第三十話:断罪の王女、赤き騎士の誓い
『第二の筆』を退け、石化の呪いから解放された王都シュトラール。
歓喜に沸く市民たちの声が遠く響く中、王城の正門を、一騎の軍馬が雷鳴のような足音と共に駆け抜けた。
「……何者だ。……この殺気、……尋常ではない」
ルナが魔剣の柄に手をかけ、鋭い視線を門へと向ける。ガオも不滅の義手を打ち鳴らし、低く身構えた。
だが、現れた影を認めた瞬間、整列していた近衛騎士たちが一斉に剣を抜き、胸に当てて最敬礼を捧げた。
「ヴィクトリア総長閣下、お戻りですッ!」
石畳を蹴り、馬から鮮やかに飛び降りたのは、燃えるような赤髪を高く結い上げた一人の美女だった。
軍服を改造した紅蓮のドレスを翻し、腰には一振りの黒い細剣。彼女が歩くたびに、周囲の空気が物理的な圧力となって押し広げられる。
「……あはは! 相変わらずこの城の連中は、主が変わっても礼儀だけは一人前だな」
ヴィクトリアは、出迎えた騎士たちを一瞥もせず、真っ直ぐに俺の前へと歩み寄った。
「貴公がレイか。……アイリス様の息子。お前がこの国を統べる『剣』だというなら、私にその覚悟を示せ」
彼女は、俺を「主様」などとは呼ばない。その瞳に宿っているのは、庇護を求める甘えではなく、対等な強者を見定めようとする、冷徹で峻烈な騎士の光だった。
「……ヴィクトリア。……母さんの弟子か。……随分と、……真っ直ぐな奴が来たな」
俺が正面からその視線を受け止めると、ヴィクトリアは不敵に唇を歪めた。
「アイリス様から、お前のことは聞いていた。……だが、女たちに囲まれてふやけた顔をしているようなら、私がここで叩き直してやるつもりだったよ。……少しは、マシな面構えをしているじゃないか」
「……なっ、失礼ですわ! レイ様は……っ!」
リタが抗議しようとしたが、ヴィクトリアはその鋭い眼光だけで彼女を黙らせた。
「リタ・アルトワ。お前の錬成は素晴らしい。だが、ジョシュアを討つには、まだ『実戦の泥』が足りない。……そしてルナ、お前の速度も、ガオの剛力もだ。……いいか、これからは私が、貴公らに『神殺しの戦法』を叩き込んでやる」
◇
その夜。
喧騒を離れ、私は一人、王城の最上階にあるバルコニーに立っていた。
夜風が、戦いの熱を帯びた体を心地よく冷やしていく。
「……一人で黄昏れるのは、王の特権か? それとも、ただの感傷か」
背後から響いたのは、凛とした声。
ヴィクトリアが、ワインボトルと二つのグラスを手に、足音もなく近づいてきた。
「……ヴィクトリア。……昼間の態度は、……演技か?」
「いいや、本気だ。……神の筆を折るには、生半可な結束では足りない。……だが、アイリス様の息子としての貴公には……少し、伝えなければならないことがあってね」
彼女はグラスに深紅のワインを注ぎ、俺に手渡した。
二人は並んで、月光に照らされた王都を見下ろす。
「アイリス様は、聖女などではなかった。……あの方は、世界という残酷なキャンバスの上で、最後まで泥を啜って戦い続けた『一人の騎士』だったよ」
ヴィクトリアが、遠い目で呟く。
「私に戦い方を教えながら、あの方はいつも笑っていた。『レイがここに来た時、もし彼が立ち止まっていたら、迷わずその背中を蹴り飛ばしてあげなさい』とな」
母さんの、戦士としての側面。
俺が知っている、穏やかで優しい母の記憶の裏側にあった、孤独な闘争の日々。
「あの方はね、レイ。……お前に世界を救わせたかったんじゃない。……世界を『救う』なんて傲慢な言葉に、お前を縛りたくなかったんだ。……お前が、お前の愛するものを守るために、神の筆さえ奪い取る『王』になってほしかった。……そのために、私をお前の『騎士』として遺してくれたんだ」
ヴィクトリアが、俺の隣で片膝をつき、その右手を俺の前に差し出した。
それは臣下の礼ではない。対等な契約。
「レイ。貴公が、神の理を食いつぶし、新しい明日を描くというなら。……私は、貴公の隣で、その因果を切り開く一番の『盾』になろう。……女としてではなく、一人の騎士として、貴公に私の命を預ける」
俺は、彼女の差し出した、剣凧のついた固く力強い手を、強く握り返した。
五人のヒロインたちの愛は、俺の癒やしだ。だが、ヴィクトリアのこの信頼は、俺の背骨を支える鋼のような熱だった。
「……いいぜ。……俺の隣に並びたいなら、置いていかれないように付いてこい、ヴィクトリア」
「あはは! 言ってくれる。……ならば、明日の朝からの特訓は覚悟しておくんだな」
彼女は俺の肩を、戦友として強く一度だけ叩き、不敵に笑って去っていった。
俺の手の中には、彼女の熱が確かに残っていた。
速度、生産、火力、予知、支援、時間。
そして今、この国の全戦力を束ねる『統率』と『騎士道』が、俺の手に加わった。
「…………制約を、俺たち全員で食い破れ!」
月夜の王都に、反転者の新たな決意が響き渡る。
ジョシュア。お前がどんな絶望を描こうと。
俺の隣には、もうお前に塗り潰されるような脆弱な魂は一人もいない。




