大好きな幼馴染を殺しかける話
ここは山深い森の中。
一人の少女が狼の群れを相手に戦っていた。
その動きは流麗だった。手にした短剣を逆手に持ち直し、向かってくる狼を紙一重でかわしながらすれ違い様に切り裂いていく。
4頭いた狼も、残りは1頭のみ。体勢を建て直して少女がナイフをかまえた。
と、そこへ――
「うわーん! ミーシャたすけてー!」
森の静寂を突き破って、甲高い声が響き渡る。
走ってくるのは子供みたいに小さな少女。手に持っている長い杖は魔法使いの証だが、少女の背丈には見合わない。まるで杖に振り回されているようだ。
その少女の後ろから、巨大なクマが追いかけてくる。
「ユイのばかっ……! じっとしててって言ったのに!」
愚痴をこぼしながら、ミーシャは襲いかかってきた狼を顔も向けずに斬り伏せた。
「まったくもう!」
ミーシャはクマに追いかけられているユイのもとへ走った。
「ちょっと! これヨロイグマじゃない!?」
走りながら、ミーシャはベルトから簡素な作りのナイフを取り出して、クマに向かって立て続けに投擲した。
最初の2本が甲羅のような皮膚に弾かれ、1本は辛うじて甲羅の隙間に突き刺さった。クマがナイフを嫌がってミーシャに顔を向ける。その顔に最後の1本を投げつけた。
ナイフが右目に突き刺さる。クマが怒りの咆哮をあげた。空気がビリビリと震える。
クマの怒りを買ったミーシャはもはや逃れることはできなくなった。やるかやられるかの戦いが始まった。
「ユイ! こんなのわたし一人じゃ無理だからね! あんた責任取って倒しなさいよ!」
「まかせてミーシャ。愛してるっ」
「無駄口叩いてないで、さっさと詠唱!」
「はーい」
ミーシャはクマの突進をかわしながら、すらりと抜いた短剣で切りつけた。皮膚の柔らかそうな部分を狙ってみたが、傷は浅く致命傷にはほど遠い。
「やっぱり、これだけ大きいと急所でも狙わないときついわね……!」
クマは後ろ足で立ち上がって威嚇の姿勢をとった。
ミーシャの身長は平均的なものだが、立ち上がったクマの前では幼子のように小さく見える。
クマは振り上げた前足を、ミーシャの首もとを狙って振り下ろした。
間一髪で回避する。ミーシャの背後にあった大木の幹がざくりと裂けて倒れていく。ミーシャはひやりとした。当たったら、革の鎧なんて体ごと真っ二つだ。
「早くしてよね、ユイ……!」
襲いくる猛攻をぎりぎりでかわしながらミーシャが言い捨てる。少しのミスが命取りだ。いつまでも避け続けていられる自信はない。
「せーの、ふぁいやーぼーる!」
「わっ、ちょっと!」
ミーシャは慌てて逃げ出した。
クマも後を追って動き出したが、ミーシャの姿を遮るように巨大な火の玉がすぐ目の前にまで迫っていた。
ユイの放った大火球がクマに命中した。その瞬間、周囲の景色がぐにゃりと歪む。
すさまじい爆発が起こり、周囲に熱と炎が吹き荒れる。クマの上半身は跡形もなく消し飛んでいた。
「やったぁー!」
飛び上がって喜ぶユイを見ながら、ミーシャは立ち上がった。
地面に伏せたおかげで吹き飛ばされることはなかったが、愛用の革鎧は泥まみれになっていた。
「ユイっ! わたしを殺す気!?」
「てへっ」
ユイはぺろりと舌を出しておどけて見せた。ミーシャの怒りのボルテージが上がる。
「魔法を撃つ前には合図してって、いつも言ってるでしょ! 避けられたからいいけど、もし当たってたら、わたしもああなってたんだからね!?」
