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テルミー通りの人形工房

作者: Slugcat

「何だかんだ言っても、結局、見た目が全てだと思うんです!」


 目の前の少女は、唐突にそう言い放った。

 穏やかな秋の昼下がり。はるか遠くに大通りの喧騒が聞こえる。

 この時期にしては珍しく、今日は朝から清々しい晴れ模様だった。薄霧がたちこめる陰鬱なこの街にいても、今日みたいな日は清々しさを感じられる。

 排煙で煤けたレンガ壁も、街路を濡らす黒ずんだ水溜りも、まばゆい陽射しの下では、どこか趣深く見えた。

 薄暗い部屋の窓際に、申し訳程度に用意された粗末なテーブルをはさんで、僕らは座っていた。

 向かいにいるのは、愛らしさの中に美しさを覗かせる、花のような少女。彼女の纏う淡い青色のブラウスとスカートは、少し大げさなフリルがあしらわれていて、あどけなさを残す彼女の美貌を引き立てている。

 窓から差し込む柔らかい光を受けて、少女は晴れやかな笑顔を浮かべていた。 


「あの、話の流れが見えないのですが……」


 少女の真意が分からない僕は、ひとまずこう返すしかない。

 僕の言葉を受けて、少女は声を弾ませた。


「はいっ! どうして私が、たくさんある人形工房の中からここを選んだのか、知りたいんじゃないかと思って……!」


「いや特に興味はありませんが……」


「教えて頂いたんです! 外見の完成度だけで言うなら一番は間違いなくここだって!」


「そう言っていただけるのは光栄ですが……」


「やっぱりあの子の魅力はチャーミングな見た目にこそ表れていると思うんです! ああ、あのいじらしい唇! 優し気な目元! そして何より、愛らしい耳の形が……」


「ああ………結局また妹さんの話なんですね。そうだ。預かっていた写真、忘れないうちにお返ししたいんですけど……」


 そう言って、僕は写真の束を差し出した。それらには、目の前の少女とうり二つな女の子が写っている。


「あ! それ、この前お貸ししたソフィーの写真ですか?」


「ええ。ご協力ありがとうございました。大変参考になり……」


 ぐいと机に身を乗り出した少女は、目を輝かせながら尋ねてきた。


「どの写真が一番いいと思いました? ………あ、ちなみに私の一押しはですねー……!」


 少女はそう言って、僕の手からぱっと写真を取っていった。

 まあ、もともと彼女のものだからいいのだが、この少女はいささかお転婆が過ぎるのではないだろうか。

 少女は写真を束ねた紐をほどいて、いそいそと写真を机に並べ始める。


「ちょ、ちょっとお嬢さん? ………もしもーし……?」


 真剣な顔で写真を吟味する少女に、こちらの声は届いていないようだった。

 面倒な客を相手にすることは多いし、ある程度の対処の方法も心得ているつもりだったが、こんなタイプは初めてで、正直どう対応すればいいか分からない。

 僕は軋む体を背もたれに預け、寝不足により霞がかった目でぼんやりと少女を眺めた。

 せわしない彼女がその体を揺らすたび、フリルがふわりと翻り、彼女を飾る。立ち振る舞いは少々幼いが、外見からして彼女は17か18歳くらいだろうと思われる。名前も含めて、少女自身について確かなことは何も知らなかった。

 僕が知っているのは、彼女にうり二つな双子の妹がいたということ、その名前がソフィーであるということだけだ。

 少女がやって来たのは、この街の南部にある、貴族の居住地域からだろう。反対側の北部には、黒煙や汚水を垂れ流す工業地区がある。そして両者の中間地点は、逃げ場を無くした人々が折り重なるようにして暮らす人口密集地となっていた。

 ぎゅう詰めになった居住区をでたらめに寸断するように張り巡らされた、無数の街路の一つ。馬車がぎりぎりすれ違えるかという狭さの、うらびれたこのテルミー通り、その一角にひっそりと、僕の魔導人形工房はあった。


 “魔導人形”というのは、機械技術、彫刻技術と魔術の合わせ技によって造られる自動人形のことだ。

 人形と呼ばれてはいるが、外見や挙動は本物の人間と区別がつかないほど精巧だ。魔導人形師の腕次第ではあるが、肌のツヤに眼の潤み、頬の血色に至るまで、外見上の再現はもとより、接触時の質感や体温まで再現することができる。動作についても、極めて自然だ。

 ただし、人形の“中身”、すなわち自律行動機能に関しては、まだ発展途上だ。数多の魔術師や魔術結社が鋭意研究を続けているものの、未だ、『人格』と呼べるようなものを再現するには至っていない。現状では、歩かせたり座らせたり特定の姿勢をとらせたりといった簡単な行動を、逐一命令して実行させることができるという程度だ。 

 そんなわけで現時点で技術としては未完成な魔導人形だが、それでも商品としての需要は極めて高かった。

 見た目や手触りは完全に本物の人間そのものだが、意思も感情も生命も持たない“人形”。

 ごく簡単な指示しか聞きつけないものの、内容を問わず忠実に実行する人形。

 それがいったいどんな需要を持つのか。そんなのはあえて語るまでもないことだ。

 人形師が依頼を受けて作る人形のほとんど全てが、肉感的な美男美女の姿であるという事実が、そのいかがわしい用途を物語っていた。

 当然、こんな邪な欲望にまみれた商売が看過されるはずもなく、純粋な研究目的以外での魔導人形の製造及び販売は、国内全てで違法とされていた。それにも関わらず、僕を含め、決して少なくない数の人形工房が実質完全に見逃されているのは、この街の人形師を取り仕切っている魔術結社が、この街で大きな権力を握っているからだ。

