水音
──ピチャァン……ピチャァン……
真夜中、暗闇の中でシンクを打つ水の音が聞こえてくる。
安アパートのせいか水道のネジが緩んでいるのか昼間はさして気にならないこの水が滴る音が深夜になると殊更大きく聞こえる。
この水滴が落ちる音を聞くと私は背筋が寒くなるのだ。
──早く大家さんに言って直さないと。
そう思いながら、私は耳を塞ぐ様に布団に潜り込んだ。
私がこの水の滴る音に恐怖を感じるようになったのはまだ子供だった頃の出来事が原因である──。
✦✦✦
私が住んでいた山間の町には川の近くに小さな洞窟があった。小さな洞窟で昔から周辺に住む子供たちの定番の遊び場になっていた。洞窟内は夏でも涼しく私も含め子供たちは皆夏になると洞窟に涼みに入っていた程だ。
その日は私は自転車を漕いで祖母の家へと向かっていたのだが、丁度洞窟の近くを通りかかった時雷雨に見舞われた。
雨宿りをする為、私は迷わず洞窟の中に避難した。全身ずぶ濡れ状態の私は洞窟内の冷たい空気に身体を震わせた。
洞窟の入口付近で縮こまって雷雨が通り過ぎるのを待っていると洞窟の奥から水の滴る音が聞こえてきた。
──ピチャン……ピチャン……
──雨水が洞窟の中に入ってるのかな?
私は最初そんなふうに思った。
洞窟の奥には狭く人は入る事は出来ないスペースがあった。何処からか雨水が入って水溜りが出来ていても何ら不思議はなかったのだ。
私はふと洞窟の奥を覗いて見ようと思い立った。ただぼんやりと洞窟の中で雷雨が過ぎるのを待つのに飽きてきていたのだ。
私は立ち上がると洞窟の奥に向かって歩き出した。といっても入り口から目視できる距離で行き止まりになっている為大した距離は無い。
私は洞窟の奥へ行き座り込むと、僅かに空いた隙間を覗き込んだ。その間も雨音に混じって、ピチャン……ピチャン……と水滴の音が聞こえる。
入り口からの差し込む明かりに照らされて地面の水溜りに水滴が落ち水面が揺らぐのがて見えた。
──何か面白いものは見えないかな?
内心そんな事は無いと分かりきっていたが、私は期待に胸を膨らませた。
──ピチャン……ピチャン……ピチャン……
──………ずっ……ずず……
すると、水音に混じって何がを引きずる音が聞こえて来たのだ。私はその隙間に何かいるのでないかとは更に覗き込んだ。
──何の音だろう?
私の心臓はドクドク大きな音を立てていた。
──ず……ず……
その間にも何かが這いずる音は近くなり、漸く私の目に何か白いものが映った。
それは白くぶよぶよとしていたが、かろうじて手だと分かった。その白いものは五本指に分かれていたのである。
──もしかして新種の生物!?
私は早く全体が見えないかと息を殺した。その間にも這いずる音は近付いてくる。腕の生える胴体が見えた時、私は思わず後退った。その弾みで小石を蹴飛ばしカランと乾いた音が洞窟内に響いた。
その白くぶよぶよした手が生える胴体には黒黒とした髪の毛が覆う頭部があったのだ。そこで私は漸くそれが人間の形をしている事に気が付いたのだ。
──な、何? あれは、あれは何?!
見間違いかもしれないと思い、私はもう一度隙間を覗き込んだ。
「ひっ……!!」
私は声にならない悲鳴を上げた。覗かなければ良かったと私は後で深く後悔した。
覗き込んだ先には白く濁った瞳が此方を見ていたのだ。
私は一目散に洞窟を飛び出すと、自転車に飛び乗って祖母の家へと駆け込んだ。
「タカシ? そない顔を青くしてどしたね!?」
顔を真っ青にしたて駆け込んで来た私に祖母は驚いて尋ねたが、私はとても答えられる状態ではなかった。
暫くして漸く落ち着いて来た頃、祖母に見たままを話すととても信じられないという顔をしていた。
しかし、それでも私の様子から嘘をついているようには見えなかったのだろう。雨がやんだ後近所の人を呼んで洞窟内を調べてもらった。
結果として何もなかった。私が覗き込んだ隙間も何も。
「うたた寝して、夢でも見てたんでねぇか?」
近所の人達はそう言って笑っていた。私にはとても夢とは思えなかった。
✦✦✦
私はそれ以降その洞窟には近づいていない。
そもそも最初からおかしかった。私から洞窟の隙間の中が良く見えたが、良く考えればそんな事は有り得ない。私が隙間の前に立てば光は遮られ中が見なくなるはずなのだから。
──やはり、夢だったのだろうか?
そう思いもしたが、あの水滴が落ちる音を聞く度、あの白くぶよぶよとしたものが脳裏に過る。
ピチャン……ピチャン……という音に混じって、ず……ず……と何かが這いずる音が聞こえくる様な気がするのだ。