1. 独白
由比ガ浜の波を眺め、浜風に揺られ、磯の匂いを浴びる度に思う。
自分など、この海と比べれば何と小さく、不自由な存在なのかと。
源氏の名門、足利家の御曹司と言えば聞こえはよいが、足利家など幕府を支配する北条家に支配されし存在でしかない。
実際、足利歴代当主は代々北条一門から正室を迎え、正室の子を嫡子とし当主とすることで生き永らえてきた。
それは無論、足利家への信頼の証ということでもあるのだろうが、同時に源氏の名門であり大領を有する足利家とその一門への北条家からの警戒に他ならない。
我々足利は常に頼りにされながらも、同時に常に警戒され続けているのだ。
「足利は信頼できる、しかし警戒は必要だ。」「奴らは頼りになるが、北条の血で縛る必要がある。」
そのような北条達の声が聞こえてくるような呪縛だ。
実際、実母が北条一門ではなく上杉家である祖父家時は25歳で無念の自害を遂げた。
鎌倉に幕府が興って以来、足利家の当主が自害したのはこの時だけである。
俺には到底無関係の事象とは思えない。
そんな窮屈な足利家の中で、俺は更に窮屈な生活をしている。
祖父と同じく上杉の母を持つ側室腹の次男であり、兄である高義の母が北条であるからだ。
つまり俺は予備だ。
予備に必要なことは出しゃばることではなく、誰にも迷惑をかけず慎ましく暮らすことだ。
父母も含め誰も俺に期待などしておらんし、派手に動くことを嫌う。
自由に動くこともできず、窮屈な家に一生縛られ続ける存在、それが俺なのだ。
人生とは何て退屈で悲劇的なことだろうか。
せっかく生まれてきたのに、このような境遇でこの先生きて何があろうか。
強いてこの世に楽しみを見出すとすれば、それは弟の存在だろうか。
俺にも1つ下に弟がいる。この者といつまでも仲良く暮らし続けることが、俺の人生で唯一の目標と呼べるものであろう。
「兄上!」
弟の声が聞こえた。海に膝まで浸かっていたようだが、神妙な顔でこちらに近づいてきた。
「兄上、本日はどうしたのです。いつもは海に来ればはしゃいでいらっしゃるのに。どこか具合でも悪いのですか」
どうやら心配をさせてしまったらしい、どのように悩んでいると
「本当に、どうしたのですか兄上。やはり、どこか具合でも悪いのですか?もしかして腹でも下したのですか?だからキノコの拾い食いは辞めろと言ったではないですか」
「いや、すまんすまん。身体はどこも悪くないのだ。ただ、、」
ただ、なんと言おう。正直に言うべきなのだろうか。
先も見えず希望も自由も無い。朽ちていくだけの人生に絶望していると。
それを、俺よりもさらに展望が望めない弟に伝えることが正解なのだろうか。
「ただ、この海の果てには一体何が広がっているのかと考えていたのだ」
気づけば、そのような言葉が口から洩れていた。
「兄上、そのようなこと考えても仕方がないでしょう。それとも兄上は、その海の果てを見に行くというのですか?」
呆れたような声色だった。
「そうだなぁ、お前と一緒ならそのような旅も悪くないであろう」
本心からそう思う。もしそのようなことができたなら、何と心躍る人生なのだろう。
海の先に何もなくても、その旅路はきっと楽しいものとなろう。
「本気で言っているのですか?そのようなこと、出来るはずもないでしょう」
今度は、心底呆れたような声色で言われてしまった。心なしか、ため息まで聞こえてきた。
「なんだ、お前はついてきてくれないのか」
それは、、寂しい。思わず俯いてしまう
「はぁ。俺も、兄上を支えることが嫌なのではない。我らの立場でそのようなことができるはずがないと言っているのだ。父上や母上が許すはずがない」
父上、母上か。産んだきり我らを放置している人間に、なぜ伺いを立てねばならん。
なぜ北条や幕府の言いなりになり生きていかなければならん。
そのような心を内はともかく
「そうだな、お前の言う通りだ。全く、俺はどうかしていたようだ」
この場はこれで納めておいた方が穏便に済みそうだ。
「兄上、本当にしゃんとしてください。釣りでもしますか?心が落ち着きますよ」
「そうだなぁ。今日は釣りでもして楽しむか」
毎回、兄である俺が窘められることになるが、俺にはこの関係が心底心地よい。
それは、弟が心から俺のことを気遣ってくれていると分かるからだろう。
他の誰に言われても喧しいと思うだけなのだが、兄弟とは不思議なものだ。
…ちなみに釣りは俺が圧勝した。不思議と毎回、弟にこの手の勝負で負けたことがないのだ。