鉄路の旅人~夏~
僕は自称旅人。
僕が旅をするのは鉄路……鉄道のレールの上。
人によっては僕の事を『鉄オタ』という人もいる。でも、鉄道オタクと一言に言っても種類があって、車両の形式や構造に詳しい『車両鉄』、時刻表やダイヤに萌える『スジ鉄』、写真を撮ることだけに喜びを見出す『撮り鉄』、ラストランだけに湧いて出て問題にもなっている『葬式鉄』……更にもっと種類があって、わりと細分化されている。
僕は好きな車両はあってもそう詳しいわけでもない。時刻表は持ち歩いても確かめる程度。写真も撮るけれど、鉄道の写真だけではない。ラストランだからとわざわざその時だけに押しかけて人に迷惑をかけるのも嫌だ。そういう意味では、僕はどの鉄とも言えない気がする。一番近いのは、途中下車することが好きな『降り鉄』というやつだろうか。
まあ、そんなことはどうでもいい。僕は鉄道で旅をするのが好きなのだ。だから旅人。
この世界規模で見ればそう大きいとは言えない島国の日本。そんな小さな国でもほぼ全域に鉄道は伸びている。まるで人の体内の血管のように。
大動脈のような新幹線や基幹線路、枝分かれする各路線、私鉄、末端の毛細血管のようなローカル線まで、全てが運ぶのは血液でなく人であり、物。
かと言って、線路は続くよ……と歌われるように、線路はどこまでも続くわけではない。離島や海外にまでは行けないし、必ず終点はある。そして、車のように好きなところで横道に逸れたり、停まれるわけでもない。余程の事が無い限り、停まるのは駅だけであり、分刻み、秒刻みで運行される列車に人の方が合わせなくてはならない。
だが、そういう縛りがあるから、僕は鉄道が好きなのだ。また、そんな決められた線路の上にも様々な景色、出会いが待っているから。
そんな鉄路の上で僕が出会った、ある不思議な思い出を語ろうと思う。
あれは、何年か前の夏のことだ。
夏と言っても、まだ梅雨も明けきらぬ、丁度紫陽花が花盛りを迎えた頃だった。
僕は、海沿いのローカル線である駅を目指していた。
そこは、お世辞にも観光して楽しいような場所でも無く、温泉があるわけでも、歴史的な遺構があるわけでもない。本当に小さな田舎町の片隅にある無人駅で、ほぼ海沿いを走る線路なのに、海から離れて山の中に入った所にある駅だ。
その頃、僕はたまに雑誌に簡単な紀行文と写真を載せてもらう以外、これといった定職にもつかずに、アルバイトをして少し貯まれば、それを元手に鉄道の旅に出るということを繰り返していた。最初呆れていた両親も、もはや諦めたのか何も言わなくなった。
伯父が亡くなったのはその年の春のこと。
父の歳の離れた兄であった伯父は生涯独身だった。
長らく離れた所で一人で暮らしていたが、定年を迎えた頃に大病を患い、痴呆も入っていた事から介護が必要となり、亡くなる一年半ほど前に実弟である父が引き取ったのだ。
僕の家の近くのホームに預け、ほぼ毎日父や母が看に行っていた。僕も出来うる限りは顔を出すようにしていた。子供がいなかった伯父は、小さい時から甥の僕を可愛がってくれたから。
そして伯父は、旅人の先輩でもある。
元気な頃は、休みの日には古びたアナログのフィルムカメラ片手に、日本中のあちこちを列車で旅していたのだ。僕も子供の頃に何度か一緒に連れていってもらったことがある。それが今の僕の原点だろう。
昔、僕は伯父に問うた。
「電車でどこへ何しに行くの?」
「特に何をしに行くわけでは無いよ。ただ列車に乗るために旅をするだけ。途中で出会う景色や駅、人、食べ物……大事なものを探しに行くんだよ。見つけた場所が目的地かな」
伯父はそう答えた。
子供の頃はわからなかったその意味を、今僕はとても理解出来る。
