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第二十四話:不滅の原色、欠落した理(ルール)

 王城の最深部、リタが管理する魔導工房。

 そこは本来、新たな奇跡を練り上げる希望の場所であったはずだ。だが今、室内を満たしているのは、錬成炉の炎さえ凍りつかせるような重苦しい沈黙だった。


「……やはり、駄目ですわ。……私の『神域の錬成』を以てしても、……この空間を『物質』として定義できませんの」

 リタが、震える指先でガオの右腕があった場所を鑑定し、絶望に声を曇らせた。

 

 ガオの右肘から先。そこには、傷口も、流れる血も存在しなかった。

 ただ、そこにあったはずの腕が、砂嵐のようなノイズに混じり、背景の壁が透けて見えるほどに「希薄」になっている。

 フィオナがいくら聖歌を歌い、再生のバフを重ねても、消えた実体アウトラインが戻ることはなかった。

 

「……旦那、……リタ、……そんな顔すんなよ。……アタイは、……左腕が無事なら、まだ戦える。……それに、……旦那を守るために消えたんだ。……これっぽっちも、損したなんて思ってねえぜ」

 ガオが、蒼白な顔で不敵に笑ってみせる。

 だが、その肩は微かに震えていた。痛覚さえも「描き変えられ」、腕があるはずの場所に、冷たい虚無だけが居座り続けている不気味さ。


「……笑わないで、ガオ。……あなたの強がりが、一番鋭く胸に刺さる」

 ルナが、半ばから折れ、ジョシュアによって「ひしゃげた鉄条」へと書き換えられた自らの魔剣を抱きしめ、唇を強く噛み締めた。

 最強の剣を折られ、戦友の盾にすらなれなかった。その事実が、彼女の誇りをジョシュアの筆以上に深く削り取っていた。


「……無理もないよ。……ジョシュアの放った『虹色のインク』はね、……世界の属性を変えたんじゃない。……『そこにガオの腕が存在する』という世界の決定事項ルールそのものを、上から塗り潰して白紙に戻したんだ」

 

 セレナが禁書庫の奥底から持ち出した、古びた羊皮紙を広げながら、淡々と事実を告げた。彼女の紺碧の瞳には、世界のシステムが書き換えられ、修復不能になったバグの跡が映っている。


「……白紙にされたものは、……『反転』できない。……裏返すための『ソース』が、……もうこの世界には存在しないからだ」


 俺は、自分の右手をじっと見つめた。

 俺の力は、世界というキャンバスに描かれた「色」を裏返すもの。

 だが、キャンバスそのものを消しゴムで消されたなら、俺の手は空を掴むことしかできない。


「……なら、……上から描き直せない『不滅の色(素材)』を、持ってくるまでだ」

 俺の言葉に、工房内の空気が一変した。

 

「……セレナ。……母さんの記録にあるはずだ。……ジョシュアの筆さえ弾く、……決して塗り潰せない『真のオリジン』が」


「……あるよ。……でも、それはもう、……神様が描き変えることを諦めて、……『ゴミ箱』に捨てた場所に眠っている。……東の果て、……変化と死が禁じられ、停滞し続ける『アステリア(不死の廃都)』だ」


 ◇


 数日後。俺たちは王都を離れ、東の辺境へと辿り着いた。

 目の前に広がるのは、空の色さえも灰色のノイズに塗り潰された、異形の廃都『アステリア』だった。


 門を潜った瞬間、肌にまとわりつくような、不快な停滞感が襲いかかる。

 そこでは、崩壊しかけた石壁が空中で静止し、風に舞う枯葉が数分おきに元の位置へと巻き戻っていた。

 「変化」が許されない世界。

 

 街の通りには、色が抜け落ち、陶器のようにひび割れた肌を持つ住民たちがいた。

 彼らは意識がありながらも、肉体が「崩壊」と「再生」の狭間で固定され、永遠に終わらない停滞の輪舞曲を踊らされている。死ぬことすら許されない、神に見捨てられた不変の檻。


「……ひどい。……時が止まっているみたいですわ」

 リタが息を呑み、周囲の無機質な光景に身を震わせる。

 だが、俺の視線は、その住人たちが纏う「どす黒い霧」に釘付けになっていた。


「……あれか。……神が『消去』しようとしても消せなかった、……世界の澱みの果て。……『真の黒』の残滓」


「……そうだよ、レイ。……でも、ここにある理は、キミの『反転』を拒絶する。……変化を禁じるこの街では、……キミの一撃すら、……放たれた瞬間に『静止』させられる可能性がある」


 セレナの言葉通り、俺が魔力を練ろうとすると、周囲の空間がそれを「無効化」しようと、粘りつくような抵抗を見せた。


「…………なら、……固定される前に、……千回、万回と叩き込むまでだ」


 俺は、アステリアの広場の中央で、深く腰を落とした。

 一日に一度、二度。……そんな「全力を出すだけ」の使い方は、もうやめる。

 

 俺は、心臓の隣にある魔力回路を、細かく、……それこそ毛細血管のような細さまで分割するイメージを抱いた。

 一撃を100%で出すのではなく、1%の『反転』を、一秒間に百回連射する。

 因果を裏返し続けることで、固定された理そのものを、無理やり揺さぶり、剥がし取る。


「…………制約を、……分割して、……食い破れ(マルチ・インヴァージョン)!!」


 俺の両手から、瞬くような白黒の火花が断続的に放たれた。

 アステリアの「停滞した空間」が、俺の連続する『反転』の衝撃に耐えきれず、硝子が割れるような音を立てて亀裂を走らせる。


「……旦那、……すげえ。……一回が、……無限に続いてやがる……!」

 ガオが、残った左手で目を覆いながら、俺の放つ因果の光に戦慄した。

 

 一撃の反転者は、今、この瞬間に、連撃の反転者へと進化した。

 

 俺の放つ光が、街の奥底に眠っていた「真の黒」を刺激したのか。

 灰色の霧の向こうから、ジョシュアが描き損じて放置した、巨大な「神の失敗作」が、唸り声を上げながら姿を現した。


 それは、複数の生物の影がデタラメに繋ぎ合わされたような、歪な巨像。

 だが、その輪郭こそが、ジョシュアのインクに耐えうる最強の「素材」そのもの。


「……ルナ、リタ、ガオ、フィオナ、セレナ。……お前たちの失ったもの、……俺が今ここで、……不滅の素材として取り戻してやる」


 俺の指先から、千回の反転が、嵐のように怪物を包み込んだ。

 敗北を糧に、俺たちは今、神の筆を折るための「再起」の一歩を踏み出した。


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