惨劇の夜
血が出ます。
http://xnyan.web.fc2.com/に掲載していたものです。
レクタスは星見の塔にいた。
おびただしい文献の中から、当てはまる星の配列を探していたのだ。
陣痛の最中にある王妃の生む子の星を探していたのだが、火の宮に太陽が入り、水の宮に月、風の宮にも沢山の星が集まってきていた。
遂に一冊の古文書からある記述を見つけて、レクタスは塔を降りた。
塔を出て、王宮の中庭を渡っていると、風に産声が混じった。
レクタスは空を仰いだ。
まさに古文書の示したその位置に星々はあった。
動悸がした。
五百年に一度の栄光の瞬間に自分が居合わせたと言う思いが、レクタスの足を速めていた。
回廊を折れたところで、王弟と目が合った。
何となく胸がざわめいたが、すぐに喜びがそれを覆い隠した。
「お生まれになったのは王女殿下でございますね?」
「……なぜ女だと思う?」
「星は、エシュラリア女神の降誕を示しています」
溢れる歓喜を抑えつつそこまで言ってから、レクタスはガウロエスの顔色に気付いた。
蒼褪めて、――袖に付いているのは、血?
「公爵様……? お怪我でもなさいま――」
視線を凝らした先、ガウロエスの袖の中からは血塗れのナイフの柄が見えた。
「公爵様……」
回廊の奥から小さな悲鳴が聞こえた。
同時に殺気を感じて、レクタスが視線を上げると、ガウロエスがそのナイフを頭上に振りかぶっていた。
前につんのめるようにして、落ちてきた切っ先をかわし、再度振りかぶったガウロエスの左脇を抜けて、レクタスは走った。
もう一度悲鳴が上がった。
後ろからはゆらゆらと、殺意の影がやってくる。
わずかに開いた扉の隙間から灯りが漏れているのを見て、レクタスはそこへ飛び込み、鍵を掛けた。
肩で息をして部屋の中を振り返って見た物が、更にレクタスの中にあった恐怖を膨らませた。
妙にねじれたような姿勢で座り込んだ人影。
その娘は、白い頚の三日月のような傷口から、今もって鮮血を迸らせている。
「ひ……うぇ……」
知らず、情けない声が出た。そこに小さな声が重なる。
「……」
赤子の声だ。
それがレクタスの恐怖をなぎ払った。
がくがくと震えていた脚に力が戻り、レクタスは背筋を伸ばして部屋の奥を見据えた。
また悲鳴。
レクタスは床を蹴り、そちらへ向かった。
レクタスがその扉を開けたのは、まさに細身のナイフが老女の胸を突いた瞬間だった。
ナイフを握った者がそれを引き抜くと、大量の血がナイフの持ち主にかかった。
結い上げた髪も、身に着けたドレスも、血に浸したように濡れていた。振り向いたその顔も、とっさには誰だか分からないほどの血を滴らせていた。
「レク……タ……王……后……を」
血を噴出す胸を押さえて、老女がようよう言った。
部屋の中央にある、高い天蓋のついた寝台の上で、恐怖に身を丸めている貴婦人が見えた。その腕で、赤子が泣いている。
レクタスが走るのを見て血まみれの女もそちらへ向かったが、血をたっぷり吸った衣装が重く粘りつき、思ったように動けないようだった。
「王后陛下!」
「レクタス! ああ! この子をお願い!」
「陛下も!」
「いいえ! 私はこの子を生んだばかりで動けません、いいから早く!」
纏わり付く衣装に業を煮やした女は、持っていたナイフでドレスの裾を切ろうとしたが、骨に当たった時の刃こぼれと血糊と脂でナイフはひどく切味が落ちていた。だがそれでも、レクタスがやつれきった王后と言い合っているうちに、ドレスを裂くことに成功したようだ。
「これを持って! 早く!」
王后のかすれた声での絶叫に、差し出された包みと赤子をマントに包んで、レクタスは窓枠に足を掛けた。
そこにつかみかかろうとした血まみれのドレスの裾を王后がつかんだ。逆上したように女が振り向き、王后を刺すと、王后はその女を抱き締めた。
「早く! 早く!」
何度も何度もナイフが突き立てられ、その声にごぼごぼと血泡の音を交えながらも、王后は女を放さなかった。
死体となってもしがみついている王后の腕の筋を切り、女が窓辺に立った時には勿論もうレクタスの姿はなかった。
翌朝。
国民には、「死産に正気を失った王后が侍女、産婆を殺害、止めに入った王をも殺し、自害した」と発表された。
王、王后の逝去が発表され、国中が喪に服した後、王弟ガウロエス5世が王位に就いた。
王位に就くとガウロエスは、先の王后づきの侍女であったフェリオシラ嬢を、官位と引き換えにデュルビス伯爵と結婚させた。フェリオシラを宮廷に出すには身分が低かったためである。フェリオシラは婚礼の式場からそのまま、王の閨房へ導かれ、寵姫の座を得た。
勿論その間もレクタスは捜索されていた。表向きは「惨事に紛れて王宮の宝石を盗んだ者」としてであった。
レクタスに連なっていた占者達は、一部は宗旨替えをして、新しく台頭した筆頭占者のもとにくだり、それのできなかった者は国中の女神神殿へ散って行った。
さて、人々が先王夫妻を襲った惨事を忘れ始めた頃、神聖都市サンレスティの清めの森で、六つ目が目撃されたと言う噂が全土を駆け抜けた。
六つ目は、「穢れの先遣り」と言われるトカゲのようなもので、大きなものは家畜ばかりか人をも食うと言われて恐れられている。
それはまさに王国の聖性の零落を示すものであり、直後にその噂は公的には否定されたが、ざわざわと、徐々に人の心が荒廃しはじめたのだった。
徐々に賄賂や讒言が幅を利かすようになり、デュルビス伯爵が大蔵大臣に就いたのを手始めに、十年のうちには大臣、元帥に先王時代の者はいなくなっていた。
さらに数年もたつと、主だった都市の市長もすげかわっていた。
不平、不満が出ないわけではなかったが、それは善政がしかれていても出るものであり、力づくで抑えられるようになったため、かえって先王の時代よりも表面上は少なくなっていたのである。