文哉:マフラーをとると視界は広がるけれど判断力を著しく損なう
情報集めは、割と重労働だった。最初は割と好意的に話してくれた人も居たが、コミューンの事は皆口を噤む。地元の問題に巻き込まれたくないってことなのだろうなと推察する。正直言って、僕だってこんな所迄来て首を突っ込むのはおかしいと思っているから気持ちは良くわかる。しかし、僕はこの問題に触れずには居られないのだ。僕の好む好まざるに関わらず、多分ズレても一週間後に足を運んでいたはずだ。
収穫があったのは、結局一件だけだった。街の情報通と言われる某喫茶店の店主-狸のような笑顔のオッサンだった-の話は僕からしてもかなり苦い物で首を突っ込んではいけないものに、僕は野蛮な好奇心により身体ごと浸している事を実感せざるおえなかった。ヤクザとコミューンの争い。それだけでは無さそうな雰囲気である。そもそもあの店主もかなり老獪な感じである。あそこ迄物を知っている事を鑑みると何処と無く薄気味悪い。
薄気味悪い要素は他にもあった。喫茶店の壁に掛けられた額縁の中に何も存在しなかったのだ。有るのはお祝い品のように高そうな額縁には不釣り合いな空白-何かが入っていたことだけは確かだ-だけだった。僕は過敏になり過ぎているのかも知れない。頭を冷やす為にマフラーと帽子を取る。視界がハッキリして遠くの方も見えるようになったが、相変わらず誰も居ないようだった。今更やって来た寒さが体を襲う。寒い。判断力を著しく奪う寒さだ。僕は慌ててマフラーと帽子を再び身につけた。
『そうだ。そうだ。襟は閉めておきなさい。心に不純物が入る。君みたいな心に穴だらけの人間は一瞬で汚染されてしまうぞ。』
またあの時の声が聴こえた。相変わらず具体性を削ぎ落とした声だ。それなのに問答無用で【この人の言っている事は本当だ】と信じ込まされてしまうのは、昨今の詐欺被害者のようだった。
『失礼だなぁ。人の事を詐欺師呼ばわりするとは……。』
そりゃあ当然だろう。こんな姿も形も見せず、言葉すら形が無いのだから信用しようったって無理がある。
『でも、信用してしまうのだろう。愛いなぁ。』
別に気にならないけれど-自分でもこの思考がかなり痛いのを分かっているから-馬鹿にされてるようだ。
『本当に落ち着いてるねえ。そう言えば君は名前を聴いたりしないんだね。』
【どうせ君は名前なんてただの記号。中身とは全く関係の無いものだよ。寧ろ偏見やら誤解やらを生み出す最悪の物なのだから言わない事にしているんだ。】とか言うだろうと思って聞かなかっただけだ。そして、後ろから呼び掛けるなんて事態が君にはなさそうだからそんなもの要らない。
『当たりだねぇ。そんなにわかりやすいかな。』
声に苦笑の色が見える。いい加減姿を見せてくれると有難いのだが。何か周りの人がいなさそうなのは分かるけれどキョロキョロしているのを誰かに見られたら、今色んな事を聴き回ってる身分だから無駄な疑いを受けそうだ。
『分かったよ。じゃあ姿を見せよう。この道の先の右にある路地裏に店があるからそこに入ってきたまえ。』
そんなもの無かったはずだけれど、指示通りに歩いてみる事にした。この人相手にどうやら常識何かは通用しない。さっきなかったはずの道を右に曲がると怪しげなBARが見えてきた。
名前は『420』
相変わらず何の事か全く分からなかったので投げやりにその木製のドア-木製のドアノブなのに何故かひんやりしていた-を乱暴に開いた。




