ゴースの娘~「君を愛することはない」ですか? 大丈夫ですわ。神に誓いましたもの~
恋はないけど愛と結婚のお話なので異世界(恋愛)ジャンルで。
誤字報告ありがとうございます。
「この機会に言っておく。私が君を愛することはない」
ロビニア侯爵邸の主人の寝室にて、本日わたくしの夫となったばかりのエドワード様が、新妻にもっとも言ってはならない言葉を告げられました。
わたくしは初夜のために纏わされた薄い夜着を隠すようにショールをかき合わせながら首を傾げます。
「何故、とお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「私には心から大切な女性がいる。彼女だけを愛しているのだ」
紺青のストレートの髪の端正な面差しのエドワード様は、その目に強い意志や情熱を宿して当たり前のようにふざけたことを真顔でおっしゃいます。
「わたくしがお聞きしたいのはそれを何故、今この時におっしゃったかなのですが。婚約期間は二年もございました。その間にいくらでも伝えていただくことはできたはずですもの。もしやエドワード様は、わたくしを傷つけるためにこの時を選ばれましたの?」
「なっ、いや、そんなことはっ」
エドワード様は、思ってもみなかったことを指摘されたという風に慌てておられます。
ふむ。どうやら考えすぎだったようです。てっきり夫としての優位を取るための発言かと受け取ったのですが。単なる浅慮だったと。
「わたくしたちの結婚は政略によるものです。子を生し家を存続発展させるのが貴族としての責務であれど、互いに思いやって寄り添い、夫婦としての愛情を築き上げていくものだと思っておりました。その覚悟と希望を持って嫁いできたばかりのわたくしに、そのような言葉を投げつけられるほどの非がございましたでしょうか」
実のところを申しますと、婚約中のエドワード様は、わたくしと極力顔を合わさないようにされておりました。わたくしの顔も、今はじめて正面からご覧になったほどです。きっとこの結婚はご不満なのだろうと簡単に察することはできましたので、内心では「やはり」と納得するばかりで傷ついてなどおりません。
けれど貴族の婚姻は王の許可のもとに行われます。逆を言えば認められた婚姻を反故にすることは臣下として恥ずべきこと。内心は破棄したくとも、出来ないことはエドワード様とてご承知のはず。ましてや、同格の侯爵家同士の縁組であり、一方的に蔑ろにされる云われはございません。
わたくしの護衛騎士が以前、先制攻撃が重要と申しておりましたが、それに倣って正論で圧倒させていただくことにしました。
「いや、君に非はない……」
「はい。不貞をされているのはエドワード様であって、わたくしではございません。そも愛人が認められるのは後継者たる子供ができてから。もしくは子供ができぬまま三年たった場合でございます。これは貴族の常識だと思っておりましたが、エドワード様の解釈は違っておられるのでしょうか」
「……そちらの言い分が正しい」
「わたくしにも矜持というものがございます。お飾りの侯爵夫人になどなるつもりは一切ございません。一刻も早く件の女性とは手を切ってくださいませ」
「それは出来ない!」
「いいえ、お出来になれますとも」
ご本人は隠しておられるつもりだったのでしょうけれど、調べればお相手のことなど簡単に分かりました。キャサリン様とおっしゃる平民の女性です。
お忍び先の街中で出会い、惹かれ、恋人になられたと、絵に描いたようなありがちなお話でした。勿論、侯爵家の嫡子のお相手として認められる可能性もありません。どこかに家を用意して、密かに囲うのが精いっぱいと言うところでしょうか。
少なくとも初夜を迎える新妻に馬鹿正直に話すことではありません。隠し通す方がよほど誠意があると申せましょう。
ですが。隠さずに打ち明けるあたり、エドワード様の誠実で素直な性情が伝わってくるとも言えます。貴族社会で生きていけるのか心配にもなりますが、その辺りも妻として支えるべき部分かもしれません。
尤も、女として屈辱を与えられたのは間違いではないので、簡単に忘れてはさしあげませんが。
「それに、先ほど申されました戯言ですが、所詮無効になりますもの」
正直、この馬鹿どうしてやろうかしら、なんていう思いとは別に、わたくしの中にじわじわと湧いてくる感情があるのです。それはきっとエドワード様も同じはずで。
「いや、私は君を……君を……」
「ヴァージニアですわ、旦那様」
「ヴァージニア……私は……」
寝台の横に立ったままだったわたくしの前に跪いて、紫紺の瞳が先ほどまでと違った熱を持って、わたくしを見上げます。
「ヴァージニア。私は、君を愛することを許されるだろうか」
「ええ、勿論ですわ。だってわたくしたち、神に誓って夫婦となったのですもの」
