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第十一話:爆絶の剛拳と、静かなる日常

 新たな仲間、虎獣人のガオを連れて隣町の宿屋『琥珀の蹄亭』に腰を落ち着けたのは、月が天高く昇った頃だった。

 一日に一度の奇跡を使い果たした俺の体は、心地よい疲労と、それ以上の「空腹感」に支配されていた。魔力回路が閉じ、次の夜明けを待つ静寂の時間。だが、今夜の宿はこれまでにないほど騒がしかった。


「旦那! 見てくれよ、この肉! アタイ、こんなに分厚いもん食うの初めてだぜ!」


 食堂のテーブルが、ガオが置いた拳の衝撃でみしりと悲鳴を上げる。

 彼女の目の前には、通常の五人前はあろうかという山盛りのギガント肉が積まれていた。虚弱体質(マイナス99)から解放され、爆絶的な身体能力を手に入れた彼女の肉体は、その維持のために凄まじいエネルギーを欲しているらしい。


「ガオさん。……はしたないですわよ。主様の前では、もう少し淑女としての嗜みを覚えなさいな」

 リタが優雅にスープを啜りながら、釘を刺す。

 だが、そのリタも、反対側の手では俺の外套の裾をしっかりと握りしめ、片時も離れようとはしない。


「……リタ。人のこと言えない。……主様の隣は、私の指定席。新入りは、足元で丸くなってればいい」

 ルナが、俺の左腕を抱きしめるようにして密着し、リタを冷たく一瞥した。

 

「あんだと!? アタイは旦那の『一番の盾』になるって決めたんだ! 隣に座る権利くらいあるだろ!」

「……盾は私。あなたは、主様の邪魔な敵を殴り飛ばすだけの『つぶて』。……勘違いしないで」

「な、なんだとこの銀髪……! 表に出な、アタイがその澄ましたツラを――」


 ガオが立ち上がろうとした瞬間、彼女の足元でミシミシと石畳が砕ける音がした。

 反転によって得た『怪力乱神』の制御が、まだ感情の高ぶりに追いついていないのだ。


「……ガオ、リタ、ルナ。食事中だと言ったはずだぞ」

 俺が静かに、けれど逃げ場のないトーンで告げると、三人の美女(と一匹の野獣)は、一瞬で借りてきた猫のように大人しくなった。


「……す、すまねえ、旦那。アタイ、つい熱くなっちまって……」

「申し訳ありません、レイ様。つい、教育が熱心になりすぎましたわ」

「……すみません。主様」


 三者三様の謝罪。

 最強の剣、至高の盾、そして爆絶の剛拳。

 世間が「ゴミ」と捨てた少女たちが、今や俺の顔色一つで震えるほどの忠実な配下となっている。この光景を、俺を追放した勇者たちが見れば、泡を吹いて倒れるに違いない。


 ◇


 食後、三人が「主様の体を拭く権利」を巡って再び火花を散らし始めたので、俺は一人、夜風に当たるために宿のバルコニーへ出た。

 

 夜空を見上げると、月が異様に白く輝いている。

 ふと、脳裏を掠めるのは、幼い頃に見た母アイリスの背中だ。

 彼女はいつも、何かを祈るように空を見ていた。


(母さん……。あんたが俺に残したこの『お釣り』は、一体何を意味しているんだ?)


 俺の魔力回路を縛る、巨大な呪いの残滓。

 かつて母を救った際、俺が引き受けたはずの「マイナス」は、ヒロインたちを救い、その運命を反転させるたびに、わずかずつだが……確実に「溶けて」いる感覚がある。


 まるで、彼女たちを救うこと自体が、俺自身の呪いを解くための「鍵」であるかのように。


「……おや。こんなところで、物思いに耽っているのかい? 若い主様」


 不意に、階下の闇から声がした。

 俺の『反転』の影響で敏感になっている感覚が、その方向に「底知れない静寂」を感じ取る。

 そこに立っていたのは、白いフードを目深に被った、汚れ一つない白装束の女性だった。


 彼女の周囲だけ、夜の闇が浄化されているかのように澄んでいる。

 

「……誰だ」

「通りすがりの、ただの『掃除屋』だよ。……この街に漂っていた、ひどい腐敗の臭いが消えたと思ったら。……なるほど、君が『食いつぶした』んだね」


 女性は顔を上げなかったが、その声の響きは、記憶の奥底に眠る「誰か」の声に酷く似ていた。

 

「君がやっていることは、かつての『白亜の福音』と同じ。……だが、やり方が少し乱暴だね。マイナスをプラスに変えるたび、世界に歪みが蓄積していく。……気をつけるんだよ。次に君が会う『星読み』の娘は、君の運命を左右するだろうから」


「待て! あんた……母さんのことを知っているのか!」


 俺がバルコニーから身を乗り出した瞬間、白い影は、かき消えるように闇へと溶けていった。

 そこには、ただ一輪の、純白の百合の花だけが残されていた。

 

 それは、母アイリスが最も愛した花だった。


 ◇


 翌朝。

 部屋に戻った俺を待っていたのは、俺の左右の腕をガッチリとホールドして眠っているルナとリタ、そしてベッドの足元で大きな虎のように丸まって喉を鳴らしているガオの姿だった。


「……旦那……。アタイ、……もう、お腹いっぱい……だぜ……」

「……レイ、様。……離しません……わ……」

「……主様……。ずっと、私の……光で……」


 三者三様の寝言を聞きながら、俺は深い溜息をついた。

 母の謎、動き出した『白亜の福音』の影、そして迫り来る『星読み』の予言。

 

 俺の『一撃』が変えていく運命は、もはや彼女たちだけの問題ではなくなりつつある。

 

「……騒がしくなりそうだな」


 俺は、まだ眠りの中にいる彼女たちの頭を一人ずつ撫でた。

 これからどんな絶望が待ち受けていようと。

 俺がこの手で、すべてを黄金へと反転させてやる。


 夜明けの光が、新しい旅路を照らし始めていた。


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