熾:世界に現れた全ての銃は火を噴かなければならない À la recherchedu temps perdu
さよならを言わずに過ぎていく時間を消しゴムでゆるくなぞり、その消しカスの上を歩く。白日に曝された巨大な人形のような街を見渡す。私がこの街に迷い込んだときに聴いたあの銃声が色濃く残っている。事情を知らなくても気がつくのではないかと言うくらい。坤野が死んだ。流星群の中にきっとアイツの星もあったのだろう。空に向けて手を合わせ、目を瞑る。届いた気がするまで。
風が包み込むように通り過ぎ、目を開ける。もう銃の痕跡は掻き消えていた。時間の流れは容赦なく、残酷だ。私もやるべきことをしなければならない。
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カササギの橋が都合よく用意されている織姫や彦星と違って、私と文哉は簡単に逢うことが出来ない。営火の煙は辿れないし、繋ぐ糸は焼けてしまっている。しかし、私の夢が描いた虚像を自画自賛するようだけれど、何故か逢える気がする。星はこちらでも流れた。斎から貰ったメリージェーン。あの虚像と揃える為に二つに巻き変える。近場の商人から、適当なグラスを二つ買い求める。事情を知ってる人は、私を愚者だと思うかもしれない。見えもしない架空の夢とか言う偶像に縋るなんて、誰もが頭に持ってるその人なりの常識に照らし合わせても、殆どの人が滑稽だと言うに違いないから。しかし、そんな居るかどうかも分からない──これこそ虚像かもしれない──人の視線なんて気にしてられる余裕はない。水の上を流れる氷のように繊細な時間はもう溶けたのだ。警戒するべき視線は、あの二つだけだ。
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人の森に不法侵入している気分だ。木と木の間に張っている見えない蜘蛛の糸を、神経質に避ける。今のところ彼女の姿はない。停滞がお好みなら、常に部屋でじっとしていて欲しい。ほっとして、隠れていた電柱に寄り掛かって、胸に手を当てる。心臓は今のところ死んでいるみたいに静かだ。頭と体の各種機構の焦りに呆れていたら、心臓はそのグループから溢れてしまったんだろう。
『熾さん──かな。』
まさに寝耳に水と言った感じに、私を呼ぶ声が聞こえた。焦る足のタップダンス。通り魔的に砕ける木片。乾燥した音。
『驚かしてすまなかった。しかし、そこまでかな?普通の通りで、馴染みの人に声を掛けただけなんだが。』
温和なテナーの声。文哉によく似た顔をした男性が笑みを浮かべている。
『文哉の親父、ヨミだ。ヒツジに花を手向けてやりたくてな。』
あの庵を久しぶりに留守したよ。と曖昧な顔をする。洗って無理やりドライヤーで乾かした後の古いタオルのようだ。ガサガサと生乾いている。あの流星群を見て、彼も湿らしたのかもしれない。悲しみの初期微動をやり過ごし、S波が来るまでの冷静なときに弔おうとしている。
『アイツの別れを湿っぽくしたくないからな。』
顔と周りの空気を注意深く見ている私に苦笑いして言う。正直、垂氷が何処に居るか分からない以上、終点に行くのは危険だ。だが……。震源がこの世界の犠牲者というのは無視出来ない。私にとっても活断層なのだ。神妙な顔をして頷く。恐怖を押し殺し、安心感を捏造する。私も花屋で紫の菊でも買っていこう。




