澄香:夜の方が好きな私は空間の包容力を求めている。
行き着いて見ると見えたのは、いい加減変えた方が良いのではと毎度の如く思っているシャッターだった。通りに等間隔に置かれている街灯に照らされたシャッターには紙が着いていたらしき痕跡が残されていた。風に乗せられて紙は旅に出てしまったようだ。風は人間にとって善い仕事も悪い仕事もする。まるで善悪を均等にするかのように。
このまま外に出ていても良い事はない。家に帰ろう。悪いことを塞き止めるには鍵のついた扉など気休めにしかならないのは忘れてしまおう。外はもうすぐ裏社会の住人の時間だ。
走って来て息も上がっていると言うのに休憩もせずに走り出す。謎の恐怖感が脳を支配していた。何を私はこんなに怖がっているのか。
何で?
何で?
頭の中を切り裂くような危険信号が溢れる。ひょっとして私は火奥を怖がっているのだろうか。ただ抽象的な中傷を加えてくるだけの猩々を。
あんな奴!あんな奴!と思っても脳内を席巻する震えに似た何かは居なくなってくれない。こんな事初めてだ。今迄はたとえ虚構でも言い掛かりでも、【この人はこんな人間なんだ】っていう醜悪な塗り絵を頭に満たせば恐怖感なんて隠れて見えなくなっていたのに!
家のドアを開けて素早く入り鍵を閉めて溜息か深呼吸か判然としない息を吐く。何故か、恐怖感は吐き出された息と一緒に夜の空気に溶けていった。相も変わらず沈黙を守っているけれど、夜の空気は少し濃密になったようだ。窓を開け網戸を引くと、空気を重くしている何かはゆっくりと、ゆっくりと雲散霧消した。人間の悩みや恐れを受け容れるために存在するかのような、包容力はまた余裕を取り戻していた。
コンポにすっかり骨董品になってしまったiPodを繋ぐ。サックスがメインのジャズスタンダードが流れ出す。それを確認して、本棚に入り切らずに積んでいる本の1番上を開く。読んだことの無い-読み終わった本にそこまで関心がない為適当に積んでいたりする私にとって珍しいことに-本だ。夜の一室を満たしたジャズの空気の効用か知らないけれど、一気に読み終えてしまった。緩やかな空気間の中新しい本を握る。曲は最後のワンコーラス-クラリネットらしからぬクラリネットの低音がいい味を出していた-を流しているところだった。アルバムの最後の曲に有りがちな最後の空白に物寂しさを感じていると、今までの空気を一気に変えてやろうとでも思ったのか、シャッフルの悪戯で東京事変の丸の内サディスティックが流れ出した。何処かセクシャルでアンダーグラウンドな雰囲気が空気を満たしていく。スタイリッシュだ。この曲は他の音が聴こえないような真夜中にもよく映える。カウンターに置きっぱにしてあったすっかり冷めてしまっている朝淹れたコーヒーを飲み干す。酸味が変に現れていて当然美味しくなかったが、すっかり乾いていた喉には丁度良い冷め具合だった。
そろそろ寝なければならない。気づけば短い針はてっぺんを超えていた。私はこの微妙な切なさはあまり得意では無い。寝ると決めると一気に眠くなるもので、絶対後悔することは分かっているのにソファで目を瞑る。目の端にはもう感情の残滓がこの時を待ちわびたかのようにやって来ていた。その感情の残滓はきっと目の下に溜まり睫毛と目の下を接着してしまう。物理的にも感情的にも前が見えなくなってしまいそうだ。そう言えば、夜にはこんな下向きな思考をしてしまう側面もあったな。
そんなことを考えながら私は眠りに落ちた。