今のデジタルの機種のように、その場でどんな写真が撮れたのか確認できるで無い、現像するまでちゃんと撮れているかもわからないアナログのフィルムカメラ。伯父は晩年までそれを使い続けていた。
寝たきりになって痴呆も進み、僕のことも分からない時もあった。元気だった頃の面影が日に日に薄くなっていく伯父を見るのは辛かったが、時折、ふと窓の外を見る目が輝きを取り戻す時があった。そういう時、伯父は決まってこう言った。
「旅に出たいなぁ……」
そして伯父は帰らぬ旅に出た。
葬儀が済んで、遺品整理……とは言っても、長年住んでいた家は引き取る際に処分していたので、そう物は無い。残されたのは、葬儀とホームの費用を賄えるだけの貯蓄くらい。そして大量のアルバムと、愛用のカメラと、カメラに入ったままで現像していなかった一本のフィルムだけ。
落ち着いたころ、父が残っていたフィルムを現像に出した。その中に、僕はある駅の写真をみつけたのだ。
日付はわからないけれど、カメラに入ったままだったことから、伯父がまだ動けた頃に、最後の旅で撮った写真だろう。恐らく五年ほど前。
駅舎とも呼べぬような小さい簡素な建物の写真。他の写真は同じ駅だと思われるホーム。誰も人は映っておらず、ホームには屋根と駅名標、古びたベンチが一つあるだけ。ただ、そのホームの向こうの山際に咲く、紫や濃い青の紫陽花がとても目を引いた。
伯父はいつもカメラを持っていたけれど、フィルムには枚数の制限がある。だから一つの旅の途中、余程心を動かされた時にしか、シャッターを切らなかったのを僕は知っている。
そして、アルバムにも同じ駅の写真が何枚かあるのに気が付いた。写真自体は古びているものの、最後の写真より駅のベンチも綺麗で違う駅のようにも見えた。でも駅名票の名前が同じ。
まだ若い笑顔の伯父本人が映っていることから、誰かに撮ってもらったのだとわかるその写真は、季節は同じくらいでも、今から三十年ほど前の写真だった。僕はまだ生まれていない。
アナログのカメラは今のデジタルカメラのように日付が入るわけではない。それでも、伯父は几帳面な人だったので、現像してアルバムに整理する際に、いつ撮影したのかを記した日付のシールをページの隅に貼っていたことから、撮影年と月日がわかったのだ。
また、アルバムの同じページに、違う場所の写真が数枚あった。ページが一緒ということは同じ日に写したと思われる。
その写真は、駅なのかどうかも定かではないが、工場に似た大きな建物を背景に、ディーゼル機関車が映っているもの。オレンジと一部に白、国鉄時代の色のディーゼル機関車。メジャーだったDD51ではないし、少し小さいDD16でもなさそう。恐らく作業用に改造されたものだと思う。
まず目についたのがディーゼル機関車という自分にちょっと呆れたけれど、僕が更に気になったのは、ピースのポーズではにかんだような笑顔を見せる女の子の写真だった。
背景のくすんだオレンジは工場っぽい建物の前に映っていたディーゼル機関車だと思われる。
小学校の低学年くらいだろうか。おかっぱの可愛い女の子だ。さすがに三十年ほど前とあって、ややファッションのセンスは違うけれど、一回りしていっそレトロでお洒落かもしれない。
この子は誰だろう。たまたま出会っただけなのか、それとも一緒に行ったのか。
駅の方は名前から、どの路線にあってどんな所なのかは、調べればすぐにわかった。
「……何も無い所じゃないか」
これといった見所も、周囲に何もない小さな無人の駅。
伯父は最後の旅で、なぜこの地を訪れたのだろう。なぜ二回もこんな所で写真を撮ったのだろう。何にそんなに心を動かされたのだろうか。女の子は誰なのか。
そして同じ日に写したということは、女の子と写したディーゼル機関車のある場所も近いのだろう。そこにも興味がある。
気になりだすと、僕は居ても立ってもいられなくなって、自分の目で確かめたくなった。
