文哉:僕が何者であるのか?
こんな小屋に棲んでいる人間はどんな人間なのだろうか?少なくとも、山の下に居た一般的過ぎて誰でもある程度十年先まで見通せるような人生を送るような人々とは、同じ種類の人間とは言い難いだろう。ここは、山奥の更に山奥だ。霞を食って生きていけるような人間でないと永住など出来たものではない。この扉の先に僕が会わなきゃいけないひとが居るだけが確かだ。そう考えて扉の前に進む。すると待ち構えたように、
『どちらさまですか。』
ドアの奥から頭が痛そうな男の声が聴こえた。水分の欠けた空間に寒々しく響く。氷を壁にコチコチと当てているみたいだ。僕はどちらさまなんだろうか。何を成すわけでもなく、何かに邁進している訳でもない。ただ、死んでいるみたいにゆらりゆらりと海に浮いてるみたいな人間だ。諦観を怠惰に受け止めているだけ。ただ下向きの考えを嘆息と一緒に吐き出すだけの人生をこの世界に来るまで続けて来た。考えるのを止められたのは、彼女のゆらゆらとした瞳に溺れていたときだけ。一頻り考えても何だかよくわからなかったから、
「ただの文哉です。」
と答えた。しっかりした返答がどうかは分からないけど、浮いた空白の一ページが見える。カツカツと時計の針を刻むような啄木鳥の啄む音が聴こえる。
「文哉……か。分かった、開けよう。」
淡い青色の言の葉がぽちゃんと落ちた。扉がそれを追うみたいに開く。開いた先に見えたのは……
「お、お父さん……。」
「文哉、よく来たな。」
父親長き--根拠は無いけれど長く流された漂流物みたいな趣が見えたから多分長いんだろう--孤独の中で人間としての貌を確実に変えていた。彼は、鋭利に研ぎ澄まされた瞳を二つ持っている。
「来たよ。この山がどうやら出口らしいから。」
『そうか。この山は厳しいぞ。何せ一般的な恐怖のサンプルみたいな人の根城だ。』
今更だと思う。それが本当だとしても。そんな態度を察してか、彼も色付けが黒ずんだ息を吐き出して言う。
『まぁ、入れ。少し話そう。』
***
家は、山小屋というテクスチャをそのまま引きうつしたみたいな物だった。どのように生活するか分からない希望だけ全部叶えたつもりになってるモデルルームみたいだ。空虚で電車の側溝を覗き込んだみたいな恐怖が身を掠める。
『酷い場所だろ?ここは。』
前提条件を確認するみたいに父は言う。黙って首を縦に振った。
『まぁ、これくらいは住めば勝手に都になってくれるものさ。こんな山の押し入れみたいなところでもな。』
そんなものなのか。まぁ、どうでもいい。そんなことより、
「お父さんはどうしてここに居るの?」
あの大男は、問題の渦中にお父さんがいると確かに言っていた。だけれども、それは、まだここに居る理由にはならないだろう。むしろ離れるのが自然に思える。
「この山を終わらせないと此処から出られないからさ。この世界から。何も好き好んでいる訳では無い。好き好んでこんな部屋の中でも雨が降りそうな所にいるわけが無いじゃないか。」
部屋の中でも雨が降る……。分かる気がするが、そんなことは決して大きな問題ではない。問題はその前だ。この世界から出られない?お父さんもあっちから来た人間なのか??そんな驚きを見通したみたいに目の前の男は嗤い乍ら言った。
『遊佐木君に聴かなかったのか?まぁ、あの後すぐ来たにしては遅いか。まぁ、それでもここを踏み越えなければならないのは変わらない。取り敢えず座れよ。話をしよう。』
そう言って、お父さんは2つのグラスに少量の酒を注ぎ込んだ。