ミーシャが指差した先には、かつてクマだった肉片が転がっている。辛うじて原型を留めているのは後ろ足くらいなもので、そこから上の部分は破片と化して飛び散ってしまい、遠くから見ると地面についた赤い染みくらいにしか認識できない。
「だって、ミーシャなら避けてくれるって信じてたからねっ。さすがあたしたち。絶妙な連携だよね!」
「なーにが連携よ! ユイが無計画に撃った魔法をわたしが避けてるだけじゃない。そんな調子じゃ、いつまで経ってもどこのパーティーにも入れてもらえないわよっ」
「そんなこと言われても。ユイはミーシャ以外と組むつもりないし」
「えっ? ど、どうして……?」
いたずらっぽく笑いながら話すユイの言葉を聞いて、ミーシャの怒気が一瞬にしてしぼんでいく。
なにかを期待するような眼差しを向けて、ミーシャはユイの答えを待った。
「だって……」
「だって?」
「ミーシャは絶対に避けてくれるから、遠慮なく魔法が撃てるんだもん」
「ああ、そうね。そんなことだろうと思ったわ」
期待に輝いていたミーシャの目から光が消えていく。
「前のパーティーのひとなんて酷いんだよ? ちゃんと撃つまえに知らせたのに全然逃げてくれないの。ユイのせいで素材がなくなったとか怪我したとか言われて追い出されちゃったんだから」
「それは……あんたが悪いんじゃない?」
「ぶー。ミーシャまでそんなこと言うの? もうきらいっ」
ぷいっとふてくされたようにユイがそっぽを向いて、ミーシャは慌てて謝った。
「ご、ごめん……! そんなつもりじゃ」
「うそだよっ。ミーシャははっきり言ってくれるから好きだなあ」
「好きとか簡単に言うんじゃないわよ」
「でも、ミーシャはどうしてユイとパーティー組んでくれるの? 誘ってくれるひといっぱいいるのに」
「あんなの――」
ミーシャはユイから顔をそむけて、一瞬悔しそうに歯噛みした。
顔を上げてユイに向き直ったときには、もう普段の表情に戻っている。
「わたしは信用できない人と組みたくないの。それに、ユイを放っておくわけにもいかないでしょ。野垂れ死んだら後味悪いし」
「ミーシャ……。やっぱり持つべきものは幼馴染みだね! 待っててねミーシャ、いつか五ツ星冒険者になって楽させてあげるから!」
「はいはい。期待せずに待ってるわ」
町へ帰ったミーシャたちは冒険者ギルドを訪れていた。受けていたクエストの報告をするためだ。
「カゼキリオオカミのクエストですね。証明部位の尻尾が4体分と――あら? 魔昌石が2つしかありませんよ」
「ああ、それはなくしてしまって……」
ヨロイグマと戦った場所が狼の死骸と近かったせいで、ユイの魔法による爆発で魔昌石がどこかへ飛ばされてしまったのだ。結局探しても2つしか見つけられなかった。
「そうですか……。では残念ですが、2体分の報酬は減額とさせていただきます」
「はい……」
ギルド職員の申し訳なさそうな声を聞いてミーシャは肩を落とした。高値のつく毛皮が燃えてしまい、持ち帰ることができなかったのも痛い。クエストの報酬はたかが知れているので、むしろ毛皮がメインと言ってもよかったのに。
そういえば、とミーシャは顔を上げた。
「実は、途中でヨロイグマに遭遇して倒したんですけど」
「ヨロイグマですか? それはすごいですね。三ツ星指定の魔物ですので評価も上がりますよ」
「本当ですか?」
ユイとパーティーを組んで以来、ミーシャの冒険者としての評価は停滞していた。それが久しぶりに上がると聞いて、落ち込んだ気分も吹き飛んだ。
ミーシャの嬉しそうな顔を見て、ギルド職員も声を弾ませた。