そして僕は、伯父のアナログカメラを連れて旅に出た。
「え? ここ?」
到着した駅の第一印象はそれだった。
僕の好きなローカル線の、一両だけのワンマンの普通列車の旅。道中はとても景色が良かった。
日本海を望む線路、車窓からの眺望は見事で、まだ海水浴客もいない海の静けさ、張り出した半島の瑞々しい緑の山と青い水平線のコントラスト、河口近くの鉄橋……どこも素敵で、美味しいものもありそうな港も見え、途中下車してみたい場所は沢山あった。
でも今回の僕の旅には、珍しく目的地があるのだ。寄り道は帰りでも良かろうと、とにかく写真の駅を目指した。
そして辿り着いたのは、山の谷あいにある本当に小さな駅。僕の他に数人列車に乗っていたが、その駅で降りる人も乗る人もいなかった。
他のローカル線同様、一時間に一本あればよいくらいに、列車の本数は無い。特に昼間は二時間待ちは当たり前だ。この路線には特急列車も観光列車も乗り入れてはいるが、勿論通過するだけでこの駅に停車はしない。
静まり返ったホーム。聞こえるのは鳥の声と、蛙の声くらい。車窓から周囲の山に無理矢理作ったような棚田が見えていたから、きっとそこから聞こえているのだろう。
伯父はこんな所に何をしに二度も訪れたというのだろうか。
丁度写真にあったのと同じくらいの季節。ホームの向こうに迫る山の際に、線路に沿って沢山の紫陽花が咲いているのは確かに美しい。しかし、もっと沢山見事に咲いている場所もあるだろうし、わざわざ観に来るほどではない。
この駅に特筆すべき点があるとすれば、単線の路線なのに分岐があって、一部レールが二つになっていること。でも本線で無い方の線は少し先の車止めで終わっている。その先にも線路のあった形跡も見られるので、かつては専用の引き込み線でもあったのだろうか。
何となく駅を自分のカメラで数枚撮影して、僕は無人の改札の方に歩を進めた。
ひょっとしたら、駅の中では無く、周辺に伯父の心を動かしたものがあるのかもしれない。あの女の子と映っていたディーゼル機関車があった場所とか。
時が止まったままのような木造の改札を抜けると、小さな待合があった。簡素なベンチに近所の人が置いたのか、手作りっぽいカバーの掛けられた座布団が数枚敷いてあるのが微笑ましい。
駅舎の前には、最後にいつ使用したかも怪しいような公衆電話のボックスと、これまた古びた自動販売機が一台あるだけで、賑やかさとは無縁の場所。駅前という言葉は似つかわしくない。それでも数台の自転車が停まっているところを見ると、通勤や通学に乗降する人もいることはいるのだろう。
さて。散策でもするかと歩き始めたその時、先程まで晴れていた空が俄かに曇って来たことに気が付いた。遠く、低い音が聞こえるのは雷鳴だろうか。
一年で最も陽の長い季節のまだ昼の最中、それでも夕刻のように翳った空。かといって涼しくなったわけでもなく、湿度を含んだ空気のせいか、余計に蒸し暑くなった気がする。それに風が吹いて来た。
「……傘を忘れたな。まあ弁当も持ってないけど……」
思わず一人言を洩らす。
日本海の近くに行くときは『弁当忘れても傘忘れるな』と言うのだと、以前近くの路線に来た時に地元のおばあさんが言っていたのを思い出したのだ。天気が急変するからと。そして、風が吹き始めたらじきに雨が降る……と。
昔の人はよく言ったものだと思う。風が強くなったと思ったら、本当に雨が降り始めた。
仕方なく僕はもう一度戻った駅舎の軒下でしばらく雨宿りになってしまった。寒い季節でも無いから、多少濡れたところで風邪もひかないだろうが、カメラを濡らしたくなかったから。
駅舎の横にも水色の紫陽花が咲いているのが目に入った。やっぱり雨に紫陽花はよく似あうなと思う。濡れた花の色は鈍色の曇り空と対照的により艶めいて見える。形のいい葉は雨に磨かれて光沢のある緑に輝く。
