第十四話:星読みの解析と、因果の調律
霧が晴れた『星読みの塔』の最上階は、まるで宇宙の真ん中に放り出されたかのような、圧倒的な静寂に包まれていた。
天井のない円庭に降り注ぐのは、地上では決して拝めないほど大きく、鋭い輝きを放つ星々の群れ。
私は、冷たい石畳の上に腰を下ろし、自分の両手を見つめていた。
先ほど、セレナの『喪失』を食いつぶした際、私の内側で何かが決定的に「壊れた」感触があった。
「……レイ様。……顔色が、少し良くなりましたわね。……魔力の循環が、以前よりも……滑らかですわ」
リタが、私の背後に膝をつき、慣れた手つきで肩の凝りを解しながら囁いた。
錬金術師である彼女の指先は、私の魔力回路の微細な変化を敏感に感じ取っている。
「ああ。……今までは、常に喉元を締め付けられているような圧迫感があったんだが。……今は、深く呼吸ができる」
そう、魔力回路を縛っていた「お釣り」という名の重石。
それが、セレナを救った瞬間に半分ほど霧散した。
一日に一度という制約はまだ残っているが、その「一撃」の密度と、発動後の回復速度が劇的に向上しているのが分かる。
「……当然だよ。……キミの回路を塞いでいたのは、アイリスが施した『因果の安全装置』だったんだから」
不意に、暗闇の中から凛とした声が響いた。
振り向くと、そこにはリタが応急処置で直した純白のドレスを纏い、紺碧の瞳を星空へと向けているセレナの姿があった。
彼女の視線は、物理的な星を見ているのではない。その奥にある因果の流れ――『星の運命』を読み解いているのだ。
「……セーフティ、だと?」
「そう。……キミの『不文律の反転』はね、レイ。……ただの魔法じゃない。……確定した過去を無理やり塗り替え、世界の理を逆転させる『神殺しの権能』なんだ」
セレナは無機質な足取りで歩み寄り、私の目の前で足を止めた。
彼女の瞳に、無数の文字列のような光が明滅する。
「キミがヒロインたちを……絶望の底にいる『マイナス100』の者たちを救うたびに、その反転の衝撃が世界の歪みを正し、キミの魔力回路を浄化していく。……皮肉だね。世界を壊すための力は、絶望を救うことでしか完成しない」
「……旦那の力が、世界を壊す……? わけわかんねえぜ」
ガオが、塔の縁に座り込み、太い尻尾を苛立たしげに揺らした。
「アタイは、旦那に救われて、旦那のために拳を振るう。……それのどこが、世界を壊すことになるんだよ」
「……『運命』という名の脚本があるんだよ。……ガオ、キミはあのまま虚弱で死ぬはずだった。……リタ、キミは孤独の中で腐り果てるはずだった。……ルナ、キミは何も感じないまま置物として朽ちるはずだった。……それが、この世界の『正しい』結末だったんだ」
セレナの言葉は、氷のように冷たく、残酷だった。
だが、彼女は続けた。
「……でも、レイはそれを踏みにじった。……神が書いた絶望の結末を、一撃でハッピーエンドに書き換えたんだ。……それは世界というシステムにとって、許されざる『エラー』なんだよ」
リタが私の肩を掴む手に、ギュッと力がこもった。
「……エラーで結構ですわ。……主様が変えてくださったこの命。……世界がそれを間違いだと言うのなら、私はその世界ごと、正しい形に錬成し直してみせますわ」
「……私も。……主様が選んだ未来が、私の真実。……世界が敵なら、斬り伏せるだけ」
ルナが魔剣の柄を鳴らし、静かな殺気を霧の中に溶け込ませる。
「……ふふ。……キミたちは、本当に重いね。……アイリスがキミたちをレイの元へ導いた理由が、少し分かった気がするよ」
セレナは、初めて微かな笑みを浮かべた。
「レイ。……アイリスはお前を『世界の敵』にしたかったんじゃない。……彼女はね、世界が……神が定めた『残酷な終焉』から、お前だけを救い出したかったんだ。……世界が滅んでも、お前だけは、お前の愛するものだけは、反転させて生き残れるように」
母さんの愛。
それは、世界を裏切ってでも息子を守り抜くという、狂気にも似た慈愛だった。
俺の回路にかけられた制約は、俺がまだ未熟なうちに世界に見つかり、排除されないための隠れ蓑だったのだ。
「……なら、やることは変わらないな。……俺は俺のやりたいように、絶望を食いつぶすだけだ」
俺が立ち上がると、セレナがその紺碧の瞳を西の空へと向けた。
「……道は示そう。……西の砂漠。……そこに、言葉を奪われ、終わらない葬送の歌を歌い続ける『呪われし歌姫』がいる。……彼女の絶望は、今のキミにとって最高の糧になるはずだ」
「歌姫、か。……いいな。……俺が、その喉のつかえを反転させてやるよ」
その時。
塔の麓、霧の奥底から、幾重にも重なる重厚な鎧の擦れる音と、神聖な魔力の波動が伝わってきた。
「……来たね。……『世界』の代行者。……教会の聖騎士団だ」
セレナが冷ややかに告げる。
「……キミたちが放った『反転』の光は、あまりにも強すぎた。……異端として、あるいは世界の脅威として、彼らはキミを狩りに来たんだよ」
「……ふん。……あいつら(勇者パーティ)の次は、教会の連中か」
ガオが拳を打ち鳴らし、凶暴な笑みを浮かべた。
「旦那。……寝起きに丁度いい運動になりそうだぜ。……アタイが、あいつらの鎧を全部ひしゃげてやってもいいか?」
「……主様。……指示を」
ルナが影のように私の横に並ぶ。
俺は、塔の下から押し寄せる光り輝く騎士たちの軍勢を見下ろした。
かつての俺なら、逃げることしか考えなかっただろう。
だが今は、俺の背中を支える三人の……いや、四人の最強の少女たちがいる。
「……ルナ、リタ、ガオ。……掃除だ。……俺の休息を邪魔する奴らに、一撃の重みを教えてやれ」
「御意!!」
三つの影が、塔から夜闇へと飛び降りていく。
爆発音と、金属がひしゃげる音、そして絶叫が霧の底から響き渡る。
俺は、隣に座るセレナの細い肩に手を置いた。
「……セレナ。お前が視る未来に、俺たちの敗北はあるか?」
「……まさか。……キミの因果は、もう僕にも読みきれない。……キミが進む道こそが、これからの『正解』になるんだよ」
星読みの塔を舞台にした、世界との最初の戦い。
一撃にすべてを懸ける反転者の伝説は、今、神話の領域へと足を踏み入れようとしていた。