「はい! では魔昌石と、指定の部位は……こちらも尻尾ですね。拝見させていただきます」
「あ……。実は、尻尾が取れなくて魔昌石と足の爪しかないんですが……」
ミーシャの喜びは再び地に落ちた。
「そ、そうですか。それだけですと討伐証明はちょっと……難しいですね……。で、でもヨロイグマでしたら甲皮を高額で買い取らせていただきますよ!」
ギルド職員がミーシャを落ち込ませまいと、素材の買い取りに話をすり替えた。
だが、ヨロイグマの有用な素材はすべて消し飛んでしまったのだ。ユイの魔法によって。
「すみません。魔昌石だけで買い取りをお願いします……」
「あっ、はい」
ヨロイグマは体内の魔力の殆どを甲皮の成長に費やしてしまうため、その魔昌石は非常に小さい。買い取り価格も苦労に見合う額ではなかった。
ため息をつきながら受付カウンターを離れるミーシャに、朗らかな声が呼び掛けた。
「ミーシャ~! どうだった!? 報酬もらえた?」
「……まあね。はい、これ。ユイの分」
「わーい。やったあ」
大した額でもないのにはしゃいでいるユイを見て、ミーシャは自分が冒険者を始めたばかりの頃を思い出していた。
そうだ。また一から始めたつもりで頑張ろう。いまはユイがそばにいてくれるし。
ミーシャは、ふぅと肩の力を抜いた。
「あのね、ユイが素材を燃やさなければもっともらえたんだからね」
「えー? そうなのー? ごめんね、ミーシャ」
「え? いや、まあいいわよ、べつに」
上目使いで殊勝なことを言うユイに、ミーシャの心はほだされていく。
そこへ――
「あれ? やっぱり。ミーシャじゃないか」
振り向くと、見知った顔があった。ミーシャは顔をしかめる。
男は同行者に先へ行くよう促してミーシャに話しかけてきた。
「まだあのちびっこと組んでるのか。なあ、また俺のパーティーに入らないか?」
「その話は前にも断ったでしょ」
「そうだけどさ、なんだか苦労してるみたいだし」
そう言って、男がミーシャの全身を眺める。泥に汚れた姿はみすぼらしく、装備品も以前一緒にパーティーを組んでいたときのままだった。
修理して使うのも限界が近い。だが、新しい装備を揃える金銭的余裕がないのだ。
それに比べて男は金回りが良さそうだった。装備品は新しく、ミーシャの目から見ても良いものであることがわかる。
男が冒険者手帳を自慢げに見せた。
「俺たち、三ツ星ランクになったんだ」
「そう」
ミーシャの心が冷えていく。
「ちびっ子のことが心配なら一緒に引き取ってやってもいいんだぜ? だから俺と――」
「やめて」
男の言葉を、ミーシャが強い口調で遮った。
「あなたの期待するような関係になるつもりはないって言ったでしょ。もうわたしに声をかけてこないで。いくよ、ユイ!」
これ以上みじめな姿をユイに晒したくはなかった。
冒険者ギルドから出たあとで、ユイが聞いてきた。
「よかったの?」
「なにが?」
「だって、あのひとたち三ツ星なんでしょ? せっかくパーティーに誘ってくれたのに」
能天気な口調でユイがつぶやく。
「いいのよ。わたし、あのひと嫌いなの」
「ふーん。いいなあミーシャは。いろんなパーティーに声かけてもらえて」
「あんたは追い出される側だもんね」
じくじくとうずく心が、意地悪な言葉を吐き出した。
「うー。そうだけどぉー」
口を尖らせるユイを見て、言う必要のない言葉を言ってしまったとミーシャは悔やむ。
「ごめん……」
「あーあ。ユイも早くミーシャみたいに強くなって、素敵なひとからパーティーに誘われたいなー」