何気なく伯父のカメラで紫陽花を数枚撮ってみた。アナログのカメラはピントの調節が難しい。ひょっとしたらピンボケになっているかもしれないのは仕方がない。デジタルに慣れた自分には今すぐ確認できないのがもどかしいが、伯父に言わせれば現像するまでわからないスリルも楽しみの一つなのだろう。
そうこうしていると、誰か傘も差さずに頭にタオルをのせて小走りでやってきた。急に降り出した雨に困ったのは僕だけでは無かったみたいだ。
その人は丁度亡くなった伯父くらいの年配の男性で、駅に電車に乗りに来たというよりは、近くで農作業でもしていたところにこの雨で、雨宿りしに来ただけのような風情に見える。
「おや、先客があった」
被って来たタオルで体を拭きながら、人の好さそうな顔で笑ったおじさんは、僕の顔を見ると不思議そうな表情に変わった。それはまるで久しぶりに知っている人を見たような。
でもそれも束の間で、おじさんはすぐに小さく首を振って、自分に言い聞かせるように呟く。
「……そんな筈は無いか。もう何十年も経っとるのに」
何だか少し胸にざわつくものがあった。誰と僕を間違えたのか思い当たらなくも無いからだ。実は以前にも他所で同じようなことがあった。
僕は伯父の若い頃によく似ていると言われているのだ。父と伯父が似ているので、普通にありえることなのだけど。
「あの、何か?」
一応なんとなく尋ねてみると、おじさんは人懐っこい顔でさらりと答えて話を変えた。
「あ、いや。昔の知人に似ていたもんでな。兄さんは遠くから来なさったのかい?」
やっぱりこの人は昔、ここで伯父に会ったのかもしれない。伯父の足跡を一つ見つけたかも。
でも話も変わったことだし、僕はそれ以上その事には触れなかった。
「ええ、まあちょっと旅行で。おじさんは地元の方ですか?」
「近所のじじいだよ。花壇の草取りをしてたら雨が降って来たんで、休憩でもしようかなと思ってな。しかし兄さん、海の方なら観光客も多いのに、こんな何も無い山の中にめずらしいねぇ」
……地元の人でも何も無いって思ってるんだな。余所者は珍しいのか。
雨は降る足を強め、ザーッと音を響かせて地面を叩き始めた。これでは散策どころではない。
「まあ通り雨だ。すぐに上がるさね。ゆっくりしろと神さんが言っておいでだと思うのさ」
優しい解釈だなと感心した。年配の人が言うと重みがある。
おじいさんはポケットから小銭を出すと、自動販売機で飲み物を買って戻って来た。休憩すると言っていたものなと、何気なく見ていると、僕にも缶コーヒーを一本差し出して待合の方を指差す。
「まあ、座って雨が上がるのを待とう」
そんな、今しがた会ったばかりの見ず知らずの人に奢ってもらうなんて……。
「あの、代金を払います」
「気にしない。じじいの寂しい雨宿りに付き合ってやると思って」
ちょっと呆れたものの、断るのも余計に失礼かと思い、お言葉に甘えることにした。
一緒に待合のベンチに腰掛けて雨が上がるのを待つ。
僕は正直、コーヒーはブラック派なので、砂糖もミルクもきいたコーヒーは甘すぎたが、蒸し暑い中、よく冷えた飲み物は有難かった。
先程、このおじさんは昔、伯父に会った事があるような口振りだったので、その話を聞こうとも思ったけれど、何十年も前の話もどうかと思う。それに何だか聞き辛い。かといってずっと黙っているのも間が持たない。
そうだ。あの写真。地元の人に聞けばわかるかもしれない。
「ちょっとお尋ねしたいのですが、この場所ってご存知ですか? 古い写真ですけど」
僕は伯父のアルバムから抜いて来た、建物とディーゼル機関車の写っている写真を出しておじさんに見せてみる。
返事はすぐに返って来た。
