帰還
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「おい、アイリス。いい加減機嫌直せ。たかが置いてかれた程度だろうが」
「置いてかれた程度で済まされるほど簡単な話じゃありませんよ。全く……タクマさんは結構酷い性格してますね。流石は魔王様です」
フォルセクス公爵家の屋敷を後にして、大体三時間後くらいだろうか。
場所はアイリスの両親が営む宿屋。
その食堂と当てられた一室にあるテーブルを挟んで俺とアイリスは対峙していた。
テーブルの上には朝食である小さなパンと、質素な皿の中に出来立てらしく湯気を立てながら甘い香りを撒き散らすスープが二人分用意されて、それぞれが俺達の前に置かれている。
しかし、それを手に取り口へ運ぶアイリスの表情はと言うと、あまり良いものではないと言えるだろう。
「ほら、実家の飯が食えてるんだ。もう少し笑顔で食えよ」
「今のわたしにそれが出来るとでも思ってるのですか?」
愛らしくも柔らかそうな頬を膨らませ俺を睨む少女は、その鋭い眼光を更に研ぎ澄ませて告げる。
その理由は勿論昼間俺が彼女を置き去りにして一度家に帰ったことにあるだろう。
自業自得と言われてしまえばそれで終わりだろうが、散々俺は謝っているのだからネチネチと根に持つようなことはしないでほしいものだ。
女は恨み深いと聞くが、まさにその通りだなと思いながら俺はパンを口に含み、ソレを軽く咀嚼してスープと共に強引に流し込むと
「お前が苦労したのは分かるが、ゲトをそのままには出来ないだろ」
「それくらいは分かってますよ、わたしだって結構タクマさんに迷惑はかけているのですからソレに関しては別に何とも思っていません。けど、それにしたって酷いと思いませんか? わたしだって頑張ったのですから」
「本音は?」
「ちやほやされて少しだけ嬉しかった……わけではないですよ!?」
俺から見て彼女の怒りというのは然程酷いものではなかった。
それこそ、俺に対して殺意すら向けてくる何処かの誰かに比べれば、少しばかり不機嫌な程度だ。
だからこそ本当のところはどうなのかと聞いてみれば、割と口の軽い彼女だ。
簡単に本音を口にし、慌ててそれを訂正するがもう遅い。
結果的に自分の本心を口にしてしまったアイリスは、視線を落として顔を真っ赤に染めてしまう。
「まっ、お前がどう思おうが知ったことじゃ無いけどな。一応、俺の正体だけは明かさないでくれた事には礼を言っとく」
「うぅ、あんな場でわたしのお師匠様は『魔王』なのだと口にするわけにはいきませんからね。街を救ったのに頭のおかしい娘だと思われてしまいますし」
流石に目立ちたがり屋なアイリスと言えども、多少のところは自重するらしい。
何でも俺に置き去りにされた後にジャンニを含めた国のお偉いさん方の訪問を受けて、根掘り葉掘り事情を聴かれたのだとか。
その時は置いてけぼりにされたショックとか、身体に残る疲労のおかげでまともに返答することは無かったらしいが、仮に彼女に返答するほどの体力が残っていたかと思うと、寒気のする話だ。
「でも、本当に危なかったんですからね? あの場で意識が遠のいてフラフラの状態で無ければ、確実に暴露してた自信があります」
「その時は二度とお前の前に俺は姿を現さなかっただろうな。最悪、お前を消してたかもしれないし」
「じょ、冗談でも殺すとか言わないでくださいよ!」
「いや、本気なんだが?」
俺としては惜しいと思える人材を手放したくは無いが、あくまでもアイリスが俺の平穏を奪い去るつもりなのならば躊躇わない。
それまでの余裕めいた表情から一転、真顔で口にしてみればアイリスは息を飲んで冷や汗を流す。
小さな身体が更に縮こまり、小刻みに震えるその様は追い込まれた小動物のようだ。
「まぁ、今回に限っては俺にも非がある。殺しはしなかっただろうけど、地獄は見せたかもな」
「本当の事でもそんなことは言わないで下さいよ。自分が殺されるところが簡単に想像出来るんですから」
「まぁ、今のお前じゃ俺には勝てんだろうからな」
万に一つも可能性が無いと断言してみれば、アイリスは目の前のスープとパンを食べきり、後ろに立て掛けていた聖剣を取って俺に見せ
「この聖剣の加護を最大限に活用出来るようになってもですか?」