恋に憧れる乙女のように、ユイが空を見上げて言った。
胸が痛い。
ユイの望みは、ミーシャからの巣立ちなのだ。
夕食を食べて部屋で一人になると、さっきの不愉快な誘いを思い出した。
あの男は、冒険者としてのミーシャを誘ったわけではないのだ。
まだミーシャがパーティーにいたころ「好きだ」と告白された。ミーシャは失望し、パーティーを抜けた。
これまでも何度か経験してきたことだった。
初めて実力のあるパーティーに誘われたとき、ミーシャは自分の力が認められたのだと喜んだ。
自分よりも強いパーティーメンバーに認められたくて、追い付こうと必死に努力して、そんなミーシャにかけられた言葉は「恋人になってくれ」だった。
相手のことは嫌いではなかったが、恋愛対象として見ることはできなかった。戸惑いながら断ると、次の日から自分の居場所はなくなっていた。
そんなことが3度も続けば嫌でも理解する。
冒険者としての自分は求められていないのだということを。
彼らは格上の力を見せつけて、ミーシャを自分のものにしたかっただけなのだ。
それからミーシャは勧誘を断り、実力に見合うパーティーに自分から加入した。
だが、そこでもミーシャの扱いは変わらなかった。
意味もなくちやほやされ、危険な仕事はさせてもらえず、メンバーの誰もがミーシャに甘い言葉をかけた。
ミーシャは我慢していたが、そのうちの一人に告白されたことが崩壊の合図となった。
パーティーの連携は取れなくなり、どうでもいいことで喧嘩が始まり、一人、二人とパーティーメンバーは減っていった。
結局ここにも居場所はないのだと悟り、ミーシャは一人になった。
ユイと再会したのはそんなときのことだ。
子供の頃にやたらとなついてきたユイ。冒険者になると言って村を出たミーシャのことを憧れの眼差しで見つめていたあのユイは、大きくなっても何も変わっていなかった。いや、大きくはならなかったのだが。
ユイだけがわたしを本当に必要としてくれる。
優越感からくる可愛さが、泥のような欲望へ変わるのにそれほど時間はかからなかった。
あれほど嫌悪していた性愛の感情は、ミーシャの乾いた心のひび割れに粘りつくように入り込んでいった。
「ユイ……………………」
こっそり持ち出したユイの下着を使って自分を慰めることも、いつしか後ろめたさがなくなっていた。
敵味方を問わず警戒することが日常だったミーシャにとって、ユイはあまりにも無防備すぎる。
毎日あられもない姿を見せてくるユイが悪いのだ。
こんなことでもしない限り、ユイへの欲望が抑えられなくなってしまう。こうして己を発散させることでユイを守っているのだ。だから、これは必要なことだ。そう自分に言い聞かせる。
「ユイっ…………ユぃああっ! …………あぁっ………………」
想像の中のユイの笑顔に向けて、どろどろとした性欲の塊を吐き出した。
ある日、いつものように冒険者ギルドに報告を済ませた帰りにミーシャは声をかけられた。
「こんにちは。ミーシャさんですよね」
「そうですけど、何か……」
ミーシャは声の主を足の先から頭まで、無遠慮に眺めた。
冒険者。それもよく使い込まれた上等な装備品を身に付けている。声から感じる余裕もある。間違いなく高位の冒険者だ。
またこのパターンか。ミーシャは相手の発言を待たずに断りの言葉を告げようとした。
「悪いけどわたし――」
「ユイさんはご一緒ではないのでしょうか?」
「え?」
どうしてここでユイの名前が……?