「ああ、懐かしいね。これは製材所だ。昔、山から切り出した木を加工する大きな作業場があったんだよ。この辺の者も製材所で大勢働いとった。そこから港まで運ぶ貨物列車があったんだ。その牽引車だろう」
懐かしむように目を細めたおじさんの様子から、きっと実際に見たことがあるのだろうと推測できた。それもそこそこいい思い出もあるのだろうということも。
「昔はこの辺りももう少し活気があってなぁ。安い外国からの木材が入って来るようになって木が売れなくなって……製材所も、もう何十年も前に潰れっちまって線路も無くなってね。」
なるほど。やはりあの駅の分岐の跡は製材所からの引き込み線だったのか。
「もう建物も残ってませんかね?」
「さてねぇ。址くらいは残っとるかもしれんが、あまり地元の者も行かんでね。ワシも長いこと行っておらんし」
「ここから遠いですか?」
「いや、歩いても十五分もかからんと思う」
わりと近いな。機関車はもう無いだろうし、行ったところで写真の女の子が誰なのかわかるわけもないのだが、せっかくだから行ってみたいかな。
その後、おじさんに元製材所への道筋を聞いた。さすがに元々大勢の人が勤めていた場所だけあってそう険しくも無さそうかな。
結局、伯父の事は聞けぬまま、近隣のグルメ情報や宿などの話をしていると、おじさんがすぐに上がると言った通り、雨は嘘のようにあっという間に止んだ。
「足元に気をつけてお行き」
「ありがとうございます。おじさんも気を付けて。あ、コーヒー、ごちそうさまでした」
ほっこりした時間はここまで。こういう出会いや交流があるので旅がやめられないのだ。
僕は聞いた通りの道を歩き出した。
雨上がりのムワッとした空気は湿っぽいものの、洗い流したような緑の草木や田畑は目に鮮やかだ。ぽつりぽつりと古い民家があるだけの谷あいの山村は、出会う人も無く静か。
確かにいいところだとは思うけれど、こんなところは日本中どこにでもありそうだし、特筆すべきところは今のところ見受けられない。伯父がここを何度も訪れたわけは、僕にはまだ理解できないまま。
やっぱりこれから行く場所に秘密があるのかな。それとも写っていた少女に? 想像を膨らませながら僕は歩いた。
しばらく行くと、舗装はされていてもかなり荒れて路肩に草木の茂った道になった。地元の人もあまり行かないと聞いていた通り、人や車の往来がありそうではない。
木々の間に屋根が見えて来た。かなり大きそうだ。
「あれかな?」
僕はほどなく旧製材所に到着した。
そこに待っていたのは――――。
「まだあったんだ……」
そのディーゼル機関車は、解体にも出されずにそこにあった。
もうあるわけは無いと思っていたのに、これにはかなり興奮した。
製材所の建物の壁は、とおに朽ちて鉄骨の柱だけを残し、あちこち穴の開いた塗炭葺きの屋根が申し訳程度に風雨から守る中、蹲る巨人にも見える。
かつては力強く貨車を引いた巨人は、色褪せ、あちこちに錆びの浮いた痛々しい姿になっているけれど、ただ眠っているだけに見える。もう一度整備すれば動くかもしれない。
でもこの機関車が走る線路はもう無い。運ぶ荷物が無い。
大抵の機関車は古くても車体番号で管理されて、解体されたものも含めてその台数までわかるものだが、個人所有だったであろうこの車体は忘れ去られたのだろう。日本の高度成長期を支えた歴史の証人なのに、このまま保存もされず、朽ちてゆくだけなのだろうか。
何となく、伯父がここでシャッターを切った訳がわかった気がした。
覚えておいてやりたいよね。たとえ写真の中だけでも。
そんな感慨に浸りながら伯父のカメラを構えていて、僕は全く他の気配に気が付かなかった。
「誰か来たよ」
その声が聞こえるまでは。
はっとして、そちらを見て、僕は驚きを通り越して心臓が跳ね上がりそうだった。
いるはずのない女の子がそこにいた。
写真に写っていたおかっぱ頭の少女が!