 そんな背景から、魔導人形の売買は事実上合法とされているものの、極めて外聞の悪い行為だった。造って売る方はもちろん、それを買う方も。

 それでも、人目を忍んでこっそりと工房を訪れる貴族や金持ちの商人は後を絶たない。普段のお上品な様子はどこへやら、彼らは欲望に目をギラつかせ、いそいそと、薄汚いこの部屋にやって来る。

 そんな彼らの下衆な欲望を余さず聞き取り、忠実に彼らの理想とする美男美女を作り上げることが、僕ら人形師の仕事だ。

 薄汚いこの街にお似合いの、薄汚い仕事。僕はそれを生業にしている。

 ただし、全ての仕事がそうという訳ではない。ほんの一部だけ、例外もあった。

 極稀に、奇妙な客がやって来ることがある。

 彼らは、豊満な美女を作れとも、麗しの美青年を作れとも言わず、一枚の写真を差し出してこう尋ねるのだ。

 

『この写真の人物を人形で再現することはできるか?』




「あの………失礼しました。私、ソフィーの話になるとつい熱が入っちゃって。それに、人形師さんがとてもお話しのしやすい方だったから、夢中になってしまって……」


 少女は、はにかんだように笑って、すっかり冷めた紅茶に口をつける。

 机の上には、彼女の妹であるソフィーの写真がタイル壁のように整然と並んでいた。 


「あまりそう言われたことはありませんが……」


「私が今までお話した男の方は、皆さんご自分のことを話すかドレスを褒めたりするばかりで………ソフィーの話に興味を持ってくれる人なんていませんでしたから」


 僕も別にそこまで興味はない。そう言ってバッサリ切り捨ててしまうのは流石に気が引けた。実のところ、少女がそう誤解してしまった原因はこちらにあるのだ。


「私とソフィーは鏡写しのようにそっくりだとよく言われていたんです。どんな時も一緒で、とっても強い絆で結ばれていたんです。昔から、どこへ行くにも何をするにも、仲良く二人で手をつないで……」


 少女は目を伏せて、頬を緩めた。

 窓から入る陽射しに、彼女の長いまつ毛が輝く。 


「あっ、ごめんなさい! また私のお話になってしまうところでした。今度は私が、人形師さんのお話を聞く番ですよね!」


「いや、私の話なんて。それより、ひと段落つきましたし、本題の……」


「何かお悩みとかはありませんか? それか、最近大変だったこととか……!」


「いや別に、特にあなたにお話するようなことは……」


「遠慮はいりません! お互いのお話にちゃんと耳を傾け合ってこそ、会話が楽しいものになるんです!」


「………あの、本当にそう思ってます?」


「もしくは私に何か聞きたいことはありませんか? ………例えば、そう! なぜ私がソフィーの人形を欲しがっているのか? とか!」


 僕の話を聞くと言いつつ、妹の話をしたくてたまらない自分を抑えきることができていないようだ。


「残念ですが、お嬢さん。人形師の間で暗黙の了解があるんです。お客さんの詮索はご法度だっていう」

 

「でも、人形師さんは気にならないのですか? 自分の作った人形がその後どうなるのかとか」


「僕は特に何とも。どんな扱いをされようと気にもなりませんし、想像すること自体ほとんどありませんね。他の皆さんも、多分そうだと思いますけど……」


 客は、魔導人形が人間の完璧な再現ではなくあくまで外見だけ似せた人形であると承知の上で買い求める。

 人形師も人形師で、自分の作った人形が“物”として好き放題扱われようと、それを気にすることはない。 

 誰も損をしていない。不当に害を被ることはない。だから、そのやりとりが、外野からどれだけ蔑まれ、疎んじられようとも、別に構いやしない。誰かを不幸にしているわけでもないのだから。

 というのが、僕を含めた多くの人形師の共通のスタンスであると思う。

 そうやってある程度割り切らないと、きっとやっていけないのだ。


「まあ、もしかすると僕らのこういう態度が、蔑まれる一つの原因になってるのかもしれませんけど」

 

 いくら命が宿っていないとは言え、見た目は完全に生きた人間と区別がつかないのだ。それを、開き直って、物として売り買いするなんて、常人からすれば狂気の沙汰と思われてもしかたがないかもしれない。


「蔑み……? 人形師さんを悪く言う人達もいるのですか?」


「ええ。というか、そういう方が大多数だと思いますけど……」


「………あの! 私は、とっても素敵なお仕事だと思いますよ!」


 少女は強くそう言い切って、一点の曇りもない笑顔を浮かべる。

 きっと僕を励ますつもりで言った言葉だろう。

 少女の優しさを無下にするまいと、僕はやつれた顔に力を入れて笑顔を浮かべて見せた。


「ありがとうございます。そんな風に言ってもらえると、仕事の励みになりますよ」


「あ、もしかして私が気遣いをしてると思っていませんか? 私、本気で言ってるんですよ! ………私、初めて人形師さんのことを知ったとき、運命を感じたんです! 運命というか、必然っていうか……!」


「はい? 運命? 一体どういうことです?」


 彼女の発言は唐突で予想がつかなくて、思わず気になってしまう。


「その………とっても不思議な話だし………変って思われるかも知れないんですけど………私、今でも、ソフィーがどこかに居るっていう感じがしていたんです。ちょっと遠く離れたところで、今も普通に生活してて、それで、そのうちひょっこり私に会いに来るんだっていう、そんな予感がずっとあって……」


 少女は大した感慨も切実さもなく、ごく自然な調子で話す。


「そんなときに、魔導人形と人形師さんの存在を知って、あ、これか! って何だかとっても納得したんです!」

 

 少女はその瞳を純粋に輝かせ、力強くそう語った。

 

