第1話 それはお互い様だった
一話と二話は短編を分割したものです。
「殿下に愛する方が出来ればいつでもおっしゃってくださいね」
「私は自分の立場を理解している。愛するのは君だけだよ」
「まあお上手ですこと。ですが、側室として迎えたい方が現れればお伝えください。余程の方でなければ反対など致しませんから」
「やむを得ない場合以外は、側室を迎えるつもりなどないさ」
「でしたらよろしいのですけど……。わたくしの意思だけは伝えておこうかと思いまして」
「君はいつもそう言うけれど、私との婚約は嫌なのかな?」
にこにこにこにこ。
こわい。こわいです。
お二人はとても素晴らしい笑顔なのですが、表情と会話の内容が一致していません。
なぜ婚約者同士の仲を深めるためのお茶会で側室の話をしているのですか。
僕は平民上がりで運よくクリスティーナお嬢さまの侍従になれたものですから、このような貴族さまの会話には慣れていなくていつも背筋が凍りそうです。
しかも今日は別に用事があるとかで先輩がいません。お嬢さまと王子殿下がどんな会話をしていようと表情を変えない先輩がいません。
先輩のこと鬼って言ってすみませんでした反省文二十枚提出するので助けてくださいせんぱい。
お二人がこのような会話をするのは初めてではないのです。三回に一回はしてます。
なんでこんな話が出るのかは謎です。もし知っているなら誰か僕に教えてください。
「嫌なわけございませんわ。殿下の婚約者に選ばれるなんて、身に余る光栄ですもの」
「それならばいいのだけれど」
「たとえ政略的なものでも、殿下とは良好な関係を築いていきたいと思っておりますわ」
「政略なんて言わずとも、私は君を愛しているよクリスティーナ嬢」
「嬉しいですわライモンド殿下、ほほほ」
お嬢さまお嬢さま、なぜそんなに喧嘩売るんですか!
僕は胃が潰れそうです。
はやくおわれ。このお茶会という名の冷凍庫から僕は脱出したいのです。
*
「お嬢さまぁ~」
「なぁに?」
「もう少し王子殿下と仲良く出来ないのですか?」
侍従のニコルが涙目でそう言った。
私だって王子と仲悪くなりたいわけではないのだ。
私は乙女ゲームの世界に転生した。正直言って乙女ゲームにあまり興味は無かったんだけど、このゲームには妹がハマっていた。
可愛い妹の話を聞かないという選択肢は私には無いため、ゲームのストーリーはほとんど把握している。
貴族の子息子女が通う学園を舞台に、光属性の莫大な魔力を持った元平民で男爵令嬢のヒロインが、持ち前の明るさと素直さで王子その他イケメンを攻略していく、という内容だった。
そして私が転生したのはその物語の悪役令嬢。
どうせなら可愛い妹をヒロインに転生させてあげたかった……。
悪役令嬢はメイン攻略対象である王子様の婚約者で、王子ルートはもちろん、その他のルートでも色々と首を突っ込んではヒロインをいじめて、最後には断罪される。
婚約破棄、平民落ち、国外追放、投獄、処刑などなど断罪のされ方は様々だが、まともに幸せになれるルートが一つもない。
私はそんなの絶対御免である。
私としてはそもそも王子の婚約者になりたくなかったのだが、それはどうしても回避出来なかった。
だから王子となるべく距離を置くことにしたのだ。
原作では悪役令嬢は王子にベタ惚れしていた。お世辞にも性格がいいとは言えない悪役令嬢に惚れられても王子としては嬉しくないというか、私が王子の立場だったら鬱陶しい。
そんな王子のためにも私は程良い距離で王子に接し、ヒロインが来ても反対しないから追い出さないでね、というアピールをしている。
……のだが一つだけ問題がある。
王子の性格が、原作と、ちがう!