あの写真が撮られてから何年経っているというのか。なのに歳もとらず、そのままの姿で。
僕は幻でも見ているのだろうか。それともタイムスリップでもした?
いや、落ち着いて考えてみよう。
周囲の建物は写真の撮られた時から、確実に月日が刻んだ老朽化のあとが見てとれるじゃないか。ディーゼル機関車も色は褪せ、あちこち錆びだらけで……。
それに女の子の服も微妙に違う?
驚いたのは僕だけでは無かったようだ。
「あなたは……!」
少女とは違う大人の声がしてそちらを見ると、少女とよく似た顔立ちの女性が、腰を抜かさんばかりに驚いた表情で僕を見ていた。
僕よりは年上だろう。三十半ばといった感じだ。感じからして、少女の母親だと思う。
その瞬間、僕には漠然と状況が理解できた。
よく似ているけど、女の子の方でなく、この母親だと思われる大人の女性の方が写真に写っていた本人なのでは?
でも……どうしてここに? 平日の昼間に子供まで。まあいい、どう見てもちゃんと実在している人間だし、お化けでもタイムスリップしたわけでもないのなら怖くは無い。
「驚かせてすみません。まさかこんな所に人がいるとは思っていなくて」
一応断ってみても、女性の表情は強張ったままだ。お化けでも見た顔だね。
「そうじゃなくて……どうして若い時のまま……」
あっ、この反応。駅であったおじさんと同じ? この人、僕を伯父と間違えてるんだ。
「多分、他の人と勘違いしておられるのだと思います。僕はここに来たのも、貴女にお会いしたのも初めてですよ?」
伯父がここで写真を撮った時には、既に四十近くだったはず。いくら似ていると言っても、僕、一応三十前なんだけど。そんなに僕は老けて見えるのかなと少々複雑な思いだ。まあ伯父は独身だったからか病気をする前は歳より若く見えたからと思っておこう。
それでも女性はまだ納得がいっていないようだ。
「確かに若すぎる気もするけどその顔に覚えが……それにそのカメラ……」
「ああ。これは伯父のカメラです」
「伯父さん?」
僕が伯父のアルバムにあった写真を見て、ここに来たという経緯を簡単に話してみると、女性はやっと笑顔を見せた。なんか、苦笑いっぽいけど。
「私達も同じなの」
「同じ?」
えっと、それはここに来た理由ということだろうか。そう思っていると、女性が話し始めた。
「先日、実家の整理をしていたら、私がこの子くらいの時にここで撮ってもらった写真が出て来たんです。懐かしくて、季節も丁度今頃だったから思い切って来てみたんですよ」
それって……。
「ひょっとして、この写真ですか?」
僕はもう一度、伯父の写真を出して見せてみた。女の子の写っている方のやつ。見るなり、女性の目が輝いた。
「あら! そうです。その写真だわ!」
やっぱり。この写真の女の子はこのお母さんの子供の頃なんだ。焼き増しして本人に送っていたんだな。ということは、伯父はこの女性に偶然出会って撮った写真というわけでは無さそうだ。
「僕はその写真を撮った男の甥なんです。よく伯父の若い頃に似てるって言われますけど、そんなに似てます?」
「ええ。あまりにも似てらっしゃって、同じカメラを持っておいでだから、私、時を逆戻りしてしまったのかと思いました」
「はは。僕も同じことを思いました。娘さん、貴女の子供の頃にそっくりだから」
ひとしきり僕とお母さんが苦笑いしている横で、少女がきょとんと首を傾げていた。
妙な縁で出会った母娘とは、すぐに打ち解けることが出来た。
