第十八話:砂漠の至福と、五人の守護姫
砂漠に沈む夕日が、オアシス都市『精霊の雫』の石造りの街並みを黄金色に染め上げていた。
呪歌の聖堂を破壊し、フィオナを救い出してから三日。
二重反転という未知の領域に踏み込んだ代償は、かつてないほどの深い眠りとなって私を襲っていたが、ようやく重い瞼を持ち上げることができた。
「……ん」
意識が浮上し、体を起こそうとした瞬間。
私は、自分の体が岩盤にでも埋まっているかのような、奇妙な重量感に気づいた。
「……レイ様。……起きましたか。……三日、寝たままでした。……心配、しました」
すぐ目の前に、セレナの紺碧の瞳があった。
彼女は私の胸の上にちょこんと座り込み、無機質な仕草で私の頬を撫でていた。
「……セレナ。……重いぞ」
「……キミの心音を確認していただけだよ。……キミの心臓は、三日前から世界の理を無視して脈動している。……興味深いサンプルだね」
私が苦笑して視線を落とすと、そこにはさらに凄まじい光景が広がっていた。
右腕には、私の袖を握りしめたまま、安らかな寝息を立てているルナ。
左腕には、私の指先を一本ずつ丁寧に拭きながら、うっとりとした表情でこちらを見つめるリタ。
そしてベッドの足元では、大きな虎が丸まっているかのように、ガオが私の足に頭を乗せて「旦那……むにゃ……」と喉を鳴らしていた。
「あ、レイ様! 起きられましたのね!」
部屋の入り口から、透き通るような、それでいて芯の通った美しい声が響いた。
フィオナだ。彼女は湯気の立つスープを盆に乗せ、聖母のような慈愛に満ちた笑みを浮かべて駆け寄ってきた。
「三日間、ずっと皆様が交代でレイ様を見守っていたのですよ。……さあ、皆様、レイ様が苦しそうですわ。一度離れていただけますか?」
「……嫌。……主様の目覚めを、一番に確認したのは私」
「あら、私は三日間ずっと、レイ様の体調を錬金術的に管理しておりましたわ。……利権は私にあります」
「あんだよ……アタイだって、旦那の寝相が悪くないか見張ってたんだぜ!」
目覚めて早々の喧騒。
私は深い溜息をつきながら、ようやく解放された体でベッドから降りた。
二連発の反動。以前なら一ヶ月は動けなかったはずのダメージが、今は「少し長い昼寝」程度で収まっている。
自分の内側で、魔力回路が以前の数倍の太さで、かつ滑らかに循環しているのが分かる。
「…………制約を食い破るたびに、俺は人間から遠ざかっている気がするな」
ふと漏れた独白に、セレナが静かに頷いた。
「……それでいいんだよ、レイ。……キミが神を超える時、僕たちはキミの『新世界』の住人になるんだから。……キミの隣は、もう人間一人には広すぎるくらいだよ」
◇
汗と砂を流すため、一行は宿自慢の巨大な露天風呂へと向かった。
オアシスの地下から湧き出るという霊泉。湯気が立ち込める中、私は一人、広い岩風呂に身を沈めていた。
「……極楽だな」
そう呟いたのも束の間。
バシャン、という派手な水音と共に、五人のヒロインたちが当然のように「混浴」に乱入してきた。
「レイ様! 主様の背中は、私が清めさせていただきますわ!」
リタが、何やら怪しげな光を放つ特製の石鹸とタオルを手に、真っ先に背後に回り込んだ。
「……リタ。……下がれ。……背後は、私の聖域。誰にも、指一本触れさせない」
ルナが影のように私の背後にピタリと張り付き、リタの手を無造作に払う。
「旦那! 肩揉みならアタイに任せろよ! この『剛力』、旦那を癒やすために加減の修行をしてきたんだぜ!」
ガオが私の肩に太い指をかける。
みしり、と骨が鳴るような音がしたが、確かに彼女の力加減は驚くほど繊細になっていた。
「……キミの肩。……『疲れの因果』が凝り固まっているね。……僕が視線を固定して、その疲れを霧散させてあげるよ」
セレナが正面から私の膝の上に座り込み、じっと私の目を見つめてくる。
彼女の紺碧の瞳が妖しく光るたびに、なぜか精神的な疲労がスッと抜けていく。
「皆様、レイ様が困っていらっしゃいますわ。……さあ、私が歌を歌いますから、皆様は静かになさって」
フィオナが、湯気に包まれながら、静かに喉を震わせた。
その瞬間。
露天風呂全体が、黄金色の温かな光に包まれた。
彼女の『福音の共鳴』。
聴く者すべての魂を蕩けさせ、力を漲らせる至高の聖歌。
「あぁ……蕩けるぜ……」
「……ルナさん、力が抜けていますわよ……」
「……フィオナ。……キミの歌は、因果を狂わせるほど心地いいね……」
最強の少女たちが、一瞬にして骨抜きにされ、湯船にプカプカと浮かび始める。
私は、湯気に煙る星空を見上げた。
速度、生産、火力、予知、支援。
かつての俺には想像もできなかった、盤石すぎるパーティ。
そして何より、これほどまでに重すぎる愛を向けてくれる彼女たち。
(……母さん。……あんたの言った通り、世界は少しだけ、面白くなってきたよ)
風呂上がり、フィオナが私の元へ歩み寄ってきた。
彼女の手には、母アイリスがかつて彼女に託したという、純白の小さな鈴が握られていた。
「レイ様。……この鈴が、先ほどからずっと、ある方角を向いて鳴り止まないのです」
「……どっちだ」
「……東。……私たちが、あなたと出会ったあの場所。……王都の方角ですわ」
王都。
俺を「無能」と呼び、誇りを踏みにじって追放した、あの場所。
俺は、腰の『深淵の魔導衣』を強く引き寄せ、不敵に笑った。
「……一度戻るか。……俺を捨てたあの場所へ。……今度は、俺がすべてを『反転』させにいく番だ」
ルナ、リタ、ガオ、セレナ、フィオナ。
五人のヒロインたちが、私の言葉に、決意に満ちた表情で頷いた。
追放者の復讐劇は、神の理を食いつぶす「王の帰還」へと姿を変える。
夜明けと共に、私たちの馬車は、懐かしくも忌々しい王都へと向けて、砂を巻き上げて走り出した。




