澄香:『妥協』After all Back to Back
『ウサギなら、もう少し寝ていてもおそらく大丈夫だろうけど、キミはウサギではないだろう?まぁ、ウサギだとしたら、キミを追うカメは残念ながら時間だけなんだけれどね。律儀に寝てようと起きて怠けてようと、真面目に動こうと、それより早く均等なペースで動き続ける厄介なシロモノだ。だから早く起きたまえ。』
開けたくない目を開けて、知らないし知りたくない天井を見る。あぁ、私はきっとこの銃で……。今の私なら空気でだって掠り傷を負いそうだ。この男のせいだ──遊佐木斎。この様子だと、恐らく比較的安全な場所に私を運んでくれたんだろうけれど、感謝どころか憎悪すら沸いて来ているのは、全てが私のせいではない筈だ。軽く会釈して、その先に中指を立てて去ろうとする。
『ああ、嫌ってくれて構わない。死ぬほど恨んで当然だ。私は人情より仕事を優先した。君は当然のように自己の倫理観の天秤にぶら下げて、私に怒った。それだけだよ。』
人に人を殺させておいて、異常にさっぱりしている。普段柔く茹でているパスタを気分転換でアルデンテに仕上げる時みたいに。明らかな虫酸が背中を掻き毟り、泣きじゃくって理性を壊そうとする。此奴こそ銃で撃ち殺してしまえ、と。
『はは。私を殺すのかい?それは傑作だ。もう死んでいるというのに。』
逆撫でるように嗤い狂う遊佐木。作られた物の様な違和感
「何を言って……」
『ああ、そうさ。この420番街には今のところ三人の犠牲者がいる。私、熾、坤野だ。別に関係ない話ではあるが、このうちの二人はこの銃による自殺だ。それで罪を被った。この世界が終わるまで、一生出られないんだとさ。まるで監獄だ。だから、罪を恐れる訳にはいかないんだ。』
狂う……と言うより狂おうとしている。この男は。ただその理性に包まれた狂騒が恐ろしい。怒りを冷やすかのように、背中に冷や汗が無数の線を引く。鋏で切るみたいに。銃が一つきちんとした意味を持ってしまった。身代金目当てのテロリストの威嚇とは別物。銃殺。イチゴジャムやらトマトジュースを零したのでは無く、人の腹をかっ捌き、出た本当の血液。坤野さんはどうせドス黒いだろうと思っていたけれど、しっかりと赤色だった。そんな確認なんかしたくなかった。このままだと私も殺されてしまうだろう。彼の狂騒を包む理性はとても信用出来るものではない。もう彼の狂騒と理性は杯を交わしてしまっているだろう。逃げるしかない。適当に手近なテーブルを横に蹴飛ばし、足早に走った。あの時のように、花下忘歸はないけれど。