ミーシャは戸惑った。
目の前の男が続ける。
「以前、ぼくが駆け出しだったころ、ユイさんの魔法に命を救われたことがあったんです。とても強大で、激しい魔法でした。一緒に戦っていたパーティーメンバーからは散々な言われようでしたけどね」
そう言って、さわやかに笑って見せる。
何が言いたいんだろう。ミーシャは言葉を挟むこともできずに聞き続けた。
「そのときのことが忘れられなかったんです。あの魔法が……。それで、実は先日こっそり見せてもらったんです。やはりぼくの目に狂いはなかった。ユイさんの魔法は確実に強くなっている。あの威力は素晴らしい」
「それって……」
「はい。ぼくはユイさんを自分のパーティーに加えたいと思っています。もちろん、お二人の同意が得られればですが」
ミーシャの握りしめた手に、じっとりと汗が滲んだ。
「ミーシャ~、遅くなってごめんね~。おトイレ壊れてて大変だったんだよ~」
ユイがやってきた。
「あっ、ユイさん! またお会いできてうれしいです。覚えてませんか? 以前ユイさんに命を助けてもらった――」
男の名前を聞いて、ユイがぱっと顔を輝かせた。簡単な作戦も覚えられないくせに、あの男の名前は覚えていたらしい。
彼は「ぼくたちの実力を見て決めてほしい」と申し出た。
見事なものだった。前衛と後衛が噛み合い、まったく危うさを感じない。上位のパーティーとはこういうものかと感動すら覚えてしまう。
「ここにユイが入り込む隙間なんてあるの?」
ミーシャは本心からそう思って、男にたずねた。
連携が完璧であればあるほど、ユイの魔法は全てをぶち壊してしまうだろう。
「それはこれからお見せします。ユイさん! 次の魔物はユイさんにも手伝ってもらえませんか?」
「えっ、ユイが?」
いきなりそう言われて、ユイはびっくりしているようだった。
「はい。是非ともユイさんに魔法を撃ってほしいんです」
「で、でも、ユイの魔法、危ないってよく言われるから……」
「問題ありません。ユイさんは好きなときに撃ってください」
自信ありげに男はそう言った。
現れたのは、岩の巨人。ゴーレムとか言われている生きた岩石の魔物だ。
「ちょっと、こんなの倒せるの?」
動きは遅いが、近づけば致命的な重打が襲ってくる。見た目通り硬いので刃物なんて通らない。
しかも一度敵と認識されてしまうとどこまでも追いかけてくる。
倒すことができれば大きな魔晶石が手に入るのだが、それでもその強さには見合わないと言われている。
誰も手を出さず放っておかれているような魔物だった。
「ユイさん、魔法の準備を! その間はぼくたちが守ります!」
「う、うん!」
ユイが詠唱をはじめた。魔力が炎を形作っていく。
ゴーレムは腕を振り回し、ユイに狙いを定めた。
しかし、その背後から男が攻撃を仕掛け、盾持ちが攻撃を防ぎ、支援魔法使いが何かの補助魔法を味方にかけている。
ゴーレムはその場から一歩も動けていなかった。
「いっくよー! ふぁいやーぼーる!」
そこへユイの大火球が飛んできた。
危ない! ミーシャがそう思ったときには全員が盾持ちの後ろに隠れていた。
ゴーレムに魔法が命中し、一瞬の静寂の後、岩石の破片が飛び散った。
離れて見ていたミーシャのところにまで石が飛んできた。
近くにいた彼らはどうなったのか。
なんと、全員が怪我もなく無事だった。あの一瞬で、どうやったのかユイのことさえも破片から守ったのだ。
「すごいです! ゴーレムをたったの一撃で仕留めるなんて、ユイさんの魔法はやっぱりぼくの思っていた通りのものだ!」
「え、ええ~? そんなに誉められると照れちゃうな~」
ユイは、でへへと締まりなく笑っている。
ミーシャは男に向かって反論した。
「こ、こんな危ないこと何度も成功するわけないじゃない。盾の防御が間に合わなかったら――」