 僕はふいに、冷水が肺に溜まっていくような不快感を覚えた。

 少し迷った末、言葉を選びつつ彼女に言う。


「………その、分かってるかとは思いますが、魔導人形が似せることができるのはあくまで外見だけで……」


「はい、もちろん! お人形さんがどういうものなのかはちゃんと分かっています。それでもいいんです!」


「それなら、いいんですが……」


「はい、良いんです! とっても! 私は今、すごく幸せな気分で………それは人形師さんのおかげなんです! だから人形師さんも、自分のお仕事を悪いものみたいに言うのはやめて下さい。そもそも、この世のお仕事はみんな、誰かを幸せにするためにあるんです! 悪いお仕事なんて一つもないんですから! ………あ! もちろん、泥棒とか、詐欺とか、そういうのはダメなことですけど……!」


 少女は、一生懸命に言葉を連ねていた。いまひとつまとまってないけれど、彼女の熱意と、優しさは十分に伝わる。

 今度は自然と、微笑みが浮かんだ。


「お嬢さん。あなたは素直というか何というか、とても………そうだな、きっと、とても良い教育を受けたのでしょうね」


「………はい! とっても素敵な家で、とっても素敵なお母さまとお父さまです!」

 

 少女は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、それから、とても嬉しそうにそう言った。

 彼女とは少し話しただけの僕でも、彼女がとても大事に育てられたのだろうということがよく分かる。

 高額な依頼料もきっと、彼女の両親が出したものだろう。少女の両親は果たして、どんな気持ちでこの子をここへ送り出したのか。

 そんなことを考え、ぼんやりと少女を見つめていたら、おもむろに彼女が笑った。


「それにしても、ふふっ………『お嬢さん』って、さっきから何度も」


「何か、おかしかったですか?」


「いいえ。でも、私だってもう17歳。立派なレディなんですからね?」


「家でよくそう注意される?」


「………はい……。」


 冗談まじりに、わざとらしくしょんぼりして見せる少女に、思わず吹き出してしまう。

 彼女もそれを見てまた笑った。この子は本当によく笑う。


「はあ……。少し前までは全然だったのに、最近急に厳しくなったんです。礼儀作法とか、しゃべり方とか。………何だか男の人と会ったりする機会も増えたし、疲れちゃいます……」


「それは、あなたが女の子から大人の女性へと、立派に成長しているからこそではないですか?」


「そうなんでしょうか? うーん、正直、私は全然自分の変化が分からないのですけど……」


 見た目は美しいレディになりつつあるのに、まるでその自覚がなく、一向にお転婆が治らない少女。

 それを微笑ましくも悩ましく思う両親。

 少女を包む暖かで優しい世界の様子がありありと想像できた。


 良くないな、と思う。

 客の背景に興味を持つのは良くないことだ。最低限の愛想として、適当な世間話程度で済ませるのが正しい対応だ。次の客と話す頃にはすっかり頭から消えているくらいの。

 僕がまだ人形師の修行をしていたころ、師匠が教えてくれた。人形師としてやっていくのなら、客を一個人として認識するのは危険だと。

 客を詮索するな。知ろうとするな。興味を持つな。

 結局、師匠の言葉の重みを痛感したのは、自立してしばらく経ってからのことだった。


 この街で人形師をやっていくために、守るべき鉄則が2つある。

 一つは、絶対に依頼主の素性を尋ねてはならないということ。

 もう一つは、絶対に用途、目的を尋ねてはならないということ。

 依頼主のほとんどは貴族や富豪商人だ。人目を忍んでいかがわしい買い物をしている彼らは、当然、詮索されることを快く思わないだろう。ただでさえ危うい立場の人形師が、彼らの不興を買えばどうなるかは想像に難くない。それ故に、人形師が穏便に商売を続けたいならば、この鉄則は絶対に侵してはならないとされている。

 僕もこの街で商いをする人形師として、これを守ろうと努めて来た。依頼主から金を受け取り、外見の注文を聞き取り、忠実に人形を作りあげる。それだけをただひたすらに続けて来た。

 幸い、ほとんどの場合は、目的について知りたいと思うことさえなかった。

 しかしながら、というべきか、だからこそというべきか、極稀に訪れる“奇妙な客”に僕は強く興味を引かれてしまった。


『この写真の人物を人形で再現することはできるか?』


 そう言って、写真を差し出す彼ら。

 彼らの写真に写っているのは、筋肉質の美男子でもなければ、豊満な体つきの美女でもなく、平凡な顔つきの中年男性、幼い少年、老人などだった。

 下衆な用途の見目麗しい人形ばかりを求める者達の中で、彼らはひどく異質で、不可思議で、そしてなぜか見過ごすことのできない存在だった。

 ある日、思わず尋ねてしまった。

 人形師の鉄則を侵し、『この写真の人は誰ですか?』と。

 すると依頼主である老紳士は、孫娘だと答えた。

 1年程前に病で死んだ孫娘だと。

 それ以来、僕にはある悪い癖がついてしまった。

 写真を出してくる客に出会うたび、『これは誰ですか?』と尋ねずにはいられなくなってしまったのだ。

 彼らは答えた。


 『息子です』 『妻です』 『母です』


 予想通り、彼らが欲していたのは、彼らの“大切な人”の人形だった。


 世間話程度ならともかく、客の注文に関して詮索するのは人形師の鉄則に反する行為だ。こんなことを続けていたら、いずれ仕事を失うどころか、この街を追い出される可能性すらある。そんなことは僕自身、百も承知だが、それでも僕はこの衝動を抑え込むことができなかった。