僕より先に来ていた母娘は、雨が止むのをここで待っていたのだという。平日だけど女の子の学校が今日、創立記念日で休校だったことから、足を運んだのだそうだ。
鉄道好きの男の子ならともかく、女の子がこんなところに付き合わされて、退屈しなかったのかと少々心配になったが、話を聞くとどうも逆なようだ。
「この子、女の子なのに鉄道が大好きで。写真にこの機関車が写ってるのを見て、ここに連れて行けってきかなくて。もう無いだろうと思っていたのに、まだあったから大喜びなんです」
なんと。そういう事だったとは。確かに、大人が話している横で、女の子はすごく熱心に機関車を観察したり写真を撮っている。カメラの代わりが携帯ゲーム機なのが今時の子供って感じだ。
僕は思い切って、女性に伯父との関係を尋ねてみた。
「実は私にもよくわからないんです。母の知り合いとしか」
予想外の答えに、僕が戸惑っていると、女性は懐かしむように目を細めて、微かに微笑みを浮かべながら語ってくれた。
「母はこの近くの村の生まれでね。都会に出て、私を身ごもって帰って来たんです。私は母が結婚するまで父を知らずに育ちましたから、あの写真を撮ってもらった日、母と伯父さんと三人で近くの街へ電車で出掛けて食事をしたり、買い物したり、肩車をしてもらったり……一日、お父さんのいる普通の家庭の親子の気分を味わえて、一番楽しかった思い出なんですよ」
僕は何も言わずに聞いていた。じわり、と胸に広がる予感は、雨の中の紫陽花の色のように青とも紫とも言えぬ複雑だ。
「母はその後すぐに結婚して、私にも父親が出来ました。とても優しい人で、何不自由なく暮らせて、こうして私もいい人と出会って子供も授かりました。でも、心の中であの人が本当のお父さんだったのかな、また来てくれないかな、そう思いながらずっと待っていたかもしれません。だから写真を見た時懐かしくて」
「ああ……」
伯父が生涯独身だったわけが分かった気がする。
ひょっとしたら、この女性は伯父の――だとしたら、僕のいとこになるのかもしれない。まあ確証はないし、今更言わないけどね。
「あの、伯父さんは今どうしておいでですか?」
「数年前に大きな病気をしてから弱ってしまって。今年の春、鬼籍の人になりました」
「そうですか。亡くなったのですね……もう一度お会いしたかったのに」
伯父さんも会いたかったと思うよ。最後の旅にこの土地を訪れていたのがその証拠だと思う。同じ紫陽花の咲く季節に。
女性にとって一番楽しい思い出だったのなら、伯父さんにもそうだったんだろう。多分、この女性のお母さんが撮ったと思われる写真の若い伯父は、駅でいい笑顔を向けていたもの。
理由があってこの人のお母さんとは一緒にならなかったのだろうけど、ひょっとしたら伯父さんがずっと旅をしていたのは、別れた人を探していたのかもしれない。
大事なものを探す……見つけた場所が目的地、そう言っていた。
僕もこの旅で伯父の秘密も、この土地を訪れていたわけもわかったことだし。旅の目的は果たしたかな。
「あ、そうだ。写真を撮らせてもらっていいですか? あのディーゼル機関車の前で。伯父の仏壇に供えてやりたいと思うんです」
「あら、素敵。私にも送ってくださる?」
勿論、喜んで。
「お兄ちゃん、可愛く撮ってね!」
「うん。任せて」
無邪気な少女の声にほっこりした。被写体がいいから大丈夫だと思うよ。念のため、保険代わりに僕のデジタルカメラでも一枚撮っておく。
