熾:かをくもる
傷を癒す花。私が彼に供えた物はそう言う意味を持つ花だった。紫馬簾菊。エキナセア。ヨーロッパでは妙に好かれている薬代わり。手にまだ香りが残っている。私も傷を癒す必要があるのだろう。手を鼻にやり曇る顔に香をくもらせる。家屋の屋台骨を焼いた臭いの代わりについた匂いにしては綺麗な香りだ。綺麗な香りに限って、他の異臭と混ざって臭くなる。きな臭く鼻につく匂いが手を染める前に、花香る手を洗い流す。そっぽを向いて、一歩踏み出そう。動きはそれらしくても、だるまさんが転んだじゃないんだから、誰も目くじら立てない。私をお手玉しようとする居るか分からない鬼のような現実の追跡は逃げるか隠れるに限る。一番泣きたいのは私じゃない。泣くように目を隠している鬼も違う。澄香。抽象を嫌う彼女だ。皮肉が酷い。極めて現実的な暴力で、傘を一緒に使わずとも並べるくらいの関係だった人を壁の花模様にしてしまうのだから。ただの平仮名に払い戻せない無責任な感傷を3回に分けて吐き出す。これで最後だ。
『君はこれからどうするんだい?』
ヨミが秒針の代わりに私に問う。
「白線も赤信号も踏み越えた。後は渡せなかったものを渡すだけ。」
猩々緋のジャンパーに目をやりながら答える。彼は宇宙人でも見たような顔。冷静を取り繕う。氷点下。私の顔の上には、霜柱がある。それが偽りの外面を持ち上げている。
『文哉の行方は分かるのか?君と文哉を繋ぐ蔦も壁を壊す槌も遠くを見る筒も伝手も無さそうだけれど、その務めは果たせるのかな?』
心配そうな目。保護者のような声音。冷めた私にはむず痒い問。立つ足の骨を抜こうとする。
「分かるよ、ヨミ。この集落にはもうやって来ている。それが分かれば充分だ。」
あうときはストーキングして、狙いすまして会うより、自然に逢わされた方がいい。心の用意をする間なんてあるだけ無駄なんだから。言葉を取り繕うと文面が耳に届く頃には腐っているだろうし、声に出さない本当の意味が隠れる気がする。それでは、目に消えない隈を作るのみだ。融通の効かない憂鬱が頭の中で美しく俯く。まるで咲く花。白いアネモネ。
『そうか。』
ソラから降ってくる言葉。
ヨミは文哉がしない顔をしている。社交辞令の定型に当て嵌めて大事なところにモザイク。何か言いたげな顔だ。全然違うのに、何故か文哉の物憂げな顔がフラッシュバックして、心に刺さる。心臓に毛が生えても全てが枝毛ではしょうがない。目を逸らして、
「あぁ、そうだよ。」
と誤魔化す。マネキンの笑顔。ヨミはガワだけ温厚な笑顔を浮かべる。
『じゃあ、餞別だ。文哉が置いてった資料。名前には……まぁ、見てやってくれ。』
非常に見慣れた名前が、見慣れない役職と一緒に並べられていた。
【白眉情報新聞特命情報員 遊佐木】
私はまずこいつに遭わなければいけないかもしれない。そう、思った。




