文哉:微睡み揺蕩う
目を開けると見知らぬ天井が目に入る。僕は何をしなければいけないんだったか。それすらも曖昧だ。煙が目に染みる。どうやらここに居るもう一人の人間は朝からハードな煙で身体を燻しているようだ。たまらず起き上がると、
『おはよう。随分とお寝坊さんだねぇ。もう太陽が天辺まで上がってしまった。』
揶揄うように彼女は笑いながら、そう言ってアルミフォイルを差し出してきた。
「昨日の夜は大層長かったから、仕方がない。その分だけ朝が短くなってしまったんだろうなあと思う。」
アルミフォイルを貰って吸う。時間を少しずつ広げるように。考え過ぎる夜を短くするように。
そして唇を合わせる。違法さに染められてしまった中古なキス。考えが吸い取られてしまうかのようだった。
『君は相変わらずだねぇ。まだまだ考えている。まるで思考の入れ物みたいだ。昨日足腰がしゃんとしなくなるまで吸い取ってやったはずなのに。』
「基本的に、人間は考える葦なのだから仕方がない。君は違うのかもしれないけれどね。」
『まるで私が人間じゃないみたいな口ぶりだなぁ。』
「そんなつもりはなかったんだけれど。でも君は人間のつもりだったの?」
『救いようの無いくらい人間さ。起きる度に起きたくなかったと毎度思う程度にはね。』
自嘲するように彼女は嗤う。どうしようもない問題に諦めているみたいな微笑み。
言の葉を継ぐのは無粋なような気がして、ただ空間に微睡む。それが正解か分からないけれど。ゆっくりと溺れ死ぬかのように。
『今、君のいる場所……何処だか分かるかい?』
何を言いたいのだろうか。僕がいるのは……。
『そうだよ。この世界の名前は【420番街】って言うんだ。油断すると何処にも寄る辺がなくなってしまう。君は今それでも立てるかい?』
立てる……のだろうか。僕はもう一度訳の分からぬこの世界に一人で。この宙ぶらりんになっている自分の糸を捨てて……
『すまない。余計なことを言ったね。君にとっては、釈迦に説法か。』
いや、そんなことはない。僕がしなければならない事としたくない事が一致してしまっている事に僕は目を向けていない。それは……現実からの逃避なんだ。
『それもわかってる。君と私はかなり似ている。お互い分かり合うと迄はいかなくても。まるで同じように作られたのかのように。』
ささやかな毒を少しずつ盛られているような感覚。冬場の炬燵に入ったあとのようだ。この逃避した場所から出たくない。
『君は知りたくないかもしれないけど教えておこう。君のこの世界に於ける目印になるからね。』
一呼吸置く。大事なことを伝えることを警告するように。
『私の名前は熾。君からいずれ離れなければならない人間だ。』
一抹の寂しさを感じる。殆ど何も知らない関係のただ良く似ているだけの肉塊の筈なのに。
それは、彼女に溺れてしまっていることの証左だった。




