さえもが伝播する前に消去される。

 

 回廊の奥底から、巨大な漆黒の塊が這い出してきた。

 形を持たず、ただ周囲の光と影を吸い込み、すべてを真っ白な空虚へと変えていく絶望の化身――ジョシュアが放った掃除屋、『第三のイレイザー』。


「……レイ、……逃げて。……一秒先の未来ごと、……消されている。……巻き戻すための『過去』さえ……僕の中から、……消えていくんだ……っ!」

 セレナが紺碧の瞳を激しく明滅させ、膝をついた。

 彼女の『時間の干渉』は、対象となる「時間」が存在して初めて成立する。だが、この『第三の筆』は、時間が流れるためのキャンバスそのものを削り取っていた。


「……くっ、……私の、……錬成陣が……っ!」

 リタの悲鳴。彼女の指先から紡がれる黄金の糸が、先端からパラパラと砂のように、いや、砂にさえなれず無へと還っていく。

 それだけではない。私の意識の中で、リタという少女の名前、彼女と過ごした工房の記憶、彼女が笑った時の体温――それらが、砂浜に書いた文字が波にさらわれるように、急速に薄れていく。


「ふざけるな……。俺たちの歩んできた時間を、勝手に白紙に戻すんじゃねえ……!」


 私は、消えゆくリタの手を強引に掴み寄せた。

 感触が希薄だ。まるで、実体のない雲を掴んでいるような頼りなさ。


「レイ! 貴公も離れろ! 私が……私がその『無』を食い止める!」

 ヴィクトリアが『断罪の騎士盾』を構え、私たちの前に立ち塞がった。

 だが、最強の盾さえもが、その「守護」という定義を消され、ただの歪んだ鉄板へと成り果てていく。

 ヴィクトリアの赤髪が白く褪せ、彼女の騎士としての矜持さえもが、虚無の中に飲み込まれようとしていた。


「……あはは。……無駄だよ、ノイズ(レイ)。……描き損じは、消されるのが運命だ。……そこに何もなかったことにすれば、……君たちの痛みさえも、存在しなくなる」


 上空から響くジョシュアの嘲笑。

 

 私は、自分の胸に突き刺さるような焦燥と怒りを、一点に集中させた。

 母アイリスが、世界に消されそうになった私を守るために、自らを楔にして残してくれた力。

 裏返す(反転)のではない。

 白紙になった場所に、もう一度、消えない色で「刻み直す(リライト)」んだ。


「…………三位一体トリニティ、……制約を、……存在の根源まで、……食い破れ!!」


 ドクンッ!!

 

 心臓の『極光の魔導核』が、白亜と漆黒を混ぜ合わせた「真の原色」の輝きを放った。

 私は繋いだリタの手を通して、そして周囲の仲間たちへ向けて、私の因果の糸を力ずくで叩き込んだ。


 消去(マイナス100)を、再定義(プラス100)へ。

 

「……リタ! お前は、世界最高の錬金術師だ! ルナ! お前は俺の最強の剣だ! ガオ! セレナ! フィオナ! ヴィクトリア! お前たちはここにいる! 俺の隣に、……確かに生きているんだ!!」


 私の咆哮が、虚無の空間を震わせた。

 消えかけていた彼女たちの輪郭に、鮮やかな色彩が逆流していく。

 私の魔力は、もはや単なるエネルギーではない。それは彼女たちが「そこに存在する」という事実を、世界に強制的に認めさせるための、絶対のインク。


「……あ、……あぁ……っ。……レイ様。……思い出しましたわ。……私の名前も、……貴方への、……この熱い想いも!」

 リタの瞳に黄金の光が戻り、彼女の錬成陣が虚無を押し返して再起動する。


「……主様。……身体が、……重い。……私が、……ここにいるという、……確かな重み……!」

 ルナの魔剣が白銀の輝きを取り戻し、白紙の世界を一刀両断にした。


 『第三のイレイザー』の黒い塊が、私の放つ極彩色の因果に触れ、激しくのたうち回る。

 消しゴムで消せない「色」。

 上書きさえも許さない、私たちの強固な絆。


「……白紙ゼロなら、……上から俺たちの色を好きに塗ってやるよ。……ジョシュア、お前の掃除は終わりだ」


 私は、五人のヒロイン、そしてヴィクトリアの手を、因果の糸で一つに繋ぎ合わせた。

 六つの個性が、私の『反転』を媒介にして一つの巨大な「筆」へと昇華される。


「……ありえない。……僕の『無』が、……色に汚されていく……っ!?」

 

 ジョシュアの悲鳴を余所に、私たちは白紙の世界を自分たちの色で塗り替えながら、さらなる深淵へと突き進む。

 

 反転者の物語は、存在の抹消さえも裏返し、新たな神話を描き始めた。


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