第8話 弟は天使
「厨房に行くわよ、ニコル」
今日は学園がお休みで午後からは予定もない。私はニコルにそう言った。
「わかりました。絶対にお怪我はなさらないでくださいね!」
昔は厨房に行くことに大反対を食らっていたのだが、もう最近は慣れてきたらしくお小言は言われなくなった。
何故厨房に行くのかと言うと、校外学習が近づいてきたからだ。校外学習では自炊の時間がある。
まともに作れなければその日の夕飯は抜きだ。それは絶対ごめんである。
大抵の場合経験のある二年三年がなんとか食べられるものを作るということが多い。去年は私と王子の活躍で班の人たちには大好評だった。一番自炊と縁の無い私たちの班が、一番上手に出来るという珍事件が起こったのだった。
私と二コルが厨房へ向かうため廊下を歩いていると、前から一人の少年が歩いてきた。
「姉上、どこに行かれるのですか?」
小首を傾げてそう言ったのは可愛い我が弟、フィルだった。
悪役令嬢の義弟というポジのフィルは、原作では悪役令嬢との仲は最悪だった。
このレヴァイン公爵家は私以外子供がおらず、私も王子と婚約しているため跡取りがいなかった。
そのため分家からフィルを連れて来たのだ。
いきなり孤独になり右も左もわからない状態のフィルを、悪役令嬢は苛めた。悪役令嬢もまた、突然出来た義弟を受け入れられなかったのだ。
そんな風に育った原作のフィルは貼り付けたような笑顔の捻くれた性格をしていた。自分とは真逆の真っ直ぐな性格のヒロインにだんだん惹かれていって……というのが原作のストーリーだ。
だから私は全力で甘やかした。そのお陰かフィルは私に懐き、性格も捻くれていない。
まっすぐで可愛らしい少年に育ったのだった。
「厨房へ行くの。久しぶりに料理をしようかと思って」
「僕もご一緒してもいいですか?」
そう言われ私はフィルの後ろに控える執事のルイを見る。軽く頷かれたので、大丈夫ということだろう。
「もちろんよ」
「ありがとうございます」
明るく笑ったフィルを連れて厨房へ向かう。フィルと共に料理するのは初めてではない。フィルは何をやらせても器用にこなすので料理もあっという間に上手になった。
「もうすぐ校外学習だから、練習しておきたかったの。少しでも美味しいものを作りたいわ」
「校外学習の自炊では何を作るのですか?」
フィルは一年生だから初めての校外学習か。初めてでもきっと大活躍だろう。
「オリエンテーリングで集めた食材を使うのよ。そこから自分で考えて何を作るか決めるの」
「なかなか大変ですね」
そうなのだ。素人には難易度が高すぎる。素人のアレンジほど怖いものはないというのに、それを知らない生徒たちがあちこちで悲劇を起こし、多くの食材が犠牲となっている。
基礎すら知らない素人が創作料理など百年早い。
「フィルのいる班はきっと大丈夫ね」
「そうできるように頑張らないといけませんね」
そう言ってフィルははにかんだ。私の弟マジ天使。
フィルと和やかに会話をしていると、厨房に到着した。ニコルが料理長を呼びに行く。
すると一瞬で料理長は私たちの前に現れた。
「ようこそお越しくださいました! お嬢様、お坊ちゃま! 中へどうぞ!」
料理長は私たちが訪れるとガチガチに緊張している。それでも腕は確かな料理長だ。
私とフィルは厨房の中へ入り、何を作るか考え始める。
「姉上、オリエンテーリングではどのような食材が多いのですか?」
「本当に様々よ。お野菜もお肉も果物もあるわ」
そして果物が当たった班は大喜びする。切るだけで食べられるからだ。
「調味料などは?」
「調味料は好きなものを使わせてもらえるわ。あとは小麦粉やブイヨンなんかも置いてあったわね」
調味料はかなり充実していた。異世界だというのにカレー粉があったのは乙女ゲームだからなのだろうか。
平民のグループは大抵カレーを選ぶ。素人料理は失敗するとわかっているから、プロに調合されたカレー粉を使うという発想に至るのだ。
というかブイヨンがあるなら野菜放り込めば一応食べられるものが出来上がると思うんだけど。お貴族様はそれすらも知らないってことかな。
「シチューを作りませんか?」
「いいわね、やりましょう」
確かバターやオリーブオイルもあったし牛乳もあった。それなら自炊でも作れるだろう。
「ニコルもやってみる?」
「僕は不器用ですので料理は一切できませんよ」
それでいいのか。ていうか紅茶くらいまともに淹れられるようになったらどうだ。王子でも出来るんだぞ。
私がそう思っているのが伝わったのか、ルイがにっこりと笑ってニコルの首根っこを掴んだ。
「ではニコルは私と共に紅茶を淹れる練習をしましょう」
「やっぱりお嬢さまのお手伝いをいたしますっ!」
「ルイ、ニコルのことは任せたわ」
「お任せください」
「お嬢さまああぁぁっ!!」
ニコルは涙目になりながらルイに引きずられていった。
気を取り直して私はフィルに向かい合う。
「さて、わたくしはじゃがいもを切るわ」
「僕は人参を切りますね」
手を洗い、包丁を持つ。私はともかくフィルは生粋のお坊ちゃんのはずなのに人参の皮を剥く手捌きは完全に玄人だ。
私も姉の威厳を失わないようにじゃがいもを切っていく。
顔面キラキラ族二人が人参とじゃがいもの皮を剥いてる光景ってなかなかシュールだと思う。
全ての野菜を切り終わったら鶏肉と共にバターで炒めて小麦粉を入れて牛乳でのばせば簡単シチューの出来上がりだ。
「ニコル、次失敗したらお嬢様方が作ったシチューは食べさせませんからね?」
「そ、そんな殺生な!」
そんな会話が聞こえてきたが無視する。
その後、私とフィルの作ったシチューがニコルの口に入ることは無かった。
どんまい。でも紅茶ぐらい淹れられるようになろうな。
ちなみに私は淹れられる。ニコルがあまりにも下手くそだから自分で淹れられるようになったのだ。
もうニコルがその技能身に着けても意味ない気がしなくもないけど、身に着けておいて損はない。
「姉上、とても美味しかったです。ありがとうございます」
「私もフィルとお料理が出来て楽しかったわ」
最近ストレスがかかることが多かったから、ふんわりと笑うフィルにとても癒される。
前世といい今世といい、私の弟妹は天使ばかりだ。
「お嬢さま僕にお恵みを」
「ニコル」
「ひぇっ、先輩!? えっ、ちょ…………お嬢さまああぁぁっ!!」