第105話 『帳尻が合わない』
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「先輩……!?」
ヤーン先輩の左腕が、肘から先を失っていた。
ショッキングな光景に、ハナさんも小さく悲鳴を上げる。
身体が焼け落ちた!? そんな馬鹿な!
いくらヒューゴが魔法を使うのが下手糞だからって、ここまで酷いことになるはずがない。そもそも、人の身体がこんなに簡単に燃えるわけがないだろう!?
そんな自分の考えに反して、燃焼はまだ続いている。
肘から先だけじゃない。続けて、肩から丸ごと落ちていく。
ぼとり、ぼとりと半身が崩れて。
それでも、ヤーン先輩は悲鳴の一つも上げない。
最終的には、左胸から手先までが無くなり、その内側には空洞が広がっていた。皮膚、と呼んでいいのだろうか。それの裏側が、こちらから見える。
肉がない。“中身”がない。
まるでソフビ人形か、それこそ綿の抜かれたヌイグルミのようだった。
「――――っ」
『ありえない』と口に出す前に、嫌な想像が頭に浮かんだ。
『糸は僕の身体の一部――僕の目であり、僕の耳であり、そして全てだよ』
「“ヒト”じゃ……ない?」
「身体が糸で出来ているんだろう? お前……この魔導書で何をした?」
気づかぬ内に、ヴァレリア先輩が距離を詰めていて。急に後ろへと引き戻される。自分と入れ替わるように位置を変えたかと思うと、間髪を入れずヤーン先輩の腹に蹴りを入れていた。
「ぐっ……!」
勢いよく身体が壁に叩きつけられた。ドンという音の中に、硬質的な音が幾つか混じっているような。と、同時に――衝撃で、身体にぽっかりと開いた穴から腕輪が一つ飛び出した。
「腕輪がっ!?」
身体の中に隠してたのか……!?
ぱっと見ただけでは分からない筈だ。身につけてなくても、触れているだけで使えるのなら。身体の外側だろうが、内側だろうが関係無いらしい。
「やっぱりその腕輪も……」
「がっ……じ……持続的に……魔法を使い続けるにも……限界があるんだよ」
燃焼部を意図的に切り離したのか、既にその身体からは火が消えていて。身体の何割かを失った先輩は、力なく、ずるずると床に腰を下ろす。
「常に魔力を補充しておくことなんて……不可能に近いだろう。こうして……道具を使って……消費を抑えるしかないんだ。……それでも、あまりよろしい状態じゃないけどね」
身体がボロボロになっても、語ることを止めようとしない。
それどころか、話している間に、少しずつ穴が埋まるように修復していた。
その生き物とはかけ離れた現象を、気にも留めようとしない。
どうして、そこまでヴァレリア先輩のことを?
二人の過去に何があった?
先輩の様子に、鬼気迫るものを感じていた。
「……でも、これを使えばこの本の真価を――!」
「それもまた、実現はしない。させない」
ヴァレリア先輩の、聞いているだけで底冷えするような声。
学生大会で、ハルシュに魔導書のページの出処を問い詰めたときと同じ声音。
相手を排除する対象と認めたときの、『容赦はしない』という意思表示。
まだ完全に回復していないヤーン先輩の喉元を掴み、再び壁に叩きつける。
「ヴァレリア先輩っ!」
「離れてろ」
その背中から炎が広がり、ドーム状に膜を張っていく。逃げられないようにするためか、それとも自分たちが近づかないするためか。中からの声も、フィルターにかかったかのように、意識を向けていないと聞き取りづらくなっていた。
「その本の真価だ? ……諦めろ。それを出した時点で、私の逆鱗に触れてんだ」
二人の身長は同じぐらい。高く掲げた腕の分だけ、ヤーン先輩の足が床を離れているが――首を締めるための行為とは違う。首元から、いつでも焼き尽くせるという通告だった。
「お、おい! テイル、大丈夫だったか!」
「……お前からしかダメージを受けてないぞ」
駆け寄ったヒューゴとルルル先輩に『大丈夫だから』とおざなりに返事を返して。炎の膜の向こう側で交わされる、ヴァレリア先輩たちの会話に耳をそばだてる。
「私の前で“それ”を出すとは、無神経か敵意があるようにしか思えないな ん? それも、敬愛する先生から譲り受けたものか?」
「……そうだよ。君に殺された先生が――唯一、僕に遺してくれたものだ」
「殺っ――」
「……?」
『殺された』という言葉に耳を疑った。ちらりとヒューゴの方を見たのだけれど、やはり一連の会話は聞こえていない。
「――――」
……いや、ルルル先輩は……何を言っていたのか分かっている。顔の見えないヴァレリア先輩はともかく、ヤーン先輩の表情ははっきり見えるからだ。
自分と同じぐらいに耳の良いハナさんが、アリエスに付いて部屋の出口側にいるのが救いだろうか。これは……本来なら聞くべき内容じゃない。
「ヒューゴ……。アリエスたちを無防備にさせるわけにはいかない。付いててくれ」
「先生の死の瞬間、君はその場にいた筈だ!」
先輩の言葉に熱が籠もる。それに反比例するように、自分の内側が次第に冷えていく錯覚に襲われていた。
止めてくれ。これ以上何を。
今ならまだ取り返しがつくだろう。
後戻りを出来ない程の“何か”を知ってしまったら――
「――僕は確かに見た。見た筈なんだ! その琥珀色に輝く瞳と、その燃えるように赤い髪を……!」
「……なるほど、お前――」
――その時、ヴァレリア先輩の呟きが現していた。
ヤーン先輩の復讐に、心当たりがあるのだと。
否定……しないのか……?
