第5話 呪いは相殺されていた
今日はゲームが始まる日、ヒロインと出会う日だ。
出会い方は学園で迷ってしまったヒロインを桜の下で王子が見つけるという在り来たりなもの。
そして今王子、つまり俺はその桜の下にいる桜色の髪の女子生徒を遠くから見ている。間違いなくヒロインだ。
「彼女新入生のようだけど、迷ってしまったのかな」
俺は隣にいる執事のシオドアに声をかけた。
「使用人を連れていないのでしょうか」
ここの学園に通っているのはほとんどが貴族。なので執事や侍女を連れている生徒の方が圧倒的に多い。
彼らが付いていれば、主を迷わせるなんていう失態をするはずがない。
……そう言えば、この前の勉強会でクリスティーナ嬢の侍従は去年の入学式の日、一人になってから迷ったとか言ってたけど。まぁそれは例外だと思えばいいと思う。
ヒロインが一人なのは使用人が一人もついていないからだ、彼女は平民上がりな上に拾われたのは貧乏男爵家。
それにあそこの家はあまり外聞を気にしない方だから、わざわざ無理して使用人をつける必要は無いという結論に至ったのだろう。
「シオドア、少し見に行ってくれないか?」
「構いませんが……」
「私は大丈夫。早く控室に行かねばならないから、そちらの方は任せる」
「かしこまりました」
シオドアはそう言うとヒロインの方へ向かっていき、声をかけて会場へと案内していった。
よしっ接触回避! これでオープニングの部分は変わったわけだ。
正直言ってまだ控え室に行くには早すぎるけど別にいいだろう。
ゲームの強制力とかいう制作会社による謎の力が働いてなくてよかった。
そんなもん働いてたらこの世界に放り込まれただけの俺には抗う術など何もないからな。
鼻歌を歌いたい気分で控室に到着し、併設されている給湯室で紅茶を淹れる。
これはシオドアに習った。かなり渋られたけど結局折れてくれた。
なんで習いたかったか? やってみたかったからに決まってんだろ。
俺は自分で淹れた紅茶を飲みながら、この部屋に用意されていた菓子をつまむ。美味い、けど俺ん家にあるやつのが美味い。
そうしていると、扉がノックされる音が響いた。
「ごきげんよう、殿下」
入って来たのは猫かぶりの公爵令嬢だった。
「おはよう、クリスティーナ嬢」
今の俺はすこぶる気分がいいので、こいつに対してでも絶対にボロをださない自信がある。
でもお前の頬が若干ひきつっているのに俺は気付いてるからな。
「本日の挨拶、期待しておりますわ」
欠片も思ってないくせに。どうせ失敗しろとでも思ってんだろ。
絶対にミスらないように昨日夜更かししてまで練習してたんだ。残念ながらお前の期待には応えられそうにない。
「私も君の司会、期待しているよ」
にこりと笑ってそう言えば、アイツは俺を一瞥してから呟いた。
「原稿を読まなくてもよろしいのですか?」
王子がそんなみっともないこと出来るか。そうならないように昨日必死に練習したんだ。
コイツだって司会のくせに。でもこいつの本性を知ったからにはわかる。お前、俺と同類だな……?
「昨日たくさん練習したからね。今は落ち着いているよ」
「お互い、新入生の模範となれるように致しましょう」
「そうだね。今日は重要な日だ」
でも俺のことを先輩って呼んでくれる後輩はいないと諦めている。俺は王子だから仕方ない。
「……勝負ですわ」
「は?」
おっと意味がわからな過ぎて思わず素が出そうになった。いきなりどうした。とうとう頭が壊れたか?
そう思ったところで、何故かコイツは今まで以上に輝かしい笑顔で言った。
「間違えたりしてしまわないようお気を付けください」
……。
白々しいにもほどがあるな。
「君も話すことが多いだろうから、気を付けてね」
そっちがその気なら俺も大事なところで噛む呪いをかけておこう。呪い返しもしておかないとな。
その時、部屋にノックの音が響いた。
「クリスティーナ様、お時間でございます」
書記であるステイシー・ロビンズがそう言った。彼女は絵に描いた様な優等生だ。少々真面目過ぎるところもあるが。
「それでは殿下、お先に失礼致します」
そう言ってさっさと出て行ってしまった。俺の出番はしばらく後だ。アイツもいなくなったことだし、在校生代表挨拶の方に集中しよう。
結局、俺もアイツも一度も噛むことは無く入学式を終えた。よかったと思うべきなのだろうが、残念という気持ちが大きかったのは秘密である。
「シオドア、入学式の前に桜の下にいたご令嬢は大丈夫だった?」
「殿下のおっしゃっていた通り、迷ってしまわれたようでしたので会場までご案内させていただきました」
オープニングはあっけなく変えられたようだ。だがこれから一年、イベントは盛沢山。
それに攻略対象は俺だけじゃない。俺に関係ない奴を攻略するなら勝手にどうぞだが、将来側近になるような奴を攻略されるのは困る。クリスティーナ嬢を悪役令嬢にされるのも困る。
「スーリエ男爵家のご令嬢でした」
「確か、光属性の大きな魔力を持っている令嬢だったかな」
「その通りです。平民だったようですが、スーリエ男爵に保護され養女となったようですね」
これは中々レアなケースだ。平民が魔力を持って生まれてくるというのはたまにある。でも魔力量は爵位に比例するので、例え持っていたとしてもそれほど多くはない。
しかし何事にも例外はあるもので、この学園でも全校生徒の5パーセントにも満たないが、規定の魔力量がある平民が入学してくることはある。
だが後見人が付くことはあっても養女となるのは珍しい。スーリエ男爵は貴族としては心配になるほど人の良い人物なので、運がよかったというのもあるだろう。実はこのこと、最近貴族社会でも結構話題に出るのだ。
「平民だということで何か問題が起こらなければいいけど」
「女子生徒をまとめているのはクリスティーナ嬢ですから、大丈夫なのではないでしょうか」
そうなんだよなぁ。クリスティーナ嬢だから大丈夫、ってなるんだよなぁ。悪役令嬢なのに。
クリスティーナ嬢はいつ悪役令嬢から完璧令嬢の皮を被ったお転婆令嬢にシフトチェンジしたんだろうか。謎だ。
今後悪役令嬢に舞い戻ることが無いように祈るしかないな。