「まぁ、そうだろうな。聖剣の加護は結局持ち手の能力を数倍に引き上げるだけみたいだし。お前みたいな体力のない奴が手にしても、俺を倒すには至らんよ」
「確かに今のわたしでは足元にも及びません。けれど……もしも、タクマさんの鍛錬を最後まで受けきったわたしであれば、どうですか?」
「さぁな、そりゃやってみないと分からないさ」
目の前に残っていたスープとパンを平らげ、視線は天井に向け本当に分からないとだけ答える。
事実、俺にだってアイリスを育て上げた結果、彼女が俺の上を行く実力を持つ者に成長するのかどうかは分からないんだ。
家のアガレスや鍛錬を受けた者はそれなりの実力を手に入れてはいたが、俺以上の強者になってくれているわけでは無かった。
別に彼らが無能だと言うわけでは無いんだが、結果的に俺以上の化け物を目指すというのならばそれなりの覚悟は必要だということだろう。
「お前にやる気がある以上、俺は全力でお前を鍛え上げるつもりだ。それこそこれから先お前を馬鹿にするような奴は現れなくなるくらいにな。口にしようものなら、無駄口を叩くソレごと真っ二つだ」
「……わたしはタクマさんの、魔王様の弟子ですけど、だからと言ってそんな残忍なことするつもりはありませんよ?」
「例えだよ。本気にするな」
ジト目で俺を見てくるアイリスにそれだけ口にすると、俺は「そろそろかな」とつぶやいて椅子から立ち上がると、懐からこの世界でいうところの財布である手のひらサイズの茶色い袋を取り出し、その中から金貨を三枚ほど抜き取る。
そして、先程からずっと俺達の傍に立っていた宿の女将でありアイリスの母親でもあるリースに手渡すと
「色々と世話になったよ。コレは宿泊代と、あとは口止め料だと思ってくれ」
「ふふ、わかりました。けれど、良いんですかこんな大金」
「俺の場合はそれくらいの価値があるということだ」
俺の言葉にリースは口元へ手を添えてそうですねとクスリと笑う。
それから笑みを絶やさないまま俺達に追従し、玄関までついて来ると宿を後にする俺とアイリスにお辞儀すると
「では、またのお越しをお待ちしております。娘としての帰宅も歓迎ですからね?」
「それはしばらく先になると思いますよ」
「と言うことだ。それじゃあ、ありがとうな」
手を振って娘とその師匠である俺の出発を見送るリースに、俺達もまた手を振り返して別れを示す。
瞬間、胸の内に生まれたのはちょっとした喪失感と、寂しさ。
今生の別れと言うわけでも無いのに、ましてや自分の親でもないというのに変な寂しさを感じるのはいかがなものだろうかとも思いつつ、俺は懐からブレイブの所持品であった携帯電話を取り出し
「記念に一枚」
撮影許可なんてものは勿論取らず、慣れた手つきでカメラ機能を開きだし合図も無しに振り返ると同時に宿とその前に立つリースを撮る。
無論、急に振り返り携帯を使った俺にリースは驚いていたが、自身に何の変化も起きていないことを悟ると困った自身の子供でも見るかのように腰に手を当ててため息。
それからもう一度頭を下げてから宿へと戻って行った。
「た、タクマさん。一体何をしたのですか!? そ、その携帯とやらには何か不思議な力でも宿っているのでしょうか!?」
「そんなわけないだろ。ただ写真を写しただけだ、記念にな」
焦ったようでそれでいて興奮しているアイリスに、先程写したばかりの写真を見せる。
携帯の画面いっぱいに映し出される見慣れた宿屋と、自身の母親の笑顔にアイリスは感嘆の声を漏らしたが、ふと何かに気付いたように俺の手から携帯を抜き取り
「あれ? コレって、お父様じゃないですか?」
「えっ、マジで!?」
「はい、ここ見てください」
アイリスは携帯画面に写っている宿屋の入口に指を添える。
いくら恥ずかしがり屋なロベルでも娘の旅立ちには姿を見せるんだなと思いながら、アイリスの指す場所を注視してみれば
「腕だけか」
日焼けとは縁遠いような真っ白い指が、宿屋の扉にかかっているのが確認できる。
一見すれば心霊写真のようにしか思えないソレだが、娘であり長年あの宿屋に住んでいたアイリスが父親だと言うのだからおそらくはそうなのだろう。
しかし、いくらなんでも腕だけみせるのはどうなのだろうか。
「お父様は本当に恥ずかしがり屋なんですから」