 一体全体どうしてこんな癖がついてしまったのだろう。

 なんて白々しく悩んでみたりする一方で、僕はとっくにその原因に見当がついていた。


 これはきっと、罪悪感なのだろう。




 何はともあれ、幸いにも今まで特に問題が起きたことはなかったのだが、ここに来てその運も尽きてしまったようだ。

 僕は今日ほど己の悪癖を呪ったことはない。


「―――それでね! それで、そのときあの子ったら何て言ったと思います? 『だって…お姉様と一緒がよかったんだもん…』って、も~~~~! しかもそのときのちょっととがったかわいい唇と上目遣いが忘れられなくってぇ……」


「………なるほどー……」


 はて、一体どんな話の流れで再びソフィーの話に戻って来てしまったのだったか。

 ちょっと考え事をしていて、会話の舵取りを疎かにした途端この通りだ。


 今回の依頼は、少女の双子の妹、ソフィーの人形を作ることだった。

 少女が持参した参考写真に写る、少女とうり二つな女の子。その女の子が誰なのかを聞いてしまったのが運の尽き。少女は不快感を示すどころか眩しいほどに目を輝かせ、名前どころか妹の性格から好みから思い出まで、全く聞いてないのに長々と語りだした。


「ちょっと待ってて下さい! 確かその日に撮った写真が一枚くらいこの中にあったはず……。良かったですね! ソフィーの拗ね顔は結構レアなんですよ~……! どれだったかな………………あ……」


「はぁ、それはどうも。………その写真ですか?」


 少女が、見つけた一枚の写真をじっと見つめているので、それを覗き込もうとしたところ、パッと手元に抱えて隠してしまった。

 見ると、少女の頬はほんのりと染まっている。


「あ、ごめんなさい。その………私としたことが、間違えて一枚、自分の写真も入れてたみたいです」


 妹のことは堂々と自慢するわりに、全く同じ容姿の自分の写真を見られるのは照れくさいのだろうか。

 

「言われなければ気づくことはなかったと思いますが………あなたは区別がつくのですね」


「何がです?」


「いや、写真に写っているのがあなたなのか妹さんなのか、やっぱりちゃんと見分けがつくんだな、と」


 参考のため、借りたソフィーの写真には全て目を通したが、姉の写真が混ざっていたなんて全く分からなかった。


「………ああ、双子当てゲームですね!」


「はい?………何の話です?」

 

 また唐突な話題転換。飽きさせない少女だった。


「私とソフィーが昔よくやっていた遊びなんです! 二人で同じ格好をして、どっちが私でどっちがソフィーなのかを当ててもらうっていうゲームで……」


「ああ、それで『双子当てゲーム』ですか。名前の通りですね」


「はい! ただ並んでるだけじゃなくて、ソフィーが私のしゃべりかたを真似たり、私がソフィーのお気に入りの髪形をしたりとかして難しくしていたんです! ………ふふっ、楽しかったなぁ……」


 在りし日の輝きに、彼女は目を細める。


「うわぁ………それはあまりにも難易度高いですね……」


「はい! お父さまなんか、全然当てられないんですから! お母さまは結構得意だったけど、それでも7割くらいだったかなぁ」


「ご両親でも難しいとは」


「はい! でもこれ、私達自身は一度も間違えたことないんです!」


 得意げな顔で訳の分からないことを言い出した少女に一瞬不安を覚えたが、少しして理解が追いついた。


「………ああ、そういうことですか。つまり、あなたと妹さんは、写真でもちゃんと自分達の区別がつくと?」


「はい! 百発百中です! ………まあ先程、記念すべき一回目の失敗をしちゃいましたけど……」


「しかし、ということはお二人自身にしか分からないような微妙な違いとかがあるんですかね?」

 

 少女はふるふると首を横に振った。


「そういうのじゃないんです。なんていうか、見るとパッと分かるんです! 『あ、ソフィーだ!』みたいな感じで。雰囲気? 空気? の違いが分かるっていうか……」


「……………なるほど。何となく分かります」


「え!? ま、まさか! 人形師さんも私達を見分けられるんですか!?」


「いや、そうじゃなくて、その『雰囲気で何となく分かる』っていう感覚に覚えがあるというか……」


「ああ、なんだ。てっきり、人形師さんもソフィーが大好きになり過ぎて、見分けがつくようになったのかと」


「例えどれほどすばらしい人物だったとしても、会ったこともない人を大好きになることはないです。」 


「そうだ! いいことを思いつきました!」


「………今度は一体何ですか?」


「はい! 今日ソフィーの人形と一緒に家へ帰ったら、久しぶりに、双子当てゲームをやろうかと思って!」


「そう、ですか」

 

「人形師さん! あとで、予行練習に付き合って下さいませんか? ほら、私、ソフィーの真似なら世界一上手な自信がありますけど、お人形さんだとちょっと勝手が違うのかなって……」


「練習って、そんなの別に必要ないでしょう……」


「ダメですダメです! お父さまならともかく、あのお母さまをだますためには、生半可な演技じゃダメなんです!」


 そういって拳を握る少女の目は燃えていた。どうやら、僕には知るよしの無い戦いの歴史がそこにはあるようだった。


「えぇ。うーん………そうだとしても、私はあまり適任じゃないと思いますけど……」


「なぜです?」


「えーっと………私達人形師は、人形と人間の区別がつくんです。だから、どれだけ演技が上手でも判別できてしまいます。それだと練習にならないでしょう?」


「あれ、でも人形は、見た目も動きも人間そのものなのでしょう? 特に、あなたのは出来がとってもいいって」


「ええ、それはそうなんですけど。………これっていう外見的な違いで見分けてる訳じゃないんですよ。ただ、何というか……そう、雰囲気! 雰囲気で分かるんです」


「雰囲気、ですか」


「ええ。先ほどあなたも言っていたでしょう? 妹さんの写真なら、パッと見たときの雰囲気で分かると。それと同じで、僕らは人形を見分けることができる。そんな感じです」


「………ふむふむ、なるほど。分かりました!」


「ええ。そういうわけですので、練習とかは無しの方向で……」


「では、その人形っぽい雰囲気を頑張って習得します! 人形師さん! 私を特訓して下さい!」


「…………………多分、無理だと思いますけど」


「どうしてそう言い切れるんです?」


「そりゃあ……」



『あなたには心があるから』


 僕は、無意識に口をつぐんで、喉元まで出かかった言葉を無理やり抑え込んだ。

 それから、仕切り直しとばかりに一度深く息を吐いて少女と目を合わせる。


「………分かりました。こうなったら予行練習でも何でも、あなたの気が済むまでお付き合いしますよ。だから、その………そろそろいいでしょうか。妹さんの人形をお連れしても」


