第197話 『そうでもなかったよ』
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船の乗り心地は存外悪くはなかった。出航が夜中だったこともあってか、外見から感じていたイメージよりも中はずっと広くて。一人一人のための個室がある分、これまでの船よりも余程居心地がいい。自分たちと年齢もそこまで離れていないのに、なんともまぁ豪華な船を持っているもんだ。
「それほど大きいわけでもないのに、揺れないもんだな……」
――目が覚めた時には、既に日は昇っていて。
特に船酔いといった症状も無し。概ね快適と言ってもいいだろう。
けれど他には誰も個室から出てきていないようなので、ある程度みんなが起きてくるまで外で時間を潰すことにする。どうせ数十分ほどで全員揃うだろう。
空には雲が残っているものの、日光が燦々と降り注いでいて。
船首の方で何やら音がしたので見てみると、唯一の船員(一人で船を動かしているので、実質は船長)であるカインが網を引いていた。反射してキラキラと弾ける波間に――眩しく映える小麦色の肌。右の頬には、薄っすらとした一筋の傷跡。
「……起きたか。目的の島は小さいがもう見えているぞ。昼には降りる準備をしておけよ」
「あ、あぁ……」
昨日はなんだったか、普段は漁で生計を立ててるとか言ってたな。船のあちこちには魚を捕るための道具が縄で結ばれているし、まさに海の漢といった様子。
「この海じゃあそれほど美味い魚も取れないが、それでもマシなのが何尾かはかかるだろう。終わったら全員を起こして飯だ」
作業の途中だったけれども網から視線を外し、こちらへと向き直す。左手一本で、大量の魚が入ったままの網を抑えていた。
どうしようか。これは自分も手伝った方がいいのだろうか。
――と、少し迷った次の瞬間。
網の中にいた、ウツボのような魔物が飛び出してくる。
……『あっ』と声を出す暇もなかった。
足元に置いていた錨を手に取ったかと思うと、それをそのままハンマーのように振り抜く。ゴッという重い音がすると同時に、飛び出した魔物は放物線を描いて、遥か遠くへと落下していった。
「――っ!?」
こういったことは日常茶飯事なのか。何事もなかったのように錨を足元へ置き、引き続き網を揚げるのを再開する。あっという間に全て引き揚げ終わり、錨は船室の壁に掛け直して。『大半はゲテモノだな……』と呟きながら、今度は船尾へと行こうとする。
小さな船の通路なんて、たかが知れている。カインを避けようとしたのだけれど、身体に当たったのか――手すりに繋いであった籠が、床に落ちて音を立てた。手すりと籠の両方に、それぞれ縄が結び付けられていて。どうやら、二本を一つに結んであったのが解けてしまったらしい。
……しまった。
手を煩わせるのも気が引けるし、自分で元に戻しておこう。
「……すまない。すぐに直すよ」
「いや、後で俺が――」
隣にも同じように繋がれた籠が幾つも並んでいた。それを見ると、自分にも知っている結び方で。これなら時間もそうかからない。
U字に曲げた片方の縄の中に、もう片方の縄を通す。そのまま外側へと出して、一回、二回と中へ通しながら巻き付ける。最後に結び目を整えながら、引っ張って荷重をかけて終わり。これだけでも、十分に固く繋げるもんだ。
「手際がいいな」
自分が結んだものを、二度ほど引っ張って。結びの強度を確認してから、そう言われた。お世辞でもなんでもなく、普通に褒められていた。
「縄の結び方は一通りできる。……父親に覚えさせられた」
縄の繋ぎが命を繋ぐ。文字通りの命綱だと思え、と言われながら育った。
物心がついたあたりか、それよりも少し前か。この先、死にたくなかったら、今、死ぬ気で覚えろと。ナイフよりも先に叩き込まれたのが、この縄の扱いだった。
手先は器用な方だったから、それだけは得意になって。おかげでどの結び方だろうと、手元を見なくとも結べる。あまり嬉しいことでもないが、確かにこの技術に助けられたことも何度かあった。
――森だろうと。山だろうと。海だろうと。
縄を上手く扱えれば、できることの幅が広がる。
足の代わりとなり、手の代わりとなる。
「いい家だったんだな」
「……別に、そうでもなかったよ」