「もう少し自信を持っていればいいんだが、亜人の血をひく以上は差別とかの対象にされる可能性があるんだ。ソレを恐れているからこその態度なんだし、仕方ないさ」
「随分と知ったような口ぶりだが、貴様に亜人の何が分かるというのだ?」
二人して携帯電話に写っていたアイリスの父親らしき腕を見ていれば、背後から棘のある物言いで俺の心に少しばかりの苛立ちを募らせる言葉が飛んでくる。
つい三時間ほど前に耳にしたばかりの声ではあるが、一応確認とばかりに視線をそちらに向けてみればこちらを睨むように見据えているシオンの姿。
寝間着であるネグリジェから所々に鋼のプレートが施されている軽装な鎧を身に纏っている彼女は、鋭い視線はそのままに俺達へと近づいてくると
「気をつけろアイリス。コイツは今の見た目は人間だが、実際の姿は化け物なんだ。そんなに近くに居たら食われるぞ?」
「そうなのですか!? っていうか、何故シオンがここにいるのですか」
「わたしも一緒について行くためだ。お前をこのような化け物に一人預けるわけにはいかないからな」
シオンの返答にアイリスは俺を見据えてどうしましょうと問いただしてくるが、すでにコイツを連れて行く気満々の俺からすれば別に予期せぬ事態では無いためになんとも思わない。
むしろ、お前の方がは知らなかったのかと思えるくらいだ。
「アイリス。シオンのことは昨日のうちにジャンニ様と話してきた。しばらくコイツは俺の所に住むことになってるんだよ」
「そ、そんなの初耳なんですけど!?」
「俺はもうすでに知っている情報だと思っていたんだがな?」
親友なのだから言っておいて当然なのだと思っていたが、どうやらシオンはアイリスに対しては何も話していなかったらしい。
どういうことだと彼女に視線を向けてみれば
「こういうものは隠してこそ意味があるんだ。誕生日とかも隠れて準備されてる方が嬉しいだろう?」
「それとコレとは全くの別物だと俺は思うけどな」
「グッ!? う、うるさいッ! と、とにかく、お前一人を危険な目には遭わせられん。だから、わたしも一緒について行くんだ」
近づいてくるなり親友の手を取り我が身に抱き寄せて、アイリスをかばうようにして俺を睨むシオン。
去り際の頭を撫でる行為が随分と彼女の警戒心を煽る結果になってしまったらしい。
俺を睨む彼女の姿は威嚇体制に入った番犬の様だ。
不用意に近づけば間違いなく噛まれる。
そんな気配を感じ取った俺はため息を一つして、何もない虚空に手をかざすと《ゲート》を発動してその場に赤色に発光するトンネルを発現させた。
「とにかく、これで全員集まったみたいだし戻るぞ?」
「あれ? 帰りは飛ばないのですか?」
「俺にお前ら二人を抱えて飛べと言うのかよ。そんな無茶が出来るか」
嘆息し、腕を組んでから俺は親友の胸に抱かれるアイリスを見下しながら答える。
本当のところを言えば、女二人を抱えて帰るなんてのはわけないことではあるんだが、確実にその行為はシオンの逆鱗に触れるだろう。
だからこその否定。
「ど、どういうことだ、アイリス! まさかお前、この街までコイツに抱えられた状態で来たというのか!?」
「は、はい。思ったよりも快適な空の旅なのでわたしとしてはそちらの方が良いのですが……今回は仕方ないですね」
早々に空の旅を諦めたアイリスは、『俺に抱えられてこの街にやって来た』という真実を耳にして硬直してしまったシオンの腕から自力で脱出すると、動きそうにもな彼女の腕を掴んで
「まぁ、とにかく立ち話もなんですし戻りましょう」
シオンの手を引き、何の躊躇もなく《ゲート》内に姿を消していった。
俺が魔王だと知っているというのにも関わらず警戒心の欠片も感じられないその行動は評価に値するが、勇者の末裔ならもう少し疑うことを覚えた方が良いのではないか。
そんなアイリスを見据えて俺はやれやれと嘆息し
「全く。何処までも勇者の末裔っぽくない娘だ」
当の本人が消えたその空間で、俺は呟いてから彼女の後を追って開いた《ゲート》へと入っていくのだった。
今回で二章は終わりと言うことにさせてもらうつもりです。
次からは三章。
すでにストックなどない状態でどこまで毎日投降が出来るか分かりませんが、これからも頑張って完結目指すので読み続けていただけると嬉しいです