「君だけが、のうのうと学園生活を送っていることを、僕は許すことが出来ない! どうして僕だけが! 何もかもを失わなければならないのか!! 分かるだろう……いま僕が考えていることが――」
「んなこと知るか。お前が、勝手に私の学園生活を語るな」
めらめらと燃える炎の膜を通して、ヤーン先輩と目が合った。生物のそれとは全く構造の異なる。魔法の糸で形作られて、偽られた、紛い物の目だ。
そして、嫌な形に口元の端が釣り上がっていく。
微笑み。とは違う笑い方。どこか歪んだ、危うさを含んだ笑みだった。
「――君も大切なものを失わないと、帳尻が合わない」
「はぁん?」
いつの間にか、魔導書が床へと落ちていた。
空いた右腕はこちらへと向けられている。
直前になって初めて気づく。腕が本来あった場所から離れ、こちらへと近づいてくいたことに。宙へと投げ出され、炎の膜を突き破り、迫ってくることに。
「――ちっ、どうやら死にたいらしいっ!!」
先輩の怒号と共に、膜の内側で爆発が起こる。
外側にまで広がらないということは、即時に腕を焼き払うことができないということだ。いちいち解除してから、再び魔法を使う暇はないと判断して、ヤーン先輩自身を無力化することを優先したらしい。
――けど!
一度打ち出されたそれが、勢いを落とす気配がない!
先輩の意思を離れ、物理法則のままに飛んでくる。
開かれた右手が、自分の首元へと、命を奪いに。
こんなもの、さっさと避け――
「な――っ!?」
庇おうとした両腕が重たくて上がらない。
糸に絡め取られたかのように、急に動かなくなった。
なんでだ!? 自分の両手から魔力による淡い光は見えない。なのに、魔力を込められていない、ただの糸がなんで腕に絡みついてるんだ!?
――まさか、ヌイグルミを切り裂いた時に?
魔法をブラフに、二種類の糸を仕掛けてたのか……!
どうやったのかは分からないが、現にこうして捕まっている。
それが今の状況で何よりもマズい。
もう次の瞬間には手が――
「くそっ――……!?」
手が。飛んでくる手が。横から入ってきた影に遮られた。
……庇った?
ヒューゴは既に後ろに下がっている。他に誰が?
明るい栗色をした髪。後ろで纏められた髪の房が揺れる。
「――先輩っ!!」
ヤーン先輩からの狂撃に、その身を呈して盾となったのは。
たった二人しかいない、【真実の羽根】の、部長であるルルル先輩だった。
自分の首元にある筈だったヤーン先輩の右腕は、左腕にがっしりと掴まっていて。その指先が食い込んでいるのが、制服のシワからはっきりと分かる。ミシミシと嫌な音が聞こえてきそうな程だった。
「ア、アルル……」
気がつけば炎の膜は消えていて。依然としてヴァレリア先輩とヤーン先輩がそこにいた。先程と違うのは、壁に押さえつけられていたヤーン先輩の身体の五割近くが黒く焼け焦げていて。声も本来のものとは変わって、ガラガラとしたものになっていた。
「私は――貴方のことを疑うべきだった。私が、一番最初に気づくべきだった。私が……貴方を止めなければいけなかった」
もしかしたら、先輩も薄々気づいていたのかもしれない。動機はともかく、誰が、どうやって一連の事件を起こしたのかを。
だからヤーン先輩が最初ヴァレリア先輩に攻撃を仕掛けた時、糸が見えないにも関わらず逃げろと叫んだのだ。
自身の左腕からヤーン先輩の右腕を引き剥がそうとするのだが、余程の力で掴まれているのか上手くいかない。見かねてアリエスが声を上げるが――
「ヒューゴ! 早く魔法で焼いて――」
「……っ!!」
ベギッと嫌な音が響いた。先輩の腕が折れた音だ。
……本来ならば、自分の首の骨を折っていた音だ。
「――――――っ!!」
その場にいた一年の全員が息を呑んだ。……ルルル先輩は、その痛みに歯を食いしばりながらも、ヤーン先輩から視線を外さない。
「貴方の復讐が正しいものなのかは、私には分からない。でも、私の中の正義は……。私の中の“天秤”は。関係の無い、罪の無い無関係な生徒を巻き込む貴方の復讐を、決して是とはしない」
たとえ身内であろうとも、過ちを見過ごすことはなかった先輩だ。
その正義の基準は――数年共に活動した先輩にも、変わりなく適用される。
「……もう、止めてください。……先輩」
復讐の、終わりのときが告げられた。
「そう……か……。――残念……だよ」
焦げた身体で、膝から床へと崩れ落ちる先輩。これでまだ息があるのは、身体が魔物のものだからなのだろうか。見るも無残な、実に凄惨な光景だった。
「――おい。誰がこれで終わりだと言った?」
それでも、ヴァレリア先輩は止まらない。先輩は言っていた。『私の逆鱗に触れた』と。ヤーン先輩のことを、魔物と、敵とみなしていると。
殺すことに躊躇いがない?