デジタルの方で、ちゃんと撮れているか確認していると、少女がのぞきこんできた。
「見せて見せて! どんな写真? 他の電車とかもある?」
可愛いから、カードに残っている他の所で撮った写真も見せてあげると、さっきお母さんが女の子なのに鉄道好きだと言っていた通り、目をキラキラさせてすごく嬉しそうに見ている。
「あっ、キハ52だね! 渋―い。今でもあるんだね」
「く、詳しいね。これは千葉で撮った写真で――」
少女はとんだチビ鉄女子だった。僕より詳しいんじゃ……将来がちょっと怖いよ? なるほど、お母さんの写真を見てここに来たがったわけだ。
「お兄ちゃん、写真上手ねー。いいな、色んな鉄道に乗ってるんだね」
上手かどうかはわからないけど、子供にでも褒められると嬉しいものだ。
横で僕たちの様子を見ていたお母さんの方が僕に尋ねる。
「プロの鉄道写真家さんですの?」
「そんな上等なものじゃないですよ。僕はただの鉄オタの旅人です」
後日、僕は現像した新しい写真を母娘に送った。
考えてみたら、同じ写真を頼りに、同じ日に同じ場所を目指して来て出会ったなんて、偶然どころか奇跡としか言いようが無い。
僕が思い立って写真の駅に来たのが一日違っていたら、お母さんが写真を見つけなかったら、女の子の学校がその日休校日じゃなかったら。雨が降って僕が駅に足止めされて、あの時間に行かなかったら。ほんの少しでも違っていたら、僕達は絶対に出会うことは無かった。
あまりに出来過ぎていて、何か不思議な力が働いたとしか思えない。
「……伯父さんの仕業だろ?」
僕は思わずアナログのカメラに向かって言ってみた。勿論返事は無い。
だけど伯父は生前、人を驚かせたり喜ばせるのが好きな人だったから、きっとそうだと思うんだ。それとも、あのディーゼル機関車が寂しくて呼んだのかもしれないね。
今でも、あの母娘とはメールや電話で交流がある。歳は違えどチビ鉄女子とは話も合う。僕も伯父の影響でこうなってしまったわけだが、その遺伝子は引き継がれているのかも? またあの駅にも訪れる機会もあるだろう。僕の旅の目的地が一つ増えた。
決められたレールの上を走るだけの鉄道を、人生に例えるのは面白くないと言う人もいるかもしれない。それでも僕は一人の人間の一生は、各駅停車のローカル線の列車のようだと思うようになった。
一人一人の専用の路線を走る列車。
悲しいことや苦しいことであれ、楽しいことや嬉しいことであれ、全ての特別な一瞬は駅。生まれた瞬間に始発駅を出発し、駅々で様々な人を乗せ、別れ、また出会い……人生の終着駅に着く時まで走り続ける。
短い路線もあれば、長い路線もある。時には駅からなかなか発車できないかもしれない。レールから脱線するかもしれない。トンネルもあるし、レールが傷めば保線の作業員のような人の助けも必要だろう。
でも、振り返れば辿って来た軌道は確かにある。思い出という駅も。
その人が終着駅に着き、その路線が廃線になったとしても、誰かそのローカル線の列車に乗った人がいれば、記憶の片隅にでも残るかもしれない。
僕は、伯父という列車が駆け抜けた路線にある駅を、ほんの少し振り返ることが出来た。
僕はこれからも鉄路の上の旅人であり続けるだろう。
様々な人と出会い、時に不思議なことにも遭遇し、学び、感動し……それが、いずれは僕の人生という名の軌道として残るかもしれないから……なんて、偉そうに思ってみる。