「大丈夫ですよ。短時間であれば防御魔法が守ってくれますし、装備の力もありますから、もし間に合わなくても大した怪我はしません。全部、ユイさんのために用意したんですよ」
「ふ、ふええ~!? ユイのために?」
「はい。ぼくたちのパーティーに入ってもらえませんか! あなたの力が必要なんです!」
どうやって部屋に戻ったのか覚えていない。
ただ、ユイがこれまでに見せたことのないような嬉しそうな顔をしていたことだけは、はっきりとミーシャの記憶に残っていた。
翌日、ミーシャはユイを半ば無理矢理にクエストに誘った。相手はゴーレムだ。
「ねえミーシャ、お顔がこわいよ。それに、二人だけでなんて大丈夫かなあ……」
ユイに言われて、ミーシャは無理矢理に笑顔を作った。
「大丈夫よ。わたしに任せて! ユイのことはわたしが一番よく知ってるんだから。昨日のあいつらは都合の良いことばっかり言ってユイのことを利用しようとしてるの。騙されちゃだめよ!」
「そうかなあ。ユイはいい人だなって思ったけど」
ユイはミーシャの言うことであればなんでも信じる……はずだった。長い時間をかけて、信頼を勝ち取ってきたのに。
その努力が、たったの一日で覆された。
失望と、怒りの感情がミーシャの心のなかに渦巻いていた。
「ミーシャ!?」
ユイの声に、ミーシャははっと我に返った。
ゴーレムの巨腕が降り下ろされようとしている。ミーシャは飛び退いた。あやうく叩き潰されるところだったと背中に冷たい汗が流れる。
ミーシャはユイに向かって叫んだ。
「大丈夫だって言ったでしょ! わたしのことは心配いらないから、早く詠唱して!」
「う、うん!」
ユイの声には緊張が感じられた。
いつも通りに動けば大丈夫、ミーシャは冷静さを取り戻そうと努めた。
ミーシャは無我夢中でゴーレムの攻撃を回避し、隙をついて短剣で斬りつけた。刃物による攻撃が無駄とわかっていても、ミーシャが攻撃を仕掛けないとゴーレムがユイに向かってしまう。
愛用の短剣は、斬りつけるたびに刃が欠けてボロボロになっていた。もう修復すらできないほどに。
戦いながらミーシャは思った。ゴーレムを倒すことでユイを引き止められたとしても、また同じことが起こればユイはきっと離れていく。こんなことをして、意味があるの――?
「ミーシャ! いくよっ! ふぁいやーぼーる!」
「えっ?」
一瞬、判断が遅れた。
ユイの魔法とゴーレムの腕が、挟撃のようにミーシャの逃げ場を奪っていた。
回避――どこへ、間に合わない!?
後ろに跳……駄目! 少しでもダメージをっ、防御――?
ゴーレムの腕が、ミーシャの短剣を粉々に砕き、そのまま右腕を粉砕した。
腕の内部が破裂したような熱い痛みがミーシャの体を貫いた。
ミーシャは気絶しそうな激痛を感じながら、それで終わりではないことを思い出す。
ユイの大火球がゴーレムに命中し、ミーシャの周囲の空気がゆらりと不気味に歪んでいく。
「ミーシャぁ!!?」
ユイの叫びと共に、赤い炎がミーシャの体を包み込んだ。
「――ミーシャ! ミーシャっ! ミーシャああ!」
霞む視界のなかで、ユイが涙をこぼして泣いていた。
ミーシャが初めて見るユイの泣き顔だった。
ミーシャはまだ生きていた。
ひどい怪我をしているはずなのに、痛みもなにも感じない。
体がどうなっているのかわからない。糸が切れてしまったみたいに、首を動かすことすらできなかった。
目と、口は動く。
「……ユイ」
「ミーシャ! 生きてる! 生きてるんだよね!? ミーシャ! 返事をして、ミーシャ!」
「大丈夫だって……言ったでしょ……」
「うん、うん!」
ミーシャの意味のない強がりに、ユイが鼻水を垂らしながらぶんぶんと首を縦に振った。
ユイはミーシャの言うことなら何だって信じてくれる。
ミーシャは満足そうに笑った。
ミーシャはそれ以上なにもしゃべることができなかった。なにも聞こえず、なにも見えない。
