第十五話:反転の加速、星読みの行進
『星読みの塔』を包囲していた霧が晴れた時、そこに広がっていたのは、白銀の鎧に身を包んだ「異端審問聖騎士団」の軍勢だった。
その数、およそ五百。
彼らは教会の直属であり、世界の理を乱す存在を排除するために組織された、国家最高戦力の一つだ。
勇者パーティが「個」の武力なら、彼らは「集団」という名の暴力。神の正義を信じ、一片の迷いもなく異端を断罪する、冷徹な法執行機関。
「塔の頂に潜む異端者よ、聞こえるか! お前が放った不浄なる光は、世界の調律を乱す大罪である! 直ちに投降し、神の裁きを受けよ!」
騎士団長らしき男が、魔力を込めた声で宣告する。
その声は塔の壁に反響し、周囲の木々を震わせた。だが、塔の頂上に立つ俺の耳には、それはただの「羽虫の羽音」にしか聞こえなかった。
「……レイ。……うるさいね。……キミの休息を邪魔するなら、僕が因果を捻じ曲げて、彼らを自滅させてあげようか?」
隣に立つセレナが、紺碧の瞳を無機質に輝かせて俺を見上げた。
「……いや。……俺が動くまでもない。……行け、お前たち」
俺が静かに命じた瞬間。
塔の頂から、三つの影が流星のように地上へと飛び降りた。
「旦那の眠りを邪魔すんじゃねええええええっ!!」
先陣を切ったのは、虎獣人のガオだった。
彼女は空中で拳を握りしめ、重力に逆らうこともなく、そのまま聖騎士団の最前列へと「着弾」した。
ズドォォォォォォンッ!!
爆発音と共に、大地がクレーター状に陥没する。
衝撃波だけで、白銀の盾を構えていた重装騎士たちが、紙細工のように数十メートル後方へと吹き飛ばされた。
ガオが立ち上がると、その周囲の地面はプレッシャーだけでひび割れ、彼女の黄金の瞳が凶暴な光を放つ。
「な、なんだこの獣人は……っ! 構えろ! 包囲して突け!」
騎士たちが槍を繰り出すが、その動きは止まって見えた。
銀色の閃光が、戦場を縦横無尽に駆け抜ける。
「……遅い。……止まっているのと、同じ」
ルナの魔剣『残響の銀閃』が、目にも止まらぬ速さで騎士たちの武器だけを正確に断ち切っていく。
殺しはしない。だが、戦う術を奪う。
それは、神速を超えた「未来の確定」を断つ一閃。
「私の装備が、そんな鈍らで傷つくとお思いかしら?」
リタが優雅に戦場を歩く。
騎士たちが放つ聖なる魔法の矢は、彼女が指先を振るうだけで「光の砂」へと分解され、逆に彼女の周囲を守る魔力障壁へと再構成される。
「……『分解』」
リタが呟くと、周囲の騎士たちの厚い鎧が、カシャカシャと音を立ててボルト一本にまで分解され、足元に崩れ落ちた。
最強の防御を誇るはずの聖騎士たちが、一瞬にして下着同然の姿で晒される。その絶望感は、死よりも深い屈辱だった。
勇者パーティが苦戦していた魔族を蹂躙した彼女たちにとって、人間の軍勢など、もはや訓練相手にすらならなかった。
◇
凄惨な蹂躙が続く中、俺は塔の頂上で、セレナに胸を貸していた。
彼女の白い指先が、俺の心臓の鼓動を確かめるように、胸元に触れる。
「……レイ。……今だよ。……キミの中に溜まった『反転の残り香』が、臨界点に達している」
「……ああ。……回路が、熱いな」
セレナの瞳が、俺の魔力回路の深部にある「神の封印」を捉える。
これまで、ルナを救い、リタを救い、ガオを救ってきた。
絶望を反転させるたびに生じる巨大な因果のエネルギーが、俺を縛っていた『お釣り(制約)』を内側から溶かし、研ぎ澄ませていた。
「……レイ。……キミ自身の『限界』を、今ここで『反転』させなさい」
俺は深く、深く呼吸を整えた。
目の前に、目に見えない鎖が見える。
一日に一度。世界というシステムが俺に課した、一方的なルール。
「……お前たちの言う『正解』なんて、俺が全部食いつぶしてやる」
――『不文律の反転』、発動。
俺は、自分自身の『制約』という名の絶望に、全力の魔力を叩きつけた。
パリンッ!!
脳内で、透明なガラスが砕け散るような音が響いた。
一瞬、心臓が止まるほどの衝撃。
だが次の瞬間。
枯れ果てた井戸に濁流が流れ込むように、圧倒的な魔力が全身を駆け抜けた。
一日一回。その絶対の理が、今、崩壊した。
「……ははっ。……これか。……これが、本来の力か」
俺の体から溢れ出すプレッシャーが、塔の周囲の霧を完全に吹き飛ばした。
二回。
いや、魔力の回復速度を考えれば、それ以上の可能性。
俺を縛っていた世界の重力から、俺の魂が解き放たれた瞬間だった。
◇
俺は塔の石段を、ゆっくりと降りていった。
そこには、三人の少女によって完全に無力化され、無様に地面に転がっている聖騎士団の残骸が広がっていた。
「……レイ様」
返り血一つ浴びていないルナが、静かに俺の前に跪く。
リタも、ガオも、当然のように俺の帰還を待っていた。
俺は、震えながら剣を構えようとしている騎士団長を見下ろした。
彼は、俺の全身から放たれる、もはや人間とは呼べないほどの威圧感に、ただ歯をガチガチと鳴らしていた。
「……世界(神)に、伝えておけ」
俺は、彼の喉元に一歩踏み出し、冷徹に告げた。
「……俺の道にある絶望は、すべて俺が食いつぶす。……世界がそれを拒むというなら、その世界ごと、俺が『反転』させてやるとな」
騎士団長は、悲鳴を上げることすら忘れ、泡を吹いて気絶した。
霧が完全に晴れた北の空に、西へと続く道が見える。
そこには、セレナが予言した、さらなる「絶望」が待っているはずだ。
「……レイ。……西の砂漠が、泣いているよ」
最後尾から降りてきたセレナが、西の空に広がる巨大な砂嵐を指差した。
「……呪歌を歌い続ける『歌姫』。……彼女を救えば、キミの回路はさらに開く。……でも、そこには教会の『本気』が待ち受けているはずだ」
「……いいな。……まとめて、食いつぶしてやる」
俺は、四人の最強のヒロインたちを従え、西の地へと馬車を出した。
一日に一度の奇跡を越え、二度の奇跡を手にした反転者の旅。
それはもはや追放者の復讐劇ではなく、世界という神の庭を破壊し、作り替えるための聖戦へと、その姿を変えようとしていた。
西の果てから、美しくも禍々しい歌声が、風に乗って微かに聞こえてくる。
五人目の絶望。
それを救うため、俺たちの行進は止まらない。