あんな笑顔の裏になんか隠してそうな感じじゃなかった。
我が妹は確かに「爽やかで優しくて素直で、理想の王子様なんだぁ」と言っていた。
素直だと!? あの王子から最も遠い言葉だろう。アイツは相当捻くれている、と前世から培った私の勘が言っている。
私に向かって愛してるだのなんだの言ってくるが、言葉が全て薄っぺらい。絶対思ってないだろお前、って突っ込まない私は褒められてもいいと思う。
だから行動が読めないのだ。ヒロインにそう簡単に落ちそうなタイプでもないし、どちらかと言うと恋愛感情に振り回されずに理性的に判断するタイプのように見える。
この原作との差は一体何なんだ。
でも国の名前も王子の名前も貴族の名前も、設定の何もかもが乙女ゲームと一致するのだ。
いや、私が結構好き勝手出来てる時点で似て非なる世界なんだろうけど。
だからって王子だけ設定が全く違うとかありえるか? 他の設定は全て原作と同じなのに。
本当にわからない。
まだヒロインが登場していないけど、登場したらどうなるんだろうか。原作通りストーリーが進むのだろうか。私は破滅を回避できるのだろうか。
はぁ~。それが私の一番の悩みである。
「ニコル、殿下と仲良くなるのは難しいかもしれないわ」
「そんなぁ。頑張ってくださいお嬢さま僕のためにも」
「そうね、努力だけはしてみるわ」
「お嬢さまお言葉が軽く聞こえるのは僕の耳がおかしいんでしょうか」
「えぇ、ニコルの耳がおかしいだけよ」
「そうなんですかぁ」
首を捻っているニコルは素直でかわいいと思う。基本的に思っていることが全て口と顔に出る。
見習え捻くれ王子。
*
その頃、王宮内の一室のとある捻くれ王子殿下。
「くしゅん!」
「殿下、温かいものをお持ちしましょうか?」
「そうだね、よろしく頼むよ」
俺は心配そうに聞いてきた執事に笑顔でそう返した。
すると執事は優雅に、でもいつもより若干速く歩きながら部屋の外へ向かった。
おっかしいな、風邪ではないと思うんだけど。誰かに噂されてんのかもしれない。
今の立場じゃ四六時中噂されんのが当たり前だし。その割にくしゃみは出ねぇけど。
俺は前世の記憶というものを持っている。
前世はごく普通の日本人大学生で不幸にも若くして交通事故で死亡。そして何故か王子に転生し、今では立派に王子をやってる。
……それが普通の王子なら王族満喫出来たんだけどなぁ。
俺の転生先は乙女ゲームのメイン攻略対象だったのだ。
気付いた時は「嘘だろ!?」と王子にあるまじき言葉遣いで叫んだ。
前世の姉貴は俺のことを首振り人形だとでも思っていたのか、散々この乙女ゲームについて語ってきた。
その上見たくもないイケメンの映ったスチルもしょっちゅう見せつけられ、キャラとあらすじは覚えてしまった。
ヒロインは普通に可愛いと思う。いや、いい子だからこそヒロインなんだろうけど。
でも俺はゲーム通りにヒロインと恋愛したいかと聞かれれば否と答える。
だってめんどくさ過ぎる。
珍しい光属性の大きな魔力を持った平民上がりの男爵令嬢のヒロインが、様々な障害を乗り越えて王子または他の攻略対象と結ばれるというありきたりなストーリー。
でもその障害を解決するための労力はヒロインじゃなくて王子が負担してると思うんだよな。
愛の力なんてもの俺は信じちゃいない。それで全て解決するほど世の中甘くないのだ。
悪役令嬢との婚約破棄もそう簡単なものでもない。
他にもいきなりなんの教育も受けていない元平民を王妃にするなんてことになったら、ヒロインも勉強が大変だろうけどそれをフォローする俺も中々大変だ。
あと社交。これ貴族の中じゃかなり重要。
なんの繋がりも持っていない元平民がいきなり高位貴族の中に放り込まれて無事でいられるはずがない。
俺も社交デビューしたばかりの頃は四苦八苦していた。
この諸々の事情を踏まえた上で考えると、俺はこのまま悪役令嬢との婚約を維持するべきという結論に至った。
……というのにあの女は~っ!
なんであんなに側室の話ばっか振ってくんだよ!? そんなに俺との婚約が嫌なのかよ!?