謙遜などではなく、本心でそう言った。いい家なわけがない。生きるために必要な技術を詰め込まれただけ。もっと悪く言えば、“道具として必要な機能”を備えさせられただけだ。やっていることなんて、工場とそう変わらない。
……そんなものが、家であるものかよ。
「俺も親父に叩きこまれた。結びの一つもまともにできない奴は、海で生きていくことはできないってな。その時の俺は、別に船乗りになるつもりなんてなかったんだけどな。……そこらの道具は長いこと使っていなかったから、緩んでいたんだろう。手が空いているなら、結びなおすのを手伝ってくれるか」
――別に断る理由もなく。
似たような二人で、縄を解いて、結んでを繰り返す。
その中で、ぽつぽつと家のことを話してもらったりして。
……親なんて、子供の意思なんて関係なく詰め込もうとするだけ。
けれど、カインの方はそうは思ってもいないようだった。
「いざどこかで働くっていう時にも、少しは役に立ってた。その技術を頼りにされることも何度かあった。あの時は散々嫌だったことでも、身体はちゃんと覚えてたんだ」
早さを優先させるというよりは、一つ一つを確実に結んでいくカイン。結び目を確認する度に、ギチチッと強く縄が締め付けられる音が聞こえる。
「けど……親父が歳をとって、船乗りも引退かとなったときに、ふと自分が後を継ぎたくなった。それまで考えないようにしていたのに。上手く説明できないけど……不思議なことに、な」
「…………」
……何も言えなかった。
父親の跡を継いで漁師をしているのが、間違っているのか、正しいのかが自分には判断できなかったから。カインにとっても、それは同じだったらしい。彼はそれを――“選択肢”だと言った。
「親父がそうなるように仕向けたのか、後々に俺が好きなことをできるよう、選択肢を与えてくれたのかは分からない。良くも悪くも、親父の言ったように縄も結べないままでいたら、船乗りになるのは諦めてただろう」
……自分はほんの数年前まで、殺しや盗みの技術を叩き込まれてきた。後を継げるかというなら、きっとそれは難しいだろう。兄たちとならまだ比べ様もあるけど、父親にはまだ遠く及ばない。
それでも単独で仕事をする上では、少しはマシな働きだってできる自信はある。
学園でいろいろ学んで、力を付けてきた今なら。
「……俺の家は殺し屋だって言ったらどうする?」
――試すつもりで、カインにそう尋ねてみた。
縄の扱いも家で学んだ。殺しの業。盗みの技。
そういったものを身に付けてきた自分に、“選択肢”はあるのだろうか。
結局は、父親と同じ道をいくことになるのか。
「……その腕なら――」
――けれど、カインの答えは自分の想像とは違っていた。
結局は自分に判断を委ねるように、やさしく笑いかけてきて。
……そしてこう言った。
「――いい船乗りにもなれるぜ」
そんな話をしているうちに、全ての縄を結び終えて。『長話に付き合わせて悪かったな。手伝ってくれて助かった』と、船尾で残った仕事を片付けに行くカイン。
……そろそろ他のみんなは起きてきただろうか。
カインに付いていき『自分もまだ手伝う』と言えばよかったのだけれど、そのタイミングを逃してしまい手持無沙汰になってしまった。
「一度、客室の方に降りてみるか……――。……こいつは……」
――取り残された自分の視界に、カインが振り回していた錨が入る。
…………。
結構、簡単に振り回してたよな……。
もしや武器としても使えるように調整して作られたものなんだろうか。わりと自分でも軽々と持ち上げられるんじゃないか、と手を伸ばしたのだけれど――
「重っ……!」
――びくともしない。置台が壁に取り付けられており、そこから飛び出した持ち手の部分を両手で担ぎ上げようとしたのだが、一ミリも動く様子を見せない。まごうことなき、本格的に船を固定するための重りとして使っているやつだ。
……相当重いぞ?
「ふっ……! ぎぎぎ……っ!」
……駄目だ。持ち上げるどころか動かせる気すらしない。魔法でも使っているのか、それこそ本人の筋力か。縄の結び方だけじゃない。それこそ、どこでも通用しそうな能力を持っていたカイン。
それでも、彼が最終的に選んだのは、父と同じ道。
「俺も船乗りに……ねぇ……。――すぅ――ふぅっ……!!」
大きく深呼吸してから、全身の力を込める。
足の裏で自分の身体を押し出すようにして、その力を肩から腕に――!
……それでもやっぱり、錨はびくともしなかった。




