第四十一話:赤き騎士の休息、剣を置いた夜
北の霊峰『蒼氷の頂』。
五人のヒロインたちとの個別同期が終わり、霊峰を包む夜気は、より一層澄み渡っていた。
断崖の先に突き出した天然のテラス。そこは、月が最も近く、そして誰の目も届かない「世界の果て」のような場所だった。
「……最後は、私か。……貴公らのような、……浮ついた真似はせんと言ったはずだがな」
ヴィクトリアが、赤髪を夜風になびかせ、腰の黒い細剣を軽く叩いた。
彼女は、先ほどまで騒ぎ続けていた『母の鈴』を、自身の重厚な鋼鉄の籠手の中に放り込み、さらに上から革のベルトで厳重に封印していた。
「チリッ……チリンッ!! ちょっとヴィクトリア、……卑怯よ! 弟子としての特権を利用して、……私をこんな鉄臭い箱に閉じ込めるなんて! レイ! 騙されてはダメ、その赤髪の騎士は、……五人の中で一番タチが悪いのよ! 理屈で自分を正当化して、……最後には貴方の『心臓』を丸ごと奪うつもりなんだから!!」
籠手の中から、アイリスの籠もった絶叫が漏れる。
だが、ヴィクトリアは無情にもその上から分厚いマントを被せ、一切の音を遮断した。
「……師匠、静かに。……これは軍事的な最終確認です。……貴女が教えた『断罪の騎士陣』、その核を担うのは私なのですから」
ヴィクトリアが、どこか自分に言い聞かせるように呟き、私に向き直った。
彼女の瞳は、月光を反射して燃えるような深紅に輝いている。
「……レイ。……始めようか。……貴公の魔力と、私の盾。……どちらが先に折れるか、……試させてもらうぞ」
ヴィクトリアが、白銀を宿した『断罪の騎士盾』を構えた。
私は彼女の背後に回り、その右肩を抱くようにして、盾の裏側にあるグリップを握る彼女の手に、自分の手を重ねた。
「…………断罪の騎士陣、……食い破れ」
私の魔力核から、最後の1/5の『反転』を、ヴィクトリアの「守護の意志」へと直接同期させる。
ドクン、ドクン……。
金属の冷たさを通して、彼女の激しい鼓動が伝わってくる。
騎士として、常に一歩引いて私を見守ってきた彼女の内側には、他の誰よりも熱く、激しい「独占欲」という名の炎が渦巻いていた。
「っ……、あ……、貴公、……近すぎる。……これでは、……重心が、……狂うではないか……っ」
ヴィクトリアの肩が、微かに震える。
私の反転が彼女の魔力と混ざり合い、盾の表面から純白の衝撃波が円状に展開された。
【断罪の騎士陣】
それは、ジョシュアが放つ「上書き」という理不尽を、騎士の誇りによって物理的に押し返す、絶対的な拒絶の領域。二人の周囲数メートルだけが、世界から切り離された「無敵の聖域」と化した。
「……素晴らしい。ヴィクトリア、お前の盾なら、ジョシュアの筆さえ折れる」
「……当然だ。……私は、……アイリス様の弟子。……そして、……貴公の盾なのだから。……だが、……それだけでは、……物足りないのだ」
同期が最高潮に達した瞬間、ヴィクトリアが不意に力を抜き、私の胸の中に倒れ込むように体を預けてきた。
◇
一刻(約二時間)が過ぎる頃。
私たちは、盾を置き、断崖の縁でリタが持ってきたワインを酌み交わしていた。
騎士としての礼装を崩し、解かれた赤髪が肩にかかるヴィクトリア。
少し酒が回ったのか、彼女の白い頬は朱に染まり、視線はどこか虚空を泳いでいた。
「……私はね、レイ。……貴公のことを、……最初は『守るべき対象』だと思っていた。……師匠の息子。……壊れやすい、……小さなエラー」
ヴィクトリアが、グラスの中の紅い液体をじっと見つめる。
「……だが、……貴公が『分割反転』で仲間を救い、……私を対等な戦友として認めてくれた時、……何かが壊れた。……騎士としての誓いよりも、……一人の女としての、……醜い嫉妬が勝ってしまったんだ」
「……ヴィクトリア。……お前は醜くない。……俺を、一番支えてくれているのはお前だ」
私が彼女の肩を引き寄せると、ヴィクトリアは一瞬だけ抗うように肩を強張らせ、それから諦めたように私の首筋に顔を埋めた。
「……アイリス様は、……私を『防虫剤』と呼ぶが。……本当は、……私が一番、……貴公の横を、……独占したいと思っている。……他の子たちが貴公に甘えるたび、……私は、……自分の剣を、……自分自身に向けてしまいたいほど、……苦しかったんだ」
鋼鉄の騎士が見せた、初めての涙。
彼女は、誰よりも強く、誰よりも孤独に、私という「光」を影から守り続けてきた。
「……私は、……騎士失格だな。……主を、……一人の男として、……これほどまでに……欲してしまうとは」
ヴィクトリアの手が、私の服を強く握りしめる。
彼女の指先の熱。それは、ルナの静寂とも、ガオの咆哮とも違う、同じ道を歩む者としての「絶対的な信頼」の重みだった。
「……お前は俺の騎士だ。……そして、……俺のヴィクトリアだ。……一生、俺の隣で、……その盾を構えていろ」
私がそう告げると、ヴィクトリアは顔を上げ、濡れた瞳で不敵に笑った。
「……あはは。……言ってくれる。……ならば、……一生、……離さないぞ。……地獄の底まで、……貴公に、……付き合ってやる」
◇
その時。
籠手の中から、ベルトを引き千切るような因果の振動と共に、アイリスの思念が静かに、けれど厳格に響き渡った。
「……チリン。……ヴィクトリア。貴女、……一番狡いわね。……私の技を継いで、……最後はそうやって、……息子の『心の鍵』まで奪うつもりなのね」
嫉妬の絶叫ではない。
それは、最愛の弟子が、一人の女性として自分の息子を救ったことへの、……母親としての、……そして一人の反転者としての、……「負け」を認めたような響きだった。
「……いいわ。……認めましょう。……貴女たちが、……これほどまでにレイを想っているのなら。……私も、……『姑』として、……最後の仕事をしなければならないわね」
鈴の音が、霊峰の夜空に凛と響く。
「レイ。……次はいよいよ、……私の番よ。……お前の魔力で、……私の『残響(反転)』を、……直接攻略してみなさい。……母親として、……そして……貴方を一番に愛する女として。……貴方を、……真の王にするために」
ヴィクトリアが、私に微笑みかけ、静かにグラスを合わせた。
六人の絆。
それは、神の筆を折るための、世界で最も強く、……そして重い、……愛の結晶だった。