大体アレが断罪される悪役令嬢とか絶対ないだろ!
アイツなら男爵令嬢一人始末するくらい証拠も残さずにサラッと終わらせる。学生で太刀打ち出来る訳がねぇ。
やっぱり中身が俺だからいけないんだろうか。
でもアイツが誰かにベタ惚れしてるトコなんて想像すら出来ねぇんだけど。
乙女ゲームでのアイツをほとんど知らないせいでどうやったら婚約破棄せずに済むかが全くわからん。
とりあえず他に目を向けるつもりはないってアピールしてんのに信用されてないのがありありと伝わってくるし。
俺ってそんな信用無くすようなことしたっけ? 全く記憶にないんだけど誰か教えて。
それに悪役やるような性格にも見えないんだよなぁ。
容姿端麗、頭脳明晰、魔力も多いのに下位貴族や使用人にも丁寧に接するため多くの貴族から慕われている。
完璧令嬢なんて呼ばれてるくらいだ。
アイツを差し置いて王妃になれるような令嬢などいないというのが社交界での共通の認識なので、今更俺が男爵令嬢に恋したところでその立場が揺らぐとは思えない。
せいぜいその男爵令嬢は側室になれるかなれないかと言ったところか。
側室でも十分面倒な事柄が多いのでやはりヒロインには恋しないという結論に達するのだが。
そんなアイツが嫉妬による見え透いた嫌がらせをするなんて……うん、どう頑張っても想像すらできない。
わからない。本当にわからない。
そう思ったところで全ての書類の処理を終え、それについて考えるのも止めた。
よし、出掛けるか。
断じて現実逃避ではない。
俺は転生してから鍛えた王子スマイルを貼り付け侍女に声をかけた。
「少し外出してくるよ」
「はい、かしこまりました」
王子に転生した時点で「本性隠さないとヤバい」と思ったので俺は人に接するときいつもこんな感じだ。
少なくとも王宮内では。
俺が今から行くのは城下町だ。
服装を変えて髪色を変えれば元一般庶民の俺は簡単に平民に馴染める。
いや、乙女ゲームの攻略対象に相応しいこのキラキラした顔は隠せないから浮くっちゃ浮くんだけども。
街に行くのが一番息抜き出来る。王子モードをオフに出来るっていうのが素晴らしい。
慣れてきたとはいえ疲れるもんは疲れるんだ。
「これとこれとこれ、十個ずつで。ガキどもにやるだけだから包まなくていいよ」
「また買ってあげるのかい」
「喜ぶからな」
店主のおばちゃんが呆れたようにそう言った。
ここは手作りお菓子を売っているお店だ。甘いものは高いので中心街から離れたところにこういう店は少ないのだが、ここは中心街に行けない人たちがちょっと特別なことがあった日に利用する。
王宮で出てくる高級菓子とはまた違った感じで美味しいのだ。
金は腐るほどあるのに特に使い道も思い浮かばないので、無駄にするよりはガキを喜ばせる為に使おうと思い立って毎回ここで土産に菓子を買っている。
「お陰で子供たちはあんたが来るのを心待ちにしてるよ」
「それはよかった」
「時々店にまで押し掛けるもんだから、親が必死に謝りに来るんだ」
「俺から注意しておくよ」
「いや子供が来るのは賑やかでいいんだけどね。親の方に謝らなくてもいいって伝えてくれないかい」
「わかった。でもあんまりガキどもが騒がしいようだったら言ってくれよ」
「あんたに言うまでもないさ」
なんかこの人男兄弟の母ちゃんやってそう。
実際そうだったのかもしれないなぁ、なんて思いながら会計を終える。
すると隣にもう一つ菓子が置かれた。
「ほら、これあんたの分だ」
「いいのか?」
「いいんだよ。いつも全部子供たちに取られてんだろう」
バレていたのか。流石だ。
これは執務中に食べるようにとっておこう。俺用にもらったんだからガキどもには絶対渡さん。
笑顔のおばちゃんに見送られ俺はいつもの場所へと向かう。