 僕はなるべく自然な調子で、動揺が伝わらないようにそう言った。

 僕の言葉に、少女はパッと顔を輝かせた。


「まあ! ………ついにこの時がきたのね! 私とソフィーとの感動の再会が! ああ、私もう、ここに来た瞬間からずっと待ち遠しくてたまらなくって……」


「ええ。私も全く同じ気持ちでしたよ………いや本当に。」


 少女は感極まって立ち上がり、うっとりとした表情で虚空を見つめていた。その潤んだ瞳には早くも、愛しい妹の姿が映っているのかもしれない。


「………あの子に会ったら話したいことがたくさん………いいえ、まずは思い切り飛びついて、ギュッと抱きしめて……!」


「あ、あんまり乱暴に扱うのはやめて下さいね。抱きしめるくらいなら大丈夫ですけど……」


「ねえ! 人形は、触ったら本物の人間のような感触がするんですよね?」


「ええ。幻惑魔術で、感触や体温などを再現しているので……」


「それじゃあ、匂いはどうです? ソフィーは抱きしめると、お花のような、とってもいい匂いがするんです! それは?」


「う、う~ん? どうだろう………まあ、素体の臭いは消してあるし………服は、あなたに頼まれた通り、あなたが持ってきて下さった妹さんのものを着せてあるので、その匂いならすると思いますけど……」


「まあ……! ああ、楽しみで待ちきれません……!」


「すぐに連れて来ますから、もう少しだけ辛抱していて下さい。………どうぞ、お座りになって……」


「いえ! いいえ! どうかこのままでいさせて下さい! 会える瞬間を目前にしたら、もう待ちきれなくて、座っていられなくなってしまいました!」


「………ならお好きにしていて下さい。それじゃあ、行ってきますから……」


 そう言い残して、僕は客間を後にした。




 完成した人形は、工房に保管されている。

 僕は工房のドアを開けると、明かりはつけず、闇に向かって一言「おいで」と呟く。

 すると、衣擦れの音とともに、暗がりから一人の少女が出て来た。一瞬、客間に残して来た少女が先回りしてきて現れたかのように錯覚する。それほど、この人形と少女はそっくりだった。

 少女の妹、ソフィーを模したその人形は、淡々とした足取りで僕の目の前までやって来て、ピタリと直立の姿勢をとった。つい今まで、表情豊かな少女とずっと話していたからか、目線を真っすぐ前に固定し、氷のような無表情を浮かべる人形の顔に、何だか違和感を覚えてしまう。

 僕は、一歩ほど離れた距離から彼女を見下ろし、その出来栄えを改めて確認した。

 艶のある金色の髪、透き通るような青い瞳。なめらかな肌は僅かに赤みがかり、その内を巡る血潮の温かさを感じさせる。素体の質感は幻覚魔法によって生身のそれと置き換えられ、機械構造と魔術による操作が生み出す所作はあまりにも自然だ。

 瞬きのたび揺れる瞳の光、確かに感じられる息遣い。彼女を前にして、作り物であると見抜ける者はいないだろう。

 ただし、人形師を除けば、だが。 

 どんなに精巧な作りでも、自然な動作ができても、人形師は、一目見ればそれが人形であると見抜くことができる。

 おそらくこれは、人形の自律機能が未熟であるとか、表情のレパートリーが乏しいとか、そういった部分によるものではないのだと思う。多くの人形を見ているからだろうか。人間が人間であるために必要な何か、心だとか、魂とでも呼ぶべき何か、それが決定的に欠けているということが、直感で分かるのだ。


 人形の出来は問題なさそうだ。

 一通り眺めまわしてから、仕上げに人形の肩や裾を軽くはたいて埃を落としてやった。

 人形が纏っているのは、少女が持参したソフィーの服だ。この服を借りたおかげで、写真だけでは分かりづらい、ソフィーの身長や体格まで、かなり正確に再現することができた。

 この人形は、外見の上では間違いなく、写真に写る少女の妹を完璧に再現できている。

 ふと、ソフィーの話をするときの嬉しそうな少女の姿と、部屋を出る時に見た、期待に胸躍らせる彼女の表情を思い出す。 

 あんな風に待ち焦がれてくれる人のもとへ行くなら、この人形も幸せだろう。

 ただ、おそらくこの人形は、歓喜と祝福を持って彼女に迎え入れられることはない。

 そんな、確信めいた予感がしていた。


「ついて来てくれ」


 人形に声をかけ、僕は客間の方へと歩きだす。

 後ろからすぐに、ひたひたとという足音がついてきた。




 工房と客間をつなぐ薄暗い廊下を歩きながら、僕は頭の中で、先ほど少女に言いかけてやめた言葉を反復していた。


『そりゃあ、あなたには心があるから』


 別に何てことはない、言ってしまったって全然問題のないことのはずだ。

 そう思うけれど、喉につかえた言葉は、口から出て行ってくれることはなかった。


 人間には心がある。魂がある。

 魔導人形は心を持たない。魂を持たない。

 魔導人形はどこまで行っても、人間の見せかけを真似たものでしかなくて、張りぼてで、模造品で、偽物で、まさしく、ただの“人形”なんだ。

 そんなことはみんな重々承知の上だ。

 人形師はもとより、客もみんな、それをちゃんと分かってて依頼をしている。 

 そのはずなんだ。


 でも

 

 でも、本当にそうなのだろうか?