本当に、そこまでのことをするのか?
既に向こうに戦う意思がない以上、止めないと――
「先輩! これ以上は――」
「こいつはもう――いや、だいぶ前から、この学園の生徒じゃない。自分の意思で、生徒の安全を脅かす魔物になることを――……あぁ?」
トドメを刺そうとするヴァレリア先輩の前に立ちはだかるルルル先輩。
さっきの圧倒的なまでの暴力を目にした上で、それでも阻止しようとする。
「たとえ生徒じゃなくなったとしても……私の先輩なんです」
「どちらでもいいんだ。どちらでもいいんだよ、そんなことは。少々手荒になるが、邪魔をするなら少し眠って――」
もはや、半分暴走のようなものだった。
この場の誰であろうとも、ヴァレリア先輩を止めることができない。
諦めが脳裏に浮かんだときだった。
「――ふぅむ、そうなると死体の処理をしないといけない。それは……こちらとしても困るんだけどね?」
突然に、声がした。
この場に似つかわしくない、温和な男性の声。
既にヤーン先輩は喋れる状態ではない。新しく出現した誰かの声。
「――――っ!?」
「学園長!?」
世辞にも豪華とは言えない、質素な洋服に身を包み。
人畜無害と表すしかない物腰の柔らかさをした、学園長その人の姿。
部屋の扉が開いたのなら、気付かないわけがない。
……いったいどこから現れた?
「ヴァレリア。君は時にやり過ぎるきらいがある。こうして止めないといけない私の身にもなって欲しいのだけど。流石に学園の中で、これ以上の騒ぎを見過ごすわけにはいかないんだよ。僕は“学園長”だからね」
「今更、のこのこと出て来て何を言ってんだ? 今も昔も、問題を放置して眺めるのが趣味な癖をして! なぁ、そうだろう!?」
「遅れてしまったことについては謝ろう。結果として、君たちに危険が及んでしまった。――けれど、学生が起こした問題については、なるべく学生の間で解決できるように、というのがこの学園の方針であることは理解してほしい」
ヴァレリア先輩が敵意を学園長にまで向けていた。
けれども、構わずに話を続ける。
この問題を一息に解決――ではなく、無理矢理に終わらせる為に。
当事者である君たちの役目は終わったのだと。
この舞台の幕引きはこちらですると。案に告げていた。
「――とはいえ、先程も言った通りだ。このままでは、度を越してしまう可能性が出てきてしまった。この件は、僕や他の先生たちに預からせてもらう。このヤーン・ライルズ君の身柄を含めて、全部だ。君の持っていた魔導書に付いても、聞きたいことが山ほどある」
「おい、話を勝手に進めるんじゃ――」
「構わないね。“ヴァレリア”」
――柔らかい口調は変わらないのに、有無を言わせない圧力があった。
ヴァレリア先輩以外に誰も一言も発さないのは、この件は既に自分たちの手に余るのだと痛いほど分かっているからである。こうして、大人が何もかもをかっさらっていくことに不安はあっても……、心のどこか安堵しているのはそのせいだった。
「――チッ」
舌打ちをして、ヴァレリア先輩は物々しい足音を立てながら部屋を出ていく。『先輩、どこへ――』と声をかけると『これで用は済んだ。寝るから起こすなよ?』と言っていた。取り付く島もないとはこのことだ。
「さぁ、みんなも今日は解散してた方がいい。落ち着いてから、ゆっくりと話し合いたまえ。残された時間はそう多くない」
何もかもが、自分たちを置いて進んでいく。
その中でも、ダントツに質が悪いのは時間の流れだ。
……確かに薄っすらと認識はしていた。
けれど、改めて人から聞くことでその事実を痛感した。
「――翌月には、卒業式が控えているんだからね」