この辺にある屋台は安いのに美味いものが多くて時々買い食いしている。
執事に見られたら卒倒されそうだけど。
「ライー! こっちへ寄ってきなよ!」
「ライ! 今日はこれが安いぜ!」
「寄ってかないと呪うぞー」
ここらではすっかり名前を憶えられてしまっている。
どっかの露店の店主曰く「顔も愛想も金払いも良いんだから有名になって当然だろ」だそうだ。
……最後の人だけは言うことがいつも不穏だけど。
でもあの人の屋台で売ってるものはマジで美味いのだ。
パンに肉と野菜なんかを挟んだだけの屋台じゃ在り来たりなものだけど、他の店とは比べ物にならない。
なんであんな味が出せるのかがわからない。ぶっちゃけ俺的には王宮の料理より好みだったりする。
土下座してでもレシピを教えてもらいたいレベルだ。しないけど。
だからあんな店主でも行列が絶えないんだろう。あの人客商売が致命的に向いてないからな。
愛想笑いとか見たこと無い。
「悪い! ガキどもんとこ先に行くから、帰りに寄らせてくれ!」
俺がそう言うとみんな納得した顔で頷き、俺に向かって手を振った。
「待ってるわ!」
「良いの残しといてやるからな!」
「絶対だぞー」
俺も手を振り返してから、目的の場所へ向かう。
この屋台通りから少し抜けたところにある住宅街みたいなところだ。
そこにはヤンチャ盛りのガキどもがたくさんいる。
そいつらと本気で遊ぶのは意外と楽しい。王子モードのせいで溜まったストレス発散をさせてもらってるので、お礼として菓子を買ってっている訳だ。
「あっ、ライ兄だ!」
「ライにいちゃんだぁ!」
いつも通り外を駆け回っていた奴らが俺を見つけてパタパタと寄ってくる。
普段腹黒狸ばっかり相手にしてるからこういう純粋な目を見るとマジで癒される。
こいつら口と態度はかなり悪いけどな。
「彼女できたぁ?」
「いるっちゃいる」
「ほんとに?」
「……いや、いないに近い、かもしれない」
「だよね~」
「やっぱりね~」
「いくら顔がかっこよくてもライにいだもんね~」
お前ら乙女ゲームのメイン攻略対象であり今この国で一番モテてる王子殿下に向かって何を言ってるんだ。
あの女が特殊なだけ! 他のご令嬢にはキャーキャー言われてんだからな!
「でも彼女出来たらライにいちゃん、ここ来なくなっちゃうかもしれないからいや」
この中でも比較的年少の子が俺の服の裾を掴みながらそう言った。
やっぱ子供はこうあるべきだよな。かわいい。
「俺はお前らのために彼女を作ってないんだ。感謝しろよ」
「モテないのを人のせいにしてる~」
「そういうの良くないってお母さんいってた」
だからモテないわけじゃないんだってば! と叫びたい。
王子モードの俺は顔よし性格よし頭脳よし運動よし家柄よしのパーフェクトな優良物件なんだからな。
「ライ兄って大人げないもんね」
「肝心なところで失敗しそう」
「顔に釣られて来た人に中身知られたら即刻幻滅されそう」
中々的確なところを突いてくるなお前たち。
確かに王子モードがオフの時の俺の姿を見られたら、一体何人のご令嬢が幻滅するか俺にはわかりません。え、全員? 冗談でもそれはやめて。
「……次の鐘が鳴る前にお前ら全員俺が捕まえたら今日の菓子は無しだ」
「えぇー!?」
「それはひどいよ!」
「全部ひとりで食べたら太るよ」
「黙れ」
ガキどもがグズグズ言っているが、今の俺はこの菓子を全部やけ食いしたい気分なのだ。
子供だろうと容赦せん。
「五分後に俺は動くからな」
「あっこれライ兄本気だ」
「逃げるぞ!」
そしてこの勝負はあと少しで勝てると思ったところで捕まえたガキを全員解放され、俺は誰一人として捕まえていない状態で終わりを迎えた。
菓子は全てガキの胃袋に綺麗に収まったのだった。
俺は、認めない。