でも、これで良かったのかもしれない。ミーシャはそう思った。
ユイが誰かのものになるところを見ずに済むのなら。
次に目を覚ましたとき、ミーシャは小綺麗な病室のベッドで寝ていた。
なんだ。気を失っていただけか。
少しだけ残念に思いながら首を動かすと、ベッドにすがりつくようにして眠っているユイの姿を見つけた。
視界に違和感を感じた。右目が塞がっているのだ。包帯が巻かれている。
さわって確かめようと右手を持ち上げたら、肘から下がなくなっていた。
ミーシャ自身、攻撃を受けたときに右腕はもう駄目だと諦めていたから、あまりショックは受けなかった。
意識がはっきりしてくると、右半身がムズムズとうずくように痒くなってきた。
痒さはやがて、針でさすようなちくちくとした痛みに変わり、身体の内側から肉を食い荒らされるような激痛へと変わっていった。
ミーシャの全身から脂汗が吹き出してくる。
ユイが目を覚ました。
「ミーシャ! 目が覚めたんだね! よかった、よかったよぉ!」
「…………」
ミーシャはユイの名前を呼んだつもりだったが、声は音にならなかった。
ユイがミーシャに抱きついた。
「―――――っ!!」
触れられた部分が刃物でめった刺しにされたみたいに激しい痛みを訴えて、ミーシャが声にならない悲鳴をあげた。
「ごっ、ごめん、ミーシャ! ごめんね!? ど、どうしよ……おっ、お医者さん呼んでくる!!」
すぐに白衣を着た年配の男がやって来て、ミーシャにどろりとした薬を飲ませた。
飲み込むのも一苦労だったが、薬が喉を通ってしばらくすると、頭がぼうっとして痛みが嘘のように消えてしまった。
「ユイ……」
今度は声が出た。
「ミーシャ!!」
ユイの笑顔が戻った。ミーシャはそれだけで満ち足りた気持ちになっていた。
それから数日間。
ミーシャはほとんどの時間を寝て過ごした。薬を飲むと起きていられないが、薬がないと死ぬほどの痛みに襲われるのだ。
そしてようやく痛みが落ち着いて、ミーシャは話ができるようになった。
「ごめん、ユイ。わたし、失敗しちゃった……」
なにもかもが失敗だった。攻撃を回避することも、ゴーレムに戦いを挑んだことも、ユイに抱いた想いさえ。
全部諦めよう。ミーシャはそう決意した。
なにもかも諦めて、荷物を全部放り投げて。そうしてなにもなくしてしまえば、また一人でも生きていけるだろう。
「ちがうよ! ミーシャのせいじゃない! ユイが悪いんだよ、ユイのせいで……」
「ううん、ユイは悪くないよ。わたしが二人で行こうなんて言ったせい」
「でもっ……!」
「いいから。もう、いいから」
ミーシャは左手でユイの頭をなでた。
「そういえば、ここの治療費はどうしたの? ずいぶん立派なところみたいだけど」
普通、ミーシャのような冒険者はギルドで最低限の治療を施されて追い出されるものだが、いまミーシャが寝ているベッドはギルドのものとは思えない上等なものだった。
ユイが口にした施設は、ミーシャでも聞いたことのある高級治療院だった。
「どうしてそんなところに。ユイ、お金はどうしたの?」
「うん……」
ユイは、お金の入った巾着袋を取り出した。
「お見舞いにって……渡してくれたから」
そのお金を用意したのは、ユイを誘ったパーティーのリーダーだった。
「どうして……」
疑問を抱いたミーシャに、ユイが言葉を伝える。
もともとこれはミーシャに渡すために用意したお金なのだという。
ユイを引き抜くための、あるいは手切れ金か。ミーシャの肩の力がふっと抜ける。
「それで、ユイはいつまでここにいるの? わたしならもう大丈夫だからさ……」
「ユイは、どこにも行かないよ」
「嬉しいけどさ、あいつ――あの人たちのパーティーに入るんでしょ?」
「ううん、入らないよ。それはもう、なくなったの」
ユイが寂しそうにつぶやいた。
凪いでいたミーシャの心にざわめきが甦った。
パーティーに入るのをやめた?