 確かに、ほとんどの場合はそうなのだろう。

 欲にまみれた目をして、下卑た顔で人形を買い求めに来る者達はそうなのだろう。

 では、あの少女は?

 愛する人の写真を携えて、切実そうな表情でここを訪れる彼らは?

 僕は、彼らに尋ねるべきだったんじゃないだろうか?


『あなたは一体、何を求めているのですか?』

 

 彼らに告げるべきだったんじゃないだろうか?


『人形は所詮、紛い物です。人間に似せただけの作り物です。』


『僕は人形師です。人間を生き返らせることはできません。』


 それで彼らが傷ついても、怒っても、それでも、彼らの心にちゃんと向き合う義務が僕にはあったのではないだろうか?

 あの老紳士に、孫娘の人形を引き合わせたあの日、彼は僕の前で歓喜の涙を流した。縋りつくように人形を抱き、孫娘の名前を、何度も、何度も呟いていた。

 そして、満ち足りた、幸せそうな顔で僕に礼を言ったのだ。

 その日の夜、僕は一睡もできなかった。

 目を閉じると、あの時の老紳士の顔が浮かぶのだ。疲れ切った顔に、途方もない喜びと安堵を浮かべて、僕に向けられるその潤んだ瞳は、一心に感謝の意を湛えていた。

 それを思い返すたび、耐え難い恐怖が僕を苛んだ。

 僕は、とんでもないことをしてしまったのではないだろうか。

 愛する人が死んでしまったという事実を、彼はまだうまく受けとめきれていなかったんだ。だから、愛する人にどうしてももう一度会いたいという、その叶わぬ夢をあきらめきれずにいるんだ。

 たとえ作り物の人形だとしても、もう一度、目を合わせて微笑んで、隣を歩いてくれたなら。

 心に空いた穴が少しでも埋まってくれるのではないか。

 そんな風に、縋るような思いで僕のもとを訪れたのではないだろうか。

 そうだとするなら僕は依頼を断るべきだった。

 彼を追い返すべきだった。

 なぜなら、僕は、彼の望みを叶えることはできないと知っていたのだから。

 それどころか、僕の与える物は、彼の心をいたずらに傷付けてしまうだけなのだと、分かっていたのだから。

 

