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ソラのイロ  作者: 亜房
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『諦める』

『諦める』


この言葉は大体状況が悪い時使われる

つまりこの言葉に溢れた僕の人生は大体状況が悪いということなのだろう。


こういう事を僕が言っているのを聴くと

聴く人聴く人が『たまにはいいことある』だの『みんなそういう思いしてるんだ』とか

無責任な言葉で傷口を埋めようとして広げる

別に『いいことが1つも無い』訳ではない。幸せそうな他の人の人生からして見ればちゃちなものかも知れないが

例えば『こんな所に見晴らしのいい静かな場所があったなんて…』とか。『意識せずにバス停に行ったら着いたタイミングにバスが来た』とか。

下らないと笑えばいい。僕は確かにそう言うときに幸福を感じるのだ。


しかし、『禍福は糾える縄の如し』とはよく言ったもので、人生で感じた幸福を打ち消して余りある悪いことが身を打つものである。身体の痛みであれば底意地の悪い後遺症ですらも消せるような時代だが、精神的苦痛は一時的に忘れたとしても『類似的な事態』が起こった時に確実に心を苛み醜い爪痕を残す。


それを言うとみんな形だけ聴いて、『それは大変だ』って形だけは立派な包装に包まれた言葉をくれてその後はすっかり関心も無くなったかのように遠くに行く。そして僕の『他人』についての記憶力の希薄さによって意識からサッとはける。そういうことを繰り返して僕はこの長く苦しい『余生』を乗り越えてきた。当然、夏休み冬休みなんて思い出が出来るはずもない。ひたすらに空虚な時間を判を押したように同じ行動をして生きるのだから。

それこそ【咳をしても一人】【こんな良い月を独りで見て寝る】といった尾崎放哉氏の俳句を引用したくなるほどである。

そういう風な事を言うから変な目で見られてこんな風な状況になっていたのだったっけか。まぁその状況が味方して書に触れる時間が年を追うごとに増えに増えて色んな良書に巡り会えたと考えるとそれはそれで趣があるなぁと感じることが出来る。『一人である』って言うのは必ずしも『惨め』じゃないし、可哀想でもない。ただただ死ぬまでの暇とか自分の周りに出来てる隙間を埋めるのに他の人より苦労するだけなのだ。



だからこそ『一人』の人は強いのだ

他の人と違って自己承認を人に頼って居ないから。誰が居ようと居なかろうと自分が自分である事には全く影響を及ぼさないから。確かにこの強さは本物の強さとは程遠い。しかし、その事実を理解していても見て見ぬふりをし続けることが僕のような人間の義務であり権利だ。僕は余生を淡々と終わらせるにはそれだけで十分だろうと本気で思っていた。


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