坤野:未申の方角 Bootleg And Devil
あれほど重かったカーテンがようやく引けると思った。この終点でまるで神経衰弱のように記憶を探ってひっくり返しては揃えて並べたことが走馬灯となり、頭を覆う。覚えのない過失が渋い果実のように捨てられて、自分の理性が削られる。しかし……。澄香ちゃんは遅疑逡巡、右顧左眄。無理を強いてしまっていることに心が痛む。しかし、彼女が進むためには私をこの世界から蒸発させなければならない。選果クズのように捨てる必要があるのだ。無責任と思われるかも知れないが、私は自分の欲望そのままに
「私を銃で楽にしてくれ」
と言ってしまった。終点で死刑囚のように生きるのは、私を著しく変えてしまったらしい。アイツが来ている時は何故か用心深い貝のように全く口が開かなくなってしまったし、体も溶けたかのように殆ど動かなくなってしまった。壁に体重を預けないことには立つこともできない。目を入れることすら出来ない達磨だ。『白痴』でムイシュキン公爵が言っていた、『魂の侮辱』とはひょっとしたらこれも指すのかもしれない。
澄香は、首を横に振った。それと同時に私の願いを棒に振った。そうこうしている間にアイツが来る。
『それで、良いんですよ』
と得意げに。自分の思い通りになったことを喜ぶ子供みたいに。私は口を挟めなくなってしまう。しかし……。
「君には、逢わなければならない人がいるんだろう?」
何度も開け閉めをして水滴を吹き飛ばした傘を無理やり絞るみたいに一文字一文字ゆっくりと産む。水に滲んだボールペンの字を口でそのまま表現したら、きっとこうなる。それか、教科書によく載っているシンナーを吸いすぎた人の字。どれも碌でもないことには変わりないが。私をダイヤの原石扱いしないで欲しい。私は綺麗にならない。ただこときれるだけだ。
澄香は心あらぬ顔で頷く。私より切れてしまいそうな糸。このままでは凧が飛んで言ってしまう。棘を切り離された薔薇と酷似したその姿。到底人を殺すことは出来ないだろう。薔薇は棘があるからこそ魅力で人を殺すのだ。あぁ、嘆かわしい。この状況が。
***
──目は口ほどに物を言うというが、今の無言は、目よりも明確なことを言っている。塗りたてのアスファルトと雨の匂い、ガソリンスタンドからする臭いが混ざった憂鬱。見る人が見ればこの逃げられない陰湿な暗がりと組み合わせて芸術と呼ぶかもしれない。さしずめ、この世界は陰惨な集合芸術だ。私の死は少なからずパンチのある赤色を遺すんじゃなかろうか。
満ち欠けも忘れた紙の月は、水混じり薄青の絵の具を服に数滴こぼしたような、怠惰に弛んだ装いをしている。薄暗いところによく映える。
妥協した安物の絵の具は、圧政君主に怯える村娘を切り取ったみたいだ。
どの絵の具を切り取っても、沈黙が色濃い。終点はそんな場所だった。明日見える月は相当綺麗に違いない。何せ私が見れない。




