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第二十六話:刻の深淵、重すぎる愛の包囲網

 不死の廃都アステリア。

 崩れかけた石造りの街並みは、灰色の霧に包まれ、あらゆる物理法則が死に絶えた「神の描き損じ」だ。空中で静止した雨粒が、淡い月光を反射して水晶のように輝き、倒壊しかけた時計塔が数秒おきに「ギギ……」と音を立てて逆回転している。


 私たちは、最深部へと続く大通りの脇、かつて貴族の別邸であっただろう廃屋の広間で、短い休息を摂っていた。リタが錬成した魔法のランプが、部屋を暖かな琥珀色の光で満たしている。


「……旦那。……見てくれよ、この腕。……旦那の魔力が流れると、なんだかジリジリして……アタイの心臓まで熱くなってくるんだ」

 ガオが、新しく手に入れた漆黒の義手を、愛おしそうに撫でながら私の隣に座り込んだ。

 

 不滅の素材で打たれたその腕は、私の魔力回路と直結している。私が彼女の肩に触れるたび、因果の火花が彼女の神経に伝わり、その野性的な生命力をさらに引き出していた。

「なぁ、旦那。……もう少しだけ、直接流してくれねえか? ……この腕を握ってくれるだけでいいんだ。……そうすれば、アタイ……もっと強くなれる気がするんだぜ」


 ガオの黄金の瞳が、潤みを帯びて私を見つめる。

 いつもは豪快な彼女が、耳を伏せ、尻尾を控えめに揺らしながら見せる、剥き出しの依存。それは「盾」としての忠誠を越えた、純粋な求愛だった。


「……ガオ。……卑怯。……主様の隣は、私の……定位置」

 影の中から、ルナが音もなく姿を現した。

 彼女の膝の上には、黒き一筋の線を宿した新生魔剣が置かれている。彼女は私の左腕を強引に抱き寄せると、無表情ながらも、その細い指先に力を込めた。


「……新しい剣の重心、……まだ馴染まない。……今夜は、……主様の鼓動を聴きながら眠って、……因果のピッチを合わせたい。……おねだり、……だめ?」

 

 普段は言葉少なな彼女が、私の胸に顔を埋め、上目遣いで「おねだり」と呟く。その破壊力に、私は言葉を詰まらせた。


「あら、お二人とも。……レイ様の魔力回路がどれほど繊細か、忘れていらっしゃいませんこと?」

 リタが、何やら芳しい香りのする瓶を手に、妖艶な微笑みで近づいてくる。

「主様、私が開発した特製の『魔導マッサージオイル』ですわ。……これを全身に塗り込み、私の指先で因果の澱みを解きほぐして差し上げれば、……ええ、明日の朝には心身ともに『全快』間違いなしですわ。……さあ、服をお脱ぎになって?」


「……リタ。……それは、……ただのセクハラ。……主様、……私の膝枕の方が、……安眠できる」

「あんだと! 旦那の肩を揉めるのは、アタイのこの力加減だけだぜ!」


 三者三様の「おねだり」が爆発し、室内は一瞬にして戦場よりも騒がしい状況へと陥った。

 さらに、枕元ではフィオナが「皆様、レイ様が困っていらっしゃいますわ。……さあ、私が癒やしの歌を囁きますから、レイ様は私の膝の上へ……」と、聖母の微笑みを浮かべながら最終決定権を主張している。


「…………お前ら。……修行中だと言ったはずだぞ」

 

 私が深い溜息をつき、軽くルナの頭を撫で、ガオの手を握り、リタを宥めると、ようやく騒ぎは収まった。

 だが、その輪の中から少し離れた窓際で、セレナだけが一点を見つめていた。


 彼女の紺碧の瞳は、チクタクと時計の針が刻むような音を立てて明滅している。

「……聞こえる。……僕が生まれる前に、神様が切り捨てた『可能性の残骸』。……あれが、僕を呼んでいる」


 セレナの視線の先。

 廃都の中央に浮かぶ、巨大な逆さまの砂時計――『刻の聖域』。

 あそこには、この街の時間を「不変」に固定し続けている、世界のバグの核心がある。


「……レイ。……僕の時間は、あの日、アイリスに光を奪われた時から止まったままなんだ。……でも、キミが僕の『喪失』を裏返してくれた時……僕の中に、新しい時計のネジが巻かれた」

 セレナが振り返り、私にだけ見える小さな、けれど切実な笑みを浮かべた。

「……僕を、……『予知』だけの自分から、……自由にしてくれるかな?」


「……ああ。……約束だ。……お前の時間も、俺が全部食いつぶして……お前の望む未来へ動かしてやる」


 私はセレナの肩を抱き寄せ、その冷たい頬を温めた。

 ルナやリタたちが、羨ましそうに(あるいは恨めしそうに)こちらを見ているが、今はこれが最優先だ。


 ◇


 数時間後。

 私たちはついに、廃都の中央広場、重力が反転した『刻の聖域』へと突入した。

 

 そこには、ジョシュアが描き損じて放置した、巨大な自動人形オートマタが立ち塞がっていた。

 全身を歯車と振り子で構成された、異形の番人。

 その胸の中央には、脈打つ心臓のように輝く『クロノス・コア(時の核)』が収まっている。


「……侵入者。……設定を、……一秒前へと、……巻き戻す(ロールバック)」


 自動人形が腕を振るった。

 ガオが義手で殴りかかろうとするが、その瞬間に彼女の肉体は「一秒前の立ち位置」へと強制的に戻され、攻撃が空を切る。

 ルナの一閃も、リタの錬成も、発動した瞬間に「なかったこと」にされる。

 

 ジョシュアの「上書き」とは違う、時間の理を用いた絶対的な拒絶。


「……レイ様! 攻撃が届きませんわ! 手を出した瞬間に、時間が巻き戻されています!」

「……ふん。……巻き戻し、か。……なら、一秒に千回、万回と叩き込んで……巻き戻す暇さえ与えなければいいだけの話だ」


 私は、リタが調整してくれた魔力回路を全開にした。

 一撃の重みを保ったまま、それを分割し、因果の網を編み上げるように放つ連撃。


「…………制約を、……分割して、……食い破れ(マルチ・インヴァージョン)!!」


 私の両手から、白黒の因果の火花が、マシンガンの掃射を思わせる速度で放たれた。

 一発一発の『反転』が、自動人形が引き起こす「巻き戻し」の理を、ミリ単位で上書きし、粉砕していく。


「あ、が……っ、設定が、……追いつかない……!?」

 

「今だ、お前たち! ぶち込め!!」


 私の連撃が時間の檻に穴を開けた瞬間。

 ルナの魔剣、リタの分解光、ガオの剛拳が同時に『クロノス・コア』へと叩き込まれた。

 

 ドォォォォォォォォォンッ!!

 

 廃都全体を揺らす、時間の奔流の爆発。

 その光の渦の中心で、セレナの紺碧の瞳が、かつてないほど鮮やかに「真実」の色へと染まっていく。

 

 止まっていた時計の針が、今、猛烈な勢いで動き出した。


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