『結局、見た目が全てだと思うんです!』


 そんなはずはない。人形師である僕にはよく分かる。

 人形がどれだけ外見を模したって、いや、仮に人格まですっかり似せることができたとしても、絶対に、『大切な人』の代わりにはなり得ない。

 そこには、大切な人を大切たらしめる思い出も、絆も、愛も、何もかもが存在しないのだから。

 あるのはただ、“無い”という事実だけ。

 求めた面影は、そこには無い。

 それどころか、それはもうこの世界のどこにも無い。

 人形は冷淡に、その残酷な事実を突きつける。

 幸せな幻想を見せておいてから、一層深い絶望の底へと彼らを突き落とすのだ。

 たとえそれが、いつかは受け入れなければならない事実なのだとしても、こんなやり方は、あまりにも乱暴で、残酷で、悪趣味だ。

 それが分かっているのに、僕は止めようとしなかった。

 僕は、彼の切実な思いを踏みにじり、弄んだ。


 自分の仕事が誰かを不幸にしている。

 その事実は、耐え難いほどの重さで僕にのしかかって来た。

 僕はその事実と正面から向かい合う勇気も、人形師を辞めて他の生き方を探す度胸も持ち合わせていなかった。

 だから僕は、自分に嘘をつくことにした。

 生きていくため、人形師を続けるため、自分で自分をごまかし、偽ることにした。

 魔導人形はあくまで“人形”であると、客は承知している。大切な人が去った穴を人形で埋めることができると思っている、そんな憐れな客は存在しない。

 そう、自分に言い聞かせた。 

 幸か不幸か、人形を受け取った客は皆、満足そうな様子で帰って行った。

 いずれ途方もない絶望が彼らを襲うのだとしても、少なくとも僕が観測できる範囲においては、彼らは幸福そうだった。

 だから僕は、自分を偽り続けることができた。

 事実から目を背け続けることができた。

 じりじりと喉元を焼く罪悪感は、その都度飲み下し、全て忘れてしまおうとした。

 けれど、飲み込んだそれが消えてなくなることはなくて、腹の底に溜まってくすぶったまま、いつか落ちてくる火種を待っている。そんな気がした。


 その“いつか”がやって来るのを、僕はもしかすると望んでいるのかも知れない。


 いつか誰かが僕の目の前で、絶望に涙を流し、『嘘つき』と僕を糾弾する、その時を。




 客間に戻ると、少女は先程の位置に立ったまま待っていた。

 興奮に頬を上気させ、組んだ手を胸にあてがい、やや前のめりになってこちらを見つめていた。

 彼女の顔を彩る期待と喜びは、部屋に入って来た人形を見るなり、最高潮に達し、


 そして、ゆっくりと褪せていった。

 少女は人形に飛びつくわけでもなく、歓喜の声をあげるわけでもなく、ただじっと見つめていた。

 人形の方は少女の様子を気にすることなく、よどみない足取りで室内を横切ると、彼女の目の前まで来て、それから停止した。

 少女は、感情の波が喉元でせき止められているかのように、ただ、驚きとわずかな困惑を浮かべたまま立ち尽くしている。

 沈黙の中で向き合う少女と人形。

 もとより、街の喧騒から切り離されたこの場所は、動くものがないと、本当に時が止まったかのように感じられた。


「………ソフィー………ソフィーにそっくりだわ。本当に……………」


 ようやく、ぽつりと一言、少女が呟いた。

 淡々とした感想。誰に向けられたわけでもないような言葉。

 少女はゆっくりと振り返って窓の方を向く。

 先程の晴れ模様が嘘のように、いつのまにか外は薄暗くなっていて、窓にはくっきりと、並び立つ少女と人形の姿が映し出されていた。

 窓に映る少女と人形の姿は確かに似ていた。

 唇も、目元も、耳の形も。


 けれども、こうして並んでみると分かる。

 少女と人形は、鏡写しというほどそっくりな訳ではない。 

 少女よりも人形の方が一回りほど背が低く、顔も僅かに幼かった。

 双子というよりは、歳の近い姉妹のようだ。


 ソフィーが事故で亡くなったのは、2年前の春だったという。


 2年。それは、可愛らしい少女が美しい女性へと変貌を遂げるのに十分すぎる時間だっただろう。

 少女は、自分はちっとも変わっていないと言っていたが、そんなはずはないのだ。

 少女は確かに成長した。

 時の歩みを止めた、彼女の半身を置き去りにして。


「私、こんなに背、伸びてたんだ……」


 少女は、先程の興奮した姿も、それまでのお転婆な姿も嘘のように、奇妙なほど落ち着いていた。


「私………どうしてだろう。私、ずっと、ソフィーが今もどこかで生きてるような気がしていて………私達は変わらずそっくりな双子のままだって………とっても不思議なんですけど、そう思ってて……」


 そう話す少女は、事態を呑み込めずにいる幼子のように、どこかぼんやりとした様子だった。

 

「………これじゃ、お父様だって騙せませんよね?」


 眉を下げて笑う彼女に、返事をするものはいなかった。

 人形は、人と会話をするほどの知能は無い。その青い瞳で、ただ少女を見つめるばかりだ。

 僕は、何か言うべきだと思ったけれど、掛けるべき言葉が見つからず結局沈黙してしまった。

 少女は、所在無さげにふらふらと視線をさまよわせる。

 すると、まるで少女の様子を見ていたかように、人形が少女に向かって手を差し出した。

 魔導人形は、待機状態でも自発的にランダムな行動をとる。僕にとっては機械の機能の一パターンであるその行動は、少女の目にどう映っただろうか。

 彼女は差し伸べられた手に一瞬ひるむような反応を見せたあと、恐るおそるその手を取った。


「あ、ソフィー………その、私、あなたに話したいことがたくさんあって……」 


 少女はぎこちなく人形に微笑みかけると、その手を両手で包んだ。


「あのね、ソフィー………………」


 急に声を失ってしまったかのように、少女の言葉は切れた。

 張り付けたような笑顔のまま、彼女はすっかり静止してしまい、この場は再び、長い沈黙に包まれた。

 いや、きっと僕がそう感じただけなのだと思う。実際はほんの一瞬のことだったのだろう。

 グラスが床に落ちる瞬間のような、嫌な沈黙だった。

 

 そうして、少女の頬をひとすじの涙が伝った。

 それから後を追うようにして、彼女の顔に感情の波が拡がっていく。

 僕は、少女が泣き崩れるだろうと思って、ひたすら、慰めと謝罪の言葉を探した。

 けれど、少女の取った行動は僕の予想を裏切るものだった。

 彼女は、俯きかけた顔をあげて再び笑顔を浮かべたのだ。

 溢れる涙でかすむ目を大きく開いて、震える唇を引き結んで、無理やり口角を持ち上げて、それは、痛々しいほど懸命な微笑みだった。

 少女は擦れる声で、絞り出すように、『ありがとう』と呟いた。

 それからもう一言何かを言ったけれど、それは聞き取れなかった。

 本人にしか分からないくらいの、小さな小さな囁きだった。


 その一連の様子を、僕はただ見ていただけだった。

 少女が一体どんな思いでいるのか、僕にはまるで見当もつかなかった。

 ただ一つ、どこか現実味の無い気分で、僕は思った。

 口元を歪ませ、あふれる出る涙にまみれた、不格好なその微笑みは、今まで少女が浮かべたどの笑顔とも違って、なぜだかとても、大人びて見えた。




「人形師さん。お仕事、辞めたりしませんよね?」


 しばらくして、少し落ち着いてから、少女は唐突にそう尋ねて来た。

 今僕らは再び、窓際のテーブルで向かい合って座っていた。

 正確にはソフィーの人形も一緒に、二人と一体でテーブルを囲んでいた。

 少女と僕の前には安物の紅茶が置かれていて、ほんのりと湯気を立てている。 

 天気はすっかり持ち直し、鮮やかな橙色の夕日が僕らを照らしていた。


「………いきなり、どうしたんです?」


「だって、さっき私が泣いていた時、人形師さん、とっても苦しそうな顔をしていたから。それに今だって、何だか深刻そうな表情で……」

 

 そうだったのか。

 少女に様子に見入るばかりで、自分の表情なんて全く気にしていなかった。

 

「私の気のせいだったらいいんです。でも………もし、そんな風に考えているなら、私、辞めないで欲しいです。人形師さんのお仕事、とっても素敵だって思うから……」


 少女の口調は切実だった。

 僕はそんなに酷い顔をしていたのだろうか。


「素敵でしょうか? ………蔑まれてしかるべき、下劣な仕事だと思いますけど」


 自分でも驚くくらい素直な本音が、自然と口をついて出た。

 適当なことを言ってごまかす場面だっただろうと、すぐに後悔する。


「僕は、ただの詐欺師です。………自分が生きるために、紛い物を売りつけて、人の心を弄んで………今日だって、あなたを傷つけたじゃないですか」


 しかし、一度溢れたものは戻しがきかなくて、僕は余計な言葉を重ねてしまう。

 結局のところ僕は、自分が生きるため、道義に反したいかがわしい商売をする下衆な野郎で、もしくは紛い物を売りつけて誰かを不幸に陥れる詐欺師で、つまりは端から端まで汚れ切った、生きる価値の無い人間だった。

