第三十一話:母の残響、嫉妬の炎は赤く燃えて
王城の訓練場。朝霧が立ち込める中、空気を切り裂くような鋭い金属音が鳴り響いていた。
「甘い! ルナ、その踏み込みではジョシュアの筆先に届く前に、存在を塗り潰されるぞ! ガオ、義手に頼りすぎるな! 旦那の魔力を引き出す前に、己の魂を拳に乗せろ!」
ヴィクトリアの怒声が飛ぶ。彼女は木剣一本で、ルナの神速とガオの剛力を同時に受け流し、あべこべに二人の尻を叩き飛ばしていた。
「……くっ、……ヴィクトリア様、……厳しすぎる。……主様の隣、……遠のく」
「あいたたた……。旦那、見てくれよ! アタイ、こんなにしごかれて……もうヘトヘトだぜぇ」
地面に転がった二人に、私は苦笑しながら歩み寄った。
二重反転を越え、分割発動を習得した私の体も、ヴィクトリアとの早朝の一騎打ちですでに筋肉が悲鳴を上げている。
「…………制約を、分割して……食い破れ」
私は極小の反転を連射し、二人の疲労と打撲を「活力」へと裏返してやった。
瞬間、ガオが飛び起き、私の腰に抱きつく。
「へへっ、旦那の『これ』、最高に気持ちいいんだぜ! なぁ、もっと深く流してくれよ!」
「……主様。……私も。……肩、……揉んで」
二人が私に密着し、いつもの「おねだり」が始まろうとした、その時だった。
――チリンッ!!
私の懐にある『母の鈴』が、かつてないほど鋭く、不機嫌な音を立てて鳴り響いた。
「あら、……少し目を離した隙に、随分と賑やかになったものね。……レイ、その距離感は少し『はしたない』わよ?」
鈴から漏れ出したのは、透き通るような、けれど逃げ場のない圧力を孕んだアイリスの声だった。
「……母さん!?」
「あ、アイリス様……!?」
ヴィクトリアが、騎士としての威厳をかなぐり捨ててその場に直立不動になる。
「レイ、貴方は私の最高傑作。その体を安売りしてはいけないわ。……そこの虎の娘さん、私の息子にそんなに密着したいなら、まずは私の『反転試験』に百回合格してからになさい。……ルナ、貴女もよ? 影から覗くのは、レディの嗜みとは言えないわね」
声だけのはずなのに、訓練場の空気が凍りついた。
ルナがびくりと肩を震わせ、ガオが「ひえぇ、旦那の母ちゃん、声だけでアタイの毛が逆立つぜ……!」と震えながら距離を取る。
「……リタ、貴女もよ? 背後からレイの髪の毛を一本採取しようとするのは、錬金術師の探求心を通り越して、ただの変態行為だわ」
「ひゃ、ひゃいっ!! 申し訳ありません、アイリス様!!」
物陰から、ピンセットを持ったリタが飛び出し、地面に額を擦り付けた。
◇
休憩時間。食堂に集まった私たちは、ヴィクトリアから「母アイリスの真実」を聞かされていた。
「……いいか、レイ。アイリス様は聖女として崇められていたが、その実態は……重度の『レイ狂い(ムスコン)』だ。……貴公が赤ん坊の頃、貴公が笑うたびに『あぁ、世界はこの笑顔を守るために存在しているのね』と言って、周辺の魔物を絶滅させていたんだぞ」
ヴィクトリアの暴露に、私は頭を抱えた。
「私が弟子入りした時も、最初に言われた言葉は『レイが大きくなった時、変な虫がつかないように、貴女が最強の防虫剤になりなさい』だった。……私は、貴公を守る騎士であると同時に、アイリス様の『目』でもあったんだ」
「……防虫剤、……失礼。……私は、……害虫じゃない(ルナ)」
「旦那の母ちゃん……最強のライバルじゃねえか……(ガオ)」
ヒロインたちが、戦慄と共に対抗心を燃やす。
救うべき母、敬うべき師。だが同時に、レイの隣を巡る「最大の姑」という壁。
「……レイ。……笑い事じゃないよ」
セレナが、紺碧の瞳を不機嫌そうに細めて、私の服の裾を掴んだ。
「……キミの因果の糸、……お母様にガチガチに縛られている。……僕が時間を操作して、……お母様の小言を過去へ飛ばしてもいいかな?」
「……やめてくれ、余計に拗れる」
その時、再び鈴が「チリンッ」と鳴り、北の方角へ向かって一条の光を放った。
「あら、雑談はそこまでよ。……私の可愛いレイ。……北の霊峰『蒼氷の頂』へ行きなさい。そこに、私が貴方のための『プレゼント』を隠しておいたわ。……あ、ヴィクトリア? 貴女、最近レイを見る目が『騎士』を通り越して『女』になっているわね。……後で個人的に通信教育(お説教)が必要かしら?」
「ひっ……! 滅相もございません、アイリス様!!」
あの不敵な王女ヴィクトリアが、顔を真っ赤にしてガタガタと震えている。
「……よし。……行くぞ、北の霊峰へ。……母さんのプレゼントが何にせよ、ジョシュアを倒すための手がかりになるはずだ」
私は立ち上がり、五人と一人の最強の女性たちを見回した。
母の愛という名の「巨大なデバフ」を背負いながら、私たちの旅は、世界を救う戦いから、ある種「家族の騒動」を含んだ奇妙な熱気を帯び始めた。
「……主様。……お母様、……攻略、……難しい」
「旦那! アタイ、頑張って認めさせてやるからな!」
嫉妬の炎を燃やすヒロインたちと、それを見守る(あるいは監視する)母の声。
反転者の物語は、新たな『絶望(姑)』を仲間に加え、北の極寒の地へと加速した。