そのまま初夜の儀は恙なく執り行われ、夜も更け、自分よりも体温の高い夫となった人の腕の中で微睡みながら、わたくしはこの先の愛し愛される日々を確信するのです。
ねえ、エドワード様。
あなたにどれほど焦がれた恋人がいたとしても、わたくしたち夫婦の何の障害にもなりえないのです。それはわたくしたちの婚約が決まったと同時に定められたこと。
あなたは「ゴースの娘」を妻に迎えることになったのですから。
今はもう、ゴースという家名の家はございません。ですが、わたくしたちは、祖とも言うべきメアリー・ゴースにちなんで、「ゴースの娘」と自称するのです。
メアリー・ゴースは裕福な子爵家の娘として生まれ、けれど身分を笠に着た没落寸前の侯爵家へと強引に嫁がされました。お相手の目的はもちろんゴース家の財産。
家を傾けるような男がまともであるはずもなく、お相手のデイバース侯爵ヘンリーもまた、嫁いで早々のメアリーに暴言を吐き、連日暴力を振るうような最低の男だったそうです。
わたくしたち貴族は、生まれながらに大小の差はあれど魔力を持って生まれてまいります。
多くは四大魔法(火・水・風・土)に由来する魔法を行使できるようになるものですが、例外として血統魔法というものがございます。
特殊な魔法を己の中に見出した者は、望んだ己の血筋にそれを伝えることができるというものです。
血統魔法は四大魔法に縛られず、その内容は多岐にわたるということですが、血統魔法はその血筋の切り札として秘匿されることが常で、あまり世間には知られておりません。また発生条件も不明なことが多く、意図的に発生に成功したという話も聞きません。
心身を追い詰められたメアリーは、極限の精神状態で特殊魔法を無意識に生み出したそうです。
その魔法はヘンリーを矯正し、侯爵家を立て直すきっかけとなり、以降、彼女は幸せな結婚生活を送ることになったと伝えられております。
そしてその魔法を密かに娘にだけ伝えたのです。かつての自分のように不幸にならないために。
メアリーの娘アンは、その魔法を更に娘へと教え、母から娘へと代々受け継がれていくことになりました。
その女系に連なるものたちは以降、「ゴースの娘」を自称し、密かに伝えられた魔法を使っております。直系の娘たちが嫁ぎ、更にそこで生まれた娘たちに伝えて。
侯爵家の娘だったアン以降は、王家や公爵家と縁組した娘も、逆に伯爵家や子爵家等の下位貴族に嫁いだ娘もおり、「王侯貴族」の中で血と魔法は拡散されていきました。
王国における貴族社会の中に「ゴースの娘」の網は今も少しずつ広がっているのです。それは政略で結ばれたはずの貴族夫婦が円満に過ごす数が示しておりますわ。
伝授の際、娘以外へ口外せぬことを誓わされているために、「ゴースの娘」同士であっても魔法のことを語ることはなく、ただ互いに目で会話するのみではありますが。それが社交とは別の貴族同士の繋がりを深めて、王国の王侯貴族の結束を高めております。
ですから、男性優位社会の皮を被ったまま、王国は現在、夫人たちに支配されているとも言えましょう。
メアリーに備わったのは契約魔法と呼ばれるものの一種と思われます。
相手が誓いや約束を口にする、もしくは同意する言葉に魔法をかけることで、言葉通りになってしまう魔法でした。
夫婦であれば会話はございます。会話は誘導することもできますので、夫たちは知らぬまに契約を宣誓して言葉通りに行動することになります。
メアリーは自分の魔法の危険性を悟ると、誰にも語らぬよう自らにも誓いをかけたと聞きます。洗脳とも精神操作ともなりうるから、人に知られてはどのような扱いを受けるか分からなかったからです。
ただし、嫁ぐことが決まった娘にだけは伝え、婚姻の誓いの際に使用するようにと話したと伝わっております。
メアリーの娘アンは聡明で、すぐに自分に伝わった力を理解し、無駄に使用せぬことに同意した上で、
「ねえお母さま。政略結婚は男女共に本意でないことも多いかと思います。ですが貴族としては必要なこと。わたくしはこの力を婚姻の誓いの際、先方とわたくし自身の誓い両方に使いますわ。そうすればわたくしたちは愛し合う夫婦となれるのですもの」
貴族の女の幸せは結婚相手に左右されるからこそ、浮気をすることもされることもなく、生涯夫婦円満であるために、きっとこの力は与えられたのだからと。
メアリーから数えて約二百年。「ゴースの娘」であるわたくしも、本日、婚姻の時を迎えました。
「エドワード・ロビニア、汝はヴァージニア・デイバースを妻とし、生涯愛することを誓うか?」
「誓います」
「ヴァージニア・デイバース、汝はエドワード・ロビニアを夫とし、生涯愛することを誓うか?」
「誓います」
―――病めるときも健やかなときも、生涯愛し続けることを誓います―――
互いに生涯、その誓いのままに。
読んでいただいてありがとうございます。
ゴースは針金雀枝のことで、花言葉は「屈従」「不変の愛」。