 価値の無い人生のために、誰かを不幸にし続ける、どうしようもない人間だった。


 その事実を受け入れて、これ以上誰かを不幸にする前に、さっさと終わりにしてしまえばいいのに、それなのに………

 こんな人生に、必死でしがみつくことをやめられずにいる。


「………私は、あなたに救われましたよ。」


 少女は僕の考えを見透かすように、静かな、諭すような口調でそう言った。


「あなたは、自分の力で乗り越えたんだ。僕はその邪魔をしただけ………あなたは、とても強い人です。僕には羨ましいほど……」


「何を言ってるんですか! とっても弱い私を、あなたが助けてくれたんです! ………あなたと、あなたの人形と………それから、ソフィーが」


「………すみません。あなたの言うことは、僕にはよく分かりません……」


 少女は、少し考え込むような素振りを見せたあと、ゆっくりと切り出した。


「………人形師さん。私、ずっと、夢を見ているような気分でいたんです」


「夢?」


「はい。あの日、ソフィーが死んだ日からずっと、どこかふわふわとしていて、現実感が無いっていうか、何だか夢の中にいるような、そんな気分で過ごしていたんです。それで、思ったんです。もしかしたらここは夢の世界で、ほんとの私は、今もあの事故の現場で立ちすくんだまま、ずっと白昼夢を見ているんじゃないかって……」


「でも、あなたは………あなたは、ちゃんと歩いて来たじゃないですか。立ちすくんだままなんかじゃない。そんな出来事があってからも、挫けず、ちゃんと……」


 少女は微笑む。

 切なげに。それだけじゃなく、どこか懐かしそうに、愛おしそうに。


「はい。きっと、ソフィーのおかげなんです。………夢の中でずっと、ソフィーが手を引いてくれていたんです。だから私は、歩いてこれたんです」


 愛する妹がまだどこかで生きているかもしれない。いつか再び会えるかもしれない。

 そんな儚い幻想は、少女の心の支えでもあったのだ。


「………今は? あなたは今も、夢を見ているんですか?」

 

 少女は首を横に振る。


「夢はさっき、醒めました。」


「………僕のせいで?」


「はい。あなたのおかげで。」


 少女は再び微笑む。

 今度は、僕に向かって。

 真っすぐに僕を見据えて、頑なな僕に、忍耐強く語り掛けてくる。

 

「気づいたんです。私、ソフィーに言いたいこと、たくさんあったけど………でも、ほんとに言わなくちゃいけないことは、『ありがとう』と『さよなら』、そのたった二つだけなんだって。………確かに人形は本物のソフィーじゃないけど、偽物だけど………でもこの子のおかげで、ソフィーと、ちゃんとまた向き合うことができたんです」


 言い募る少女の口調はどこまでも穏やかで、僕の中に優しく染みていくような心地がした。


「ねえ、人形師さん。嘘をついたり、騙したり、そういうのは確かに良くないことだけど、でも、人間って、真実だけじゃ生きていけないんじゃないかな………ううん。それとも、真実なんて、そもそもどこにも無いのかも……」


「………………何だか、急に大人っぽくなってません?」


 思わずそう言って茶化した僕に、少女は一瞬、きょとんとした顔をする。

 それからすぐに、彼女は笑顔を浮かべた。

 美しくも愛らしい、花のような笑顔。

 

「はい! 私だってもう17歳。立派なレディなんですから!」



 少女はそれきり、話を戻そうとはしなかった。

 

 彼女は温かい紅茶に口をつけて一息ついてから、それから、ふと窓の外に視線を向けた。


「………とってもきれいな夕焼けですね」


「ええ。こんなに鮮やかなのは滅多に見られない」


 僕ら二人と一体は、そろって窓の外を眺めていた。

 

「こんなにきれいな夕焼けが見れるなんて、この街はとっても素敵なところですね」


「そうでしょうか? 確かにすばらしい景色ですけど、こんなの年に一回見れるかどうかで、あとはずっと曇っていて薄暗いじゃないですか」


「あら、昨日まではそうだったかも知れませんけど、明日からはきっと毎日晴れが続きますよ! だから明日も明後日も、これからずっと、素敵な夕焼けが見れるようになります!」


「何を根拠に………………いや……」


 自信満々で、底抜けに明るい少女の声を聞いていると、不思議と肩の力が抜けてしまう。

 僕は、深く息をついて、背もたれにゆったりと身体を預けた。


「それはちょっと嬉しいな。………好きなんですよ。仕事を終えたあと、ここから夕日を眺めるの」


 少女の返事は無かった。

 僕も、あえて彼女の方を見ようとはしなかったが、茜色に染まる、少女の朗らかな笑顔が僕には想像できた。

 僕ら二人と一体は、それきり何も言わず、どこまでも広がる夕焼け空をただ眺め続けた。


 ふと街の方に視線を落とすと、僕らと同じように、稀にみるこの綺麗な夕焼けを拝もうと、建物の屋上に上がってくる人達や、街角で足を止めて空を見上げる人達が見えた。

 掃きだめのようなこの場所で、彼らも多分、僕らと同じ思いでいる。


 『明日も明後日も、これからずっと』と、心のどこかでそう信じて、今この時を生きている。

 煤けた街を染める、嘘みたいに真っ赤な夕日を見つめて。 

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[一言] 素晴らしい作品でした! ありがとうございます!
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