「ユイ……ユイね…………」
真下を見つめて、ユイが小さく呟いた。
「魔法が使えなくなっちゃったの」
ユイの目から、涙がこぼれ落ちた。
「ユイが魔法を――? どうして」
「わかんない……。撃とうとしたら、頭が真っ白になって、手が震えて……魔法が、わかんなくなっちゃった……」
わたしのせいだ。とミーシャは思った。
ユイの撃った魔法が、ミーシャを殺すことになったかもしれない。
それがユイの心に深い傷を作ったのだ。魔法を撃てなくなるほどに。
「魔法が使えないって、それじゃ……あんた、これから先どうするのよ」
ユイは運動が苦手だ。力も弱い。冒険者を目指していくら鍛えても、努力しても、人並みにもなれなかった。
そんなユイがただ一つ得意だったものが、魔法だった。
初めて撃ったときから大人顔負けのその威力は、威力だけは確かに絶大で、見る人をあっと驚かせたものだった。
ほかに道はないと決めて、幼い頃からただひたすらに魔法だけを鍛え続けてきた。
魔法が使えなくなったユイに、なにが残っているのだろう。
ユイがミーシャに笑顔を向けた。
「もう冒険者は、できないや」
声が震えている。
「食べ物屋さんで働こっかなあ。甘いものとか、ユイ大好きだもん。ねえミーシャ、知ってる? 最近となり町にね、評判のケーキ屋さんがあってね」
顔は笑っているのに、瞳から涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「ユイ……」
ミーシャは何を言えばいいのかわからなかった。
悲しむユイを前にして、ミーシャの心は歓喜に包まれていた。
飛び去ろうとしていたミーシャの幸せは、飛ぶための翼を失ったのだ。
ミーシャが退院する日がやってきた。
治療院に運び込まれたとき、ミーシャは酷い火傷で右半身全体が焼けただれていたのだが、回復魔法の力でかなり早く治療することができた。
脚はほとんど完璧に回復した。運動能力に支障はない。右腕はなくなったものの、ミーシャは両利きだ。性能のいい義手を付ければ冒険者として復帰するのは難しくないだろう。
だけど回復魔法は万能ではない。火傷の痕はしっかり残るのだ。
美しかったミーシャの顔の半分は赤黒く変色し、目や口元が引つれたようにただれていた。
ユイに付き添ってもらい、ミーシャは久しぶりに自室に帰った。
ミーシャは顔の包帯をはずして鏡に写る自分の顔と見つめ合う。
「これで、わたしに声をかける人もいなくなるね」
「そんなこと……」
「ユイには言わなかったけど、誘ってきた人の中にわたしを冒険者として欲してる人なんて一人もいなかったんだよ。みんなわたしの外見だけを見て、飾りにしようとしてた。冒険者にしておくには惜しい、なんて言われたこともあったっけ。だから、こんな体になったわたしには、もう人から求められる価値はなくなっちゃった」
「…………」
「本当にわたしを必要としてくれたのは、ユイだけだよ」
「ミーシャ……」
ユイが涙を流す。ミーシャに怪我をさせた日を境に、ユイは泣いてばかりいた。
「もうひとつ、ユイに言えなかったことがあるんだ。わたし、ユイが好きなの」
「ユイも、ミーシャのこと好きだよ……?」
意味が伝わっていないことを知りながら、ミーシャは続けた。
「わたしの恋人になって」
「えっ……」
ユイから表情が消えた。
この反応は予想していたものだったが、なぜだかミーシャの心がざわめいた。
そして、すとんと腑に落ちることに思い当たった。
あのとき……ミーシャがパーティーメンバーから告白されたときも、きっとこんな顔をしていたのだろう。
ミーシャは振り返って、一生消えない火傷の痕を見せながら嬉しそうに言った。
「ユイはわたしのこと、捨てないよね?」
連載中の『ひよわな私の異世界ぐらし』と同じ世界のお話ですが、特に繋がりはありません
今後